本文へスキップ

株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

コラム 2007年

1月9日

 あけましておめでとうございます。
 今年も会社の鉢植えが新年を祝ってくれました。昨年1つしか実らなかった万年青(おもと)は4つ実り、今まで冬に花を咲かせなかったスパッティーフィラムは元旦に一輪の花を咲かせました。
コラム写真04-01
コラム写真04-02
 昨年末、ギリギリで描きあげた狭小住宅の図面は、設計期間が2年以上とかなり力を入れたモノでしたが、今年の代表作になるようにコンセプチュアルで図面密度も濃く、竣工が楽しみな作品となりました。
 プールの現場は、暮れの忙しい時期の鉄骨原寸検査でしたが、曲線とトラスを組み合わせた難易度の高い図面なので、何とか気持ちを一つにしてディテールにこだわった美しいトラスを連ねていただきたいと願います。
 その他、昨年から続いている現場が多々ありますが、何とか美しい建築の為に現場スタッフ一人ひとりの技術を提供していただければと思います。
 今年の目標は「各プロジェクトに対し全力を尽くし、妥協をしない事」です。仕事量も増え、作品一つずつの意匠コンセプトを考える時間が一日の大半を占めるようになってきました。その業務は時に夢の中でも行われ、疲れを取る為の睡眠が全く逆の効果となる事もあります。そんな中でも妥協する事は決してない一年としたいと思います。
 今年も宜しくお願いいたします。


1月18日(徳長)

 所長のコンセプトをもとに図面を描いていると、打合せをしているうちに形がどんどん変化していくことがあります。納得できるまで試行錯誤しているわけですが、今度はどこに行き着くのかと思いながら見ています。限られた時間内でそれらを図面にするのは大変なときもありますが、今年はひとつでも多く実現できたらいいなぁ…と思っています。


1月23日(河本)

 2月から3月にかけて、合計4つの現場が動き出します。工期が短いものもあるので長い期間ではありませんが、一ヶ月くらいは4現場が重なりそうです。去年は3現場だったので、そのときのことを思い出すと相当気を引き締めてかからねばなりません。どんな小さなことも見逃さないよう正確にこなし、無事竣工までこぎつけたいと思います。


1月30日(若松)

 順番の関係で遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。束の間の正月のゆったりした雰囲気は、 はるか遠い日のことのように思える程、すっかり慌しい生活です。詳細な図面を作り上げていくにつれ、建物のイメージがより鮮明に見えてきます。設計業務で僕がたまらなく面白みを感じるのはそんな瞬間です。
 いざ工事が始まると、現場の中では設計図に描ききれない部分で色々な事が起きます。それは場合によって大きな問題になることもありますが、的確な判断をすれば設計図のイメージ以上の建物ができるかもしれないというチャンスでもあります。先日久々に所長の現場監理をみて、そんな偉そうな感想を持ちました。
 今年も宜しくお願いします。


2月6日

 プールの現場は、久しぶりのシビレル現場となっております。定例打合せでは現場の方々が皆、頭を抱える難易度です。竣工まであと数ヶ月ですが「寿命が縮まる定例打合せをあと何回するのか」と考えただけでも疲労が蓄積されます。ただ、中学棟の時とは違い、弊社には頼りになる優秀な所員がいるはずなので、この疲労を分かち合ってくれればと思います。その所員がま・さ・か・頭を抱えていない事を祈りたいと思います。


2月15日(徳長)

 都心を散策していると、街がどんどん変化していくのがわかります。六本木だけでも先日は国立新美術館、3月には東京ミッドタウンがオープンします。それ以外にも大小多くの計画があるようで、散歩途中に工事看板を眺めては「ここにはこんな計画があるのか…」と想像しながら歩いています。
 話題になっている施設を、ワイワイ言いながら訪ねるのはいつもとても楽しいのですが、地元に長く住む方々の声を聞くと、やはり末永く大事に利用される施設であって欲しいと思います。


2月20日(河本)

 まもなく田中設計に入社して一年が経ちます。今までの人生で最も忙しい一年でしたが、その分成長できたと思います。最近になってそう感じることが出来るようになりました。これからの成長の道のりはまだまだ長いと思いますが、視界は良好で道は開けていると感じております。そのことを意識して一日一日を大事に過ごし、悔いの無い生活を送りたいと思います。


2月29日(若松)

 前回の河本に続き、僕も間もなく田中設計に入社して一年になります。一年前の自分と比べて少しでも成長できているか…気にはなりますがそれを実感できるのは何年、何十年も先のことだろうと今は感じています。
 所長の建築観を早く理解して、徳長さんの能力を早く会得して、河本さんの良きライバルと早く認められて、御施主様に喜んでもらえる建物を創ることのできる人に、あせらず早くなりたいと思います。家族や友人を連れ回して、僕の携わった建物見学ツアーをするのが、当面の個人的な目標です。


3月5日

 先週の金曜日に、昨年竣工した「ひょうたんの家」で宴を催して頂きました。竣工当時とは違い生活感が溢れ、ますます美しい家になっていたことを嬉しく感じて、多少飲みすぎてしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。

 土曜日には、毎年恒例の春日部共栄高校卒業式に出席させていただきました。成長し旅立つ生徒のたくましさを感じ、16年前の自分を思い出しました。また当日、私が早稲田大学に合格した事を最も喜んでくださった一人である当時の校長先生が、先週亡くなられた事を聞きました。当時は尖った性格で、学歴社会に反対していた私に対し「自分で成し遂げてから文句を言え」と御指導を頂戴した方であり、大学生の私に共栄高校での特別授業(土曜特講)をさせてくださった方でもありました。勿論、現在の校長先生にも可愛がって頂いておりますが、20歳前後の尖った私を良い方向に導いてくださった貴重な方が亡くなられた事を、非常に悲しく思います。

 建築ジャーナル4月号に、私のこれまでの作品の幾つかが掲載される予定です。加えて建築技術4月号には「拝啓、黒川紀章先生」という題でコラムを書かせていただきました。基本的には国立新美術館+黒川紀章展へのコメントなのですが、この原稿を書くことによって黒川先生の事務所から独立した頃の初心に戻ることができました。是非、購読(立ち読み)していただければと思います。


3月14日(徳長)

 先日、昔の職場のOB会がありました。10年以上ぶりに会う人もいるので、私としては多少なりとも“頑張って”出かけて行ったのですが、思っていた以上にみなさんは昔のままでした。在職時以上に多くの人達といろいろな話ができて楽しい時間を過ごせました。
 「トイレでいつも愚痴を聞いてもらって…すみませんでした」などと、今ではお互い笑って話せますが、当時は笑う余裕もなかったなぁ…と思い出しながら、みなさんに出会えたことに感謝した夜でした。


3月22日(河本)

 以前所長が、「週に2回は道を尋ねられる。」という話をしていたのですが、先日、自分にも道を尋ねられる機会が訪れました。しかも1日に2回です。的確にこたえられれば良かったのですが、なにぶんワタクシ、未だこのトウキョウという街をよく分かっておらず、「あっちの方じゃないですかねぇ。」なんてあいまいなことしか言えませんでした。次こそはちゃんとこたえられるように、まだ見ぬ尋ね人のためにトウキョウを勉強しておきます。


3月26日(若松)

 一週間先の予定もままならぬ日々ではありますが、いつか軍艦島に行ってみたいと思っています。軍艦島は長崎県にある、かつて炭鉱都市と栄え、その後石炭産業の衰退と共に廃墟化した無人島です。
 オープン間近の東京ミッドタウンのビル群を眺めると、そのスケールに圧倒されたりしますが、軍艦島の姿は、建築は人の僕である事を実感させられます。建築の意義を下げる意味ではないのですが、色々思う所があります。
 いつ行ける機会があるか見当もつかないので、先日軍艦島特集の雑誌を2時間立読みにて熟読しておきました。


4月2日

 本日より弊社は第5期に入りました。第4期は経営的に勝負をした年であり、会社が一歩ずつ成長している事を嬉しく思うと共に、御助言を頂戴した皆様には大変感謝しております。一年間で所員の増減はあったにせよ、皆が私の目指す建築の実現に、身を粉にして努力してくれている事にも感謝しております。
 おかげさまで今期は4月に住宅とアトリエ、5月末にプール、6月には店舗とコンサルティングプラザ、7・8月には住宅が二つ竣工予定となっております。また幾つか大きなプロジェクトで芽を出しそうな気配が感じられ、楽しみな第5期となりました。
 今期も宜しくお願いいたします。


4月9日(徳長)

 日曜日午前中、足立区での打合せが終わった後に埼玉県草加市まで歩きました。東京ではそろそろ桜の季節も終わりですが、このあたりではまだまだ見頃で、桜吹雪のすごさに感動してしまいました。日光街道を復元・保存している「日本の道百選」の草加松並木も気持ちがよく、機会があれば日光街道を歩いて旅してみたいなぁ…と思いながら帰宅しました。
コラム写真04-03


4月17日(河本)

 今週からいよいよ住宅の現場が動き出しました。地鎮祭後まもなく着工する予定が、ちょこちょこと細かい問題が出てきてなかなか工事を始めることが出来ませんでした。お施主様にはご心配をおかけしてしまいましたが、工事が進むにつれてだんだんと心配が軽くなっていくような…言うのは簡単ですがそんな監理が出来ればと思います。そのためにも現場の方々のご助力を宜しくお願いいたします。


4月23日(若松)

 小さい頃からずっと東京都民ではありましたが、地元国分寺より外にあまり出たことが無かったので、仕事で訪ねる都内各所の殆どが僕にとって初めての場所です。インターネット上で日本はおろか世界中の街並を眺められる時代ではありますが、この小さい東京の中でさえ、場所により全く雰囲気が変わります。その違いを肌で感じながら歩くのが、現場廻り時の小さな楽しみです。
 ちなみに僕のホームタウンはいつでも国立(くにたち)だと勝手に思っています。三角屋根の駅舎が無くなったのが寂しい限りです。


5月1日

 今月の16日で会社を設立しまして4年となります。偶然にも会社の誕生日に黒川先生とお会いできるのですが、その時にお話しする内容を、GW返上で勉強しております。その内容は建築ジャーナルに掲載される予定でおりますので、掲載されましたら皆様に御連絡させていただきます。
 ところで、「某陶器メーカーの三浦さん」が名古屋へ異動になりました。突然の話で困惑し、「私は許可しない」などと頭の悪いコメントをしてしまい申し訳なく思っておりますが、私の制作活動の片腕として支えてくれた方でしたので、それが振り出しに戻るかと思うと残念でなりません。後任の方を交えて送別会を催したのですが、何とか後任の方にも頑張ってもらいたいという気持ちから飲ませすぎてしまいました。


5月8日(徳長)

 ゴールデンウィークは京都をまわりましたが、「知恩院に行くならば山門や本堂だけではなく、大鐘もぜひ見てください!」とタクシーの運転手さんに言われ案内してもらいました。大晦日のNHK番組で毎年見る大鐘は、思っていたよりもはるかに大きく、10人以上の大人が一緒に鐘を打つ理由がわかりました。
 それにしても、この重さ(70t)を何百年もの間どうやって支えているのか、そもそもどうやって釣り下げられたのか…お寺には他にも「七不思議」があり、遠い昔の人々が私達にいろいろな事を伝えているような不思議な気持ちでした。


5月14日(河本)

 サンゴの塗り壁材があるということを知りました。
 塗り壁材には火山灰を使ったモノもあるので、他に使えそうな材料を考えてみました。「サンゴ」と「火山灰」この2つの共通点として、自然素材・堅い・中に空洞がある等があがりました。ということは、「骨」の塗り壁材もいけるのではと。効果については、骨の壁材を使った部屋で生活する人は壁から放出されるカルシウムによって骨が丈夫になる…のかどうかは不明ですが、ゴミの再利用にもなるので良いアイディアかと思います。どうでしょうか?


5月21日(若松)

 ついつい後手後手にまわる仕事振りについて、近頃所長から指導を受ける事が多々あります。入社2年目に入り、いよいよ所員としての要求は厳しくなり、益々の成長を日々心がけなければいけないと思っています。怒られて鬱々としているのも所長には全て見透かされている様なので、よくよく頭を使って精一杯やるだけです。その糧になるのは1年前の初々しい意気込みだったりします。草々不一。


5月30日

 もう直ぐ建築基準法が一部改正される予定です。その影響もあり、弊社の設計業務はゆっくりと進んでおります。この改正は、一級建築士と国土交通省の信頼関係で築き上げてきたモノを全て無とすると考えざるを得ません。勿論、発端は姉歯事件ですが、現場が進むに連れてお施主様が「やっぱりここをこうしたい」という気持ちになった場合に工事をストップさせ、確認申請の出し直しということになります。当然設計変更料も請求せねばなりませんし、工事請負契約の約款に記されている「施主の都合での工事の遅延」はその損害を施主へ請求できると記されております。今回の改正に関して私は誰の為にも良いと思いません。

 本当の問題は「①一級建築士の試験に実務的知識等の評価が加算されない事、②建築士免許を持っていたら誰でも独立できる事、③免許を一度取得すれば生涯建築士でいられること」この3点だと思います。①に関しては勿論2次試験は製図の試験ですが、私からすれば「ハコ入れパズル」です。設計事務所で製図業務をしていれば容易な試験であり、製図業務をしていない人間でも専門の学校に通うだけでできるようになります。②、③に関しては①のようにパズルができるようになって資格を得た者が独立し続けられるシステムだということです。

 このシステムを変える事が第二・第三の姉歯事件を防ぐ重要事項なのです。国土交通省も気付いているはずなのにそこにメスを入れない事に、私は不信感を覚えます。是非、建築士全員が再試験をして真の建築士資格者を確定して欲しいと思います。
 この意見に関して異論反論あるとは思いますが、建築を商売ゲームとしている人々が氾濫しているこの社会はどう考えてもおかしいのです。昨日も港区のある大規模開発について近隣住民が相談に来社されたのですが、勝手に普段使っていた区道を無くされる等、どうにもならない政治力が支配しております。

 日本では住宅をハウスメーカーに頼むか建売住宅を買うのが普通で、建築家に頼むのは贅沢だという考えがあります。実際には建築家へ頼む方が安くできる事もあるということも知らずに。建売マンションの売主も営利目的で設計期間を短縮させ、威厳のない設計者へ圧力をかけ最悪の事件へと発展するのです。

 最近住宅のコンペ機関などありますが、これも施主は建築士がどういう人間なのかを知らずに綺麗にプレゼンをしてその場で施主の興味を得られた人が勝者となります。住宅の設計は特に、施主とコミュニケーションを取りながら「この人を紹介できる」「この人に設計してもらいたい」と感じていただき、お互いの信頼関係が蓄積されて初めてスタートできるモノだと思います。仕事がないからしょうがないと思う一級建築士の方も多いでしょう。しかし建築家はゲームの駒になってはいけないと私は強く訴えたい。

 弊社の所員も勿論、一級建築士を目指しております。将来独立したいと考えている所員もいる中で私は「立派な建築家の卵を育てなければならない」という重要な任務があることに気付きました。最近は現場を担当させる等ある程度責任を持たせておりますが、目標を見失い、クダラナイ事に凹み、お施主様や施工業者に甘えるという情けない場面を多少感じてしまいました。そんな甘ったれた五級建築士にさせない為にも、最近彼等には特に、設計業務以外に関しても厳しく教育しております。この厳しさに耐え、それを乗り越えて立派な精神を持つ建築家に育って欲しいと願っております。


6月5日(徳長)

 先日あるビデオを観ていましたら、丸太で自分の家を作っていました。あらかじめ準備しておいた丸太を組み合わせながら、石や苔も使って積み上げていく光景は、圧巻であり気持ちのいいものでした。観ているほど簡単ではないと思いますが、出来上がったときの家への愛着は一入だと思われます。家に限らずですが、愛着のあるものを大事に長く使うことが私の課題です。


6月14日(河本)

 先日行った弊社の竣工検査で、天井のキズを所長から指摘されたのですが、視力が悪くてそのときは見えませんでした。後日メガネを借りて天井を見てみたところ、はっきりとキズを確認することが出来ました。目が悪くなっていることを感じつつも裸眼でとおしてきましたが、改めて自分の視力の低下を実感し放ってはおけなくなりました。友達が働いている目医者で、視力を回復する手術をしてくれるところがあります。しかし設計という仕事上再び目が悪くなるのは目に見えているし手術費も安くはないでしょうから、やはりメガネを買うのがベストかと思っています。おそらく来月あたり、現場へ向かう自分のかばんの中にはメガネが入っているだろうと思います。


6月18日(若松)

 PJを通して色々な現場に伺うと、その建築の「命」を強く感じる時があります。規模の大きい建物のPS(配管スペース)に巡る配管群はまさに動脈そのものであり、新築の木造住宅が建ち上がっていく様は、骨格に肉が付けられ、服を着せられていく、一つの生物を構築してゆく作業です。物は言いませんが手入れを怠れば病気もしますし、その建物の10年後の姿は、それに携わる人をそのまま映し出すものだと、実体験はないくせに確信しています。普段はのんびり眺めて感慨に耽るヒマはありませんが、その生物の「心臓」となられる施主様と、創り手としての田中設計が、人様の前に出しても恥じない作品とできるように、まだまだまだまだ努力です。


6月26日

 旗の台とWH邸が竣工間際となりました。この2件が竣工しますと現場ラッシュは一段落することになります。毎日仕事に追われ、建築家としての活動が乏しくなりつつありました私にとって先週の旭川出張は有意義なモノでした。家具の検査が主の目的だったので、特に遊んだ訳ではないのですが、空港から工場までの車窓は、自然の偉大さを感じる壮大なモノでした。まだまだ私は未熟でありますし、椅子にフンゾリカエッテ仕事をしている場合ではありません。所員の仕事を奪い取って汗をかきながら一つずつ作品を創りあげねばと感じております。


7月3日(徳長)

 先週末、INAXの展示会に行きました。所長がデザインした洗面器が、「ものづくり工房」にて紹介されていました。建物だけでなく生活のあらゆる物をデザインしたいという所長の望みが、またひとつ叶いました。
 こちらの展示会場を訪ねると、陶器やタイルなど様々な製品が世に出るまでには、多くの方々の手間がかかっているということを痛切に感じます。改めて感謝です。
コラム写真04-04


7月9日(河本)

 5月末に春日部共栄プールの検査が終わりました。その頃から竣工写真の準備をしていますが、梅雨入りしてしまったため検査から一ヶ月以上経った今でも撮影できていません。屋根が真っ白なので、雨はもちろんのこと曇っていてもだめなのです。最近では毎日週間天気予報をチェックしていますが、次の撮影予定日もやはり雨の予報です。いまだ撮影のメドは立っていませんが、竣工写真が完成すればホームページ上の写真も更新されると思うので、それまでは「撮影者 河本」の写真でご辛抱ください。


7月19日(若松)

 トップページにも案内を載せさせて頂いていますが、先日「長寿庵 くりた」様店舗新装工事が無事完了しました。短期間の工事ではありましたが、施主様、施工関係者の方々と互いに協力し、一つの作品を作り上げられた事に今は感謝の気持ちでいっぱいです。いくら言葉にしても、まだその言葉にいまいち箔の付かない分際ではありますが、この気持ちは言葉だけではなくて、この先の行動で示していこうと思う梅雨明け間近の今日この頃です。


7月24日

 最近、もともと建築を志していたイームズが、建築を止めて家具を作るようになった理由がよく分かるようになってきました(…と思っている建築家は多いと思いますが)。趣味で絵を描いたり陶芸をしたり石を彫ったりしておりますが、今回「長寿庵」様で作った家具に加え、「狭笑の家」における「建築の家具化」への試みも結構楽しましていただいております。
 建築家の多くは、住宅の中の家具や食器もデザインしたいと思っているでしょうが、それがなかなか実現できないジレンマを感じる事が多いと思います。しかし、「狭笑の家」は時間さえあれば何でもできる状況をお施主様から与えられております。何処までできるかは分かりませんが、本日社内の模様替えをし、電動ロクロを設置するスペースは確保されました。所員一同の背中から、「本気かよ…」という言葉が聞こえてきそうなのが気になる点ではありますが…。


7月30日

<今週からしばらく、田中がコラムを担当する事にしました。>

 あまりプライベートな時間がないので、読書をする時間は貴重な時間となります。その中で、本の“当りハズレ”が気になります。幾ら難易度の高い本であっても、日本人の書いた本は比較的速く読む事ができるのですが、日本語以外の言語を和訳した、またはその表現を引用した本というのは何故こんなに読み難いのかとイライラする事があります。それは“当りハズレ”には関係ないのですが、何かを断言する文章にはそれなりの重みとなる根拠が明確にならない限り、いくら立派な単語を連ねていても“ハズレ”と評してしまいます。
 以前、何かの媒体に「建築の中でも住宅は文章に近い」と記したコメントを掲載しましたが、「スラスラ読めて読み応えがあり、説得できる住宅」を手がけていきたいと思いました。
 2週続けて住宅関連の文章となりましたが、それだけ今回の住宅2作品は楽しみな作品となっています。


8月6日

 所員から誕生日に頂戴した植栽の鉢植え陶器を制作しています。1.5キロの土を使って作ったので私には少々大きめな制作となりました。1ヵ月後には会社の玄関に飾られると思いますので、ご来訪の際には廃材と間違えて蹴飛ばさぬよう、ご注意ください。

 本日、「総本家長寿庵くりた」がオープンしました。私はプレオープンで招待されたのですが、価格も安いのにとても美味しいお料理でした。弊社の内装・家具デザインもなかなか楽しめるモノにしておりますし、陶芸家の桜井先生の美しい器+書家の桜井先生(別人です)の書(暖簾等)もかなり大胆で、居るだけで楽しい気分になると思います。とにかくこのこだわりの味+サービスでしたら、2号店の依頼は直ぐにやって来るのではと夢見てしまいました。私は1ヶ月に一度は行こうと思っていましたが、8月中既に2晩も予約を入れてしまいました。
     

 昨日「みかんの家」の引渡しがありまして、久しぶりに涙の出る現場となりました。厳しい条件の中での設計監理業務で、いろいろと思う気持ちがあり…ついつい昨晩は焼酎を飲み過ぎてしまいました。
コラム写真04-05 コラム写真04-06


8月13日

 多くの方から「田中は営業が下手だ。」と御指導を頂戴するのですが、建築家の営業は難しいと感じております。「物件数やキャリアがあるから頼まれる仕事」はしたくないですし、自分で自分をアピールするのも得意ではないと自覚しております。この認識が多くの方からの叱咤激励となるのですが、役所の仕事も入札(最安値の会社が仕事を受注できるシステム)がほとんどであり、以前に記しましたが住宅のコンペもやる気がしません。またオープンコンペの中にでさえデキレースと思われるモノがあり、特に最近は流行の建築家の作品を真似たモノが評価される時代なので、私は私を評価して頂ける方の建築を創るしかないと考えておりました。

 今月に入り、私の作品を見て「是非!」というお施主様が二人も現れました。ありがたいお話であると共に、やはり私の最大の営業は自分ならではの作品を創り続けることだと再認識しました。「是非、お願いしたい。」と依頼されれば、頂戴する報酬以上の仕事をしたいと思いますし、それがまた営業下手と言われますが、その繰り返しが私の人生なのだろうと35歳を過ぎて改めて感じました。

 昨日、事務所にロクロが到着しました。今までは毎週土曜日の仕事の合間、半ば強引に陶芸教室に通っていたのですが、これからは気兼ねなく陶芸にも打ち込める環境ができました。もし陶芸にご興味がある方いらっしゃいましたら、是非事務所の方に足を運んでください。また住宅のお施主様に限らず「自分で使う陶器は自分で作りたい」という方も歓迎いたします。
コラム写真04-07


8月20日

 ある本を読んで15年くらい前に疑問に思っていた事がようやく分かりました。私が学生の頃の課題に「廃墟」等という悲観的な言葉が似合う作品が流行したのですが、何故夢のない作品を創るのか、またそれが評価されるのか疑問でした。漫画の世界で廃墟は見たことありますが、それを建築学科の課題で提出するのはあまりにも幼稚で、それを評価する先生も先生だなと感じておりました。結論だけ言いますと、我々と「廃墟」に対する思いが違うのです。先生の世代は戦争で疎開先から戻った際の風景は廃墟として焼き付いているのです。先生の作品を見て、欲の深い学生はその先生に評価されたいからか、または漫画等の影響で廃墟を使った幼稚な作品を創ったのだという事も分かりました。戦争を知る世代と知らない世代には、今の建築作品にも違いがあります。今流行の建築家はおそらく戦争を知らない世代だと思います。

 それとは別に著者は、縄文と弥生(または将軍と天皇)と時代等に例えて、今の建築作品を分類していました。詳しく伝えるには私も論文を書かねばならないと思いますが、現在流行の建築は「弥生」であり、私がお世話になった黒川さんや石山さんは「縄文」なのです。勿論、私も縄文です。時代は繰り返し、時には交わる事もあるでしょう。

 この方の本は2冊目なのですが、1冊目は失敗したなと思うモノでした。2冊目を読むか迷いましたが読んで勉強になった1冊でした。


8月27日

 先週のコラムで勘違いされる可能性が高いと思い、追記させていただきます。縄文と弥生という例を挙げましたが、弥生はあっさりしているのに対し、縄文はゴツゴツしている力強い造形だと説明されていました。「古い新しい」という意味ではなく、「装飾的であるない」という意味でもありません(著者は将軍に対しては多少装飾という印象をもたせる意味を込めていましたが。)。毎週コラムを楽しみにして頂いている方には1週間、勘違いさせたかもしれません。失礼いたしました。

 ガウディのカサ・ミラは今でこそ名建築とされていますが、当時はそうでもなかったと聞きます。竣工して直ぐに評価を受ける建築も素晴らしいと思いますが、果たして20年後、50年後の事まで考えられているかは、その時にならねば分からないと感じますし、建築は3次元だけではなく時間軸も重要視すべきと考えます。

 ここ数年、私の生活圏である港区は建築ラッシュです。1年前に見えていた美しい風景の中に様々なマンションが邪魔してくれるようになりました。お金持ちが土地を転がし、外資系や大手デベロッパーさんがマンションを建設しています。仕様や形状に大きな変化もなく、淡々と建ち並んでおります。単純に考え、このペースでこのような建築物が乱立すれば、おそらく20年後には港区の地価はかなり下がるのではと懸念します。星も見えず、風はビル風のような突風ばかり。空気は汚れ、床はアスファルトのダークグレー色…平面的にも立面的にもグリッド化され、見るに耐えない景色です。

 乱暴で夢のような話ですが、せめてグリッドマンションは基礎と同じくらいのコンクリート強度で作っておいていただきたいと感じております。最近では「光源氏の家-Ⅱ」、過去では学生の課題やコンペ(ミレニアムタワー)で提案しているのですが、地球の温暖化に伴い、港区は最悪の場合水没するかもしれません。そこで、道路が無くなりベニスのような水の都になったなら、現在のグリッドビルを基礎として、その上に新たな「水と空中の都」を創るべきではないかと考えるからです。

 勿論、環境問題を悲観的に表現した作品でしたが、この暑さは異常です。幼い頃はクーラーがなく生活しており、それが普通だったのですが、30度を超える事もほとんど無かったような印象があります。今は体温を超えてもそれほど驚かなくなりました。個人でできる事はしているつもりですが、その他にも何とかせねばならないと思いながら、自分の無力さを痛感しております。


9月3日

 一昨日、昨年賞を取った「阿佐ヶ谷南の家」を拝見してまいりました。空間的に面白い使い方をしているという印象と、建具への気遣いが印象的でした。FIX窓はガラスをコンクリートに埋めるだけのディテールであったりと流行の建築を堪能してまいりました。
 個人邸が多い石山研究室に所属していた頃は「建具は作るモノ」と言われ、公共建築がほとんどの黒川事務所では「既製品に勝る建具は難しい」と言われていただけに、私もここが苦悩しているところでした。最近は瑕疵やメーカー保証等が厳しいだけにそれを無視してトライできている作品は、設計者の努力だけではなく、住まう人の建築に対する認識の差が、こうした表現の差になってくるのだと実感しました。

 その後、陶芸家桜井先生の個展に行き、相変わらずの陶器の美しさに感動しました。建築よりも更に繊細さがあり、吸い込まれるような気持ちになりました。弊社が店舗の内装や家具を担当した「総本家長寿庵くりた」でも、先生の作品を使っていただいておりますが、美しさだけではなく、器の軽さは圧巻です。是非、「長寿庵」でお試しいただければと思います。

 その後、会社に帰ると案の定バタバタで、大変なことになっておりました。久しぶりに模型を壊し、提出期限間近だというのにまた一から図面を描き直す事にしました。

 そして昨日、久しぶりに愛車を運転し、千葉の勝浦へ現調のため行ってまいりました。日本にもこんな環境の良い場所があったのかと感動してしまいました。海の見える広大な土地に何を建てるかから考える楽しいプロジェクトです。都会でのプロジェクトはまず法規と敷地形状に縛られての設計ですが、山梨の勝沼に続き広大な土地を提示され、「ここに何をどのように建てるか好きなように考えろ」という自由な発想が求められています。悪く言えば、言い訳が全くきかないというプレッシャーとの戦いなのですが、そのようなプレッシャーも滅多にお目にかかれないので、プレッシャーと共に楽しませていただきたいと思います。

 こうして私の週末は見事に充実してしまい、ロクロと触れ合う時間がなくなるのです。


9月10日

 先日「ひょうたんの家」の一年検査をしてまいりました。何点かの指摘事項はあったものの新築時と変わらぬ綺麗さには驚きました。当時は新婚夫婦の家でしたが、女の子が生まれ、奥様は何かとお忙しくされているだろうと思うのですが、自ら「綺麗好き」だと言われるだけあり流石と思わせる住まい方でした。私が建築で伝えたかったことを見事に理解してくれている家族は、笑い声が絶えない素敵な建築を創り始めておられました。


9月19日

 土曜日に「長寿庵」へ行ってまいりました。自宅よりもくつろげる場所になっているようで、店は忙しいのににタバコを買ってきてもらったり、営業時間を過ぎても騒いだりで、終電ギリギリに帰宅しました。いくら酔ったからといって、このような失態は反省せねばなりません。総勢8人での宴でしたので、さぞかしご迷惑をおかけしたかと思われます。この場を借りてお詫びさせていただきます。

 ある方がチャンスを与えてくれまして、黒川先生から言われた「新たな建築の運動」の実現に向け、少しずつ歩みはじめました。本来であれば建築家と名乗る人々で運動をするべきと思い、学生時代の友人や後輩に声を掛けたのですが、なかなか実現できる環境を見出せず苦悩しておりました。しかし、建築家との運動でなくても建築の運動はできるという思いと、この偶然の出会いが、社会への強いメッセージになると期待し、日々精進していこうと思います。


9月26日

 弊社には6種類の植物があります。毎朝、水浴びをさせ調子を伺うのですが、異常な暑さや東京を直撃した台風のおかげで「ちょっと調子が悪い」ようです。特に「万年青」は開業以来、力強く毎日私に力を与えてくれていたのですが、今は私が元気になるよう声をかけています。そんな中、台風で倒れた「真実の木」は1本枝が折れたのですが、そこから元気な葉が生えだし、もう終わりかと思っていた「竹」は新しい芽が数本出始めました。「スパッティフィラム」だけは、相変わらず花を咲かせ嬉しく思うのですが、鉢植えである以上、人間が育てなければならないという義務があると感じております。一生懸命育てれば植物はそれに純粋に応えてくれますし、所員には癒しを与え、お客様を温かく迎えてくれます。
コラム写真04-08 コラム写真04-09 コラム写真04-10
 「木のぬくもりは良い」と皆が感じる事と思いますが、建築や家具でそれが使われる以上、どこかの木が伐採されている事を悲しく思います。その思いから、あるプロジェクトで新しい住まい方の提案をしました。その提案はほぼ却下だったようですが、この植物の為にも諦めず他のプロジェクトでも提案してみようと思います。


10月1日

 急に寒くなりましたが、それと同時に1級建築士事務所の更新通知がやってきました。1級建築士事務所は5年毎に更新せねばならないのですが、登録時の5年前に比べ、今回は更新だというのに会社の定款・謄本・納税証明書に加え、業務概要等の提出書類も沢山あり、取調べを受けている感じです。これも仕方がないと思わざるを得ません。

 ところで、「狭笑の家」の器が窯だしされ、なかなかの仕上がりに驚きました。特に御主人用の器の美しさは、自分で制作したと思えないほどの仕上がりです。単に窯や釉薬のおかげであるのですが、昨日は調子に乗りまして、社内に来訪されたお客様用の器を制作してしまいました。上手く仕上がれば、約1ヵ月後に来訪された方には、美味しいお茶と共にお披露目できるかと思います。「狭笑の家」は工務店の変更という理由で、竣工が遅れておりますが、所員一同全力で努力しておりますので、お披露目までもう少々お時間をください。


10月10日

 今週から「狭笑の家」の工事が再開しました。いろいろと大変で不慣れな作業が続きましたが、ようやく作品が作れる環境が整いました事を嬉しく思うと共に、これだけの期間工事が止まった事を容認して頂いたお施主様には感謝いたします。

 月曜日に陶芸教室を開き、数人のお施主様が参加されました。悪戦苦闘されながらも、皆様楽しんで器を作ってくださいました。今後も開催を考えておりますので、御都合宜しければ是非ご参加ください。
コラム写真04-11 コラム写真04-12


10月15日

 皆様ご存知の通り、私の師が亡くなりました。
 亡くなる2日前に私は黒川先生から怒られる夢を見ました。刀を振り回しながら壁を壊し「この刀のように鋭く、力強い建築を創れ」と指導され、私と黒川先生が対談し掲載された雑誌をある人に送るように言われた夢でした。そしてその雑誌を送る準備をしている時に訃報が届きました。
 私は今、師ではなく父を喪った想いです。まだ気持ちも整理できず、痛く苦しい哀しみと闘っております。どうかこの哀しみを取り除いてくれと神に祈り過ごしております。


10月22日

 今年の1月に黒川先生が出された詩集「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」を、12週に渡りご紹介したいと思います。あくまでも私の個人的見解ですが、「アドニス」「ADONIS」という文字を組み合わせて逆から読みますと、「SINOドア(死のドア)」になります。アドニスという名前は、ギリシア神話の登場人物の中にもあるようですが、先生がこのようなカラクリを考え、この詩集で何かを伝えたかったのでは…と感じております。
 まずは第一編からご紹介しますが、このかなり強烈なメッセージを感じて頂ければ幸いです。


白夜の低空飛行

雲の重なりの上を
飛行する。
陽が沈み。
落日の幕明けか。
月が昇る。
新月の始まりか。
白夜の低空飛行。
雲の中へ突っ込め。
街の灯が
見えるだろう。
待つ人の居ない
街の灯が。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


10月29日

 某雑誌社に提出する黒川先生への追悼文を書き終えました。亡くなられてからは殆ど仕事が手につかず、この追悼文を書くことで「仕事をしている振り」ができました。自分のヘタクソな文章でも、読んでいると自然に涙が出てきてしまいます。
 黒川イズムは途絶えさせてはいけないと思っております。歴代OBにその責任はあると思うのですが、「私は私なりに…それに賛同してくれる方々は是非ご協力願います。」と考えられるようになりました。
 まだ発表できませんが、未来型と思う建築のスケッチを描き、それを建てさせて欲しいと思い施主を探しておりました。私の訴えに耳を貸してくれるお施主様をようやく見つけました。この建築は来年の春頃にお披露目できるかと思います。

 先週に引き続き、黒川先生の詩の第2編をご紹介します。これを記したのが何時なのか、最も気になる部分なのですが、おそらく手術をした前後なのではと勝手に想定しております。


不安の予感

樹間を横に
光が通過したと思う。
不安の予感。
再び一条の光が
通過したと思う。
希望の光。
肯定と否定。
それは
女性的精神か。
女性的な両義性の内奥へ。
メルロポンティの世界が現れる。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


11月5日

 先々週、以前弊社に入った泥棒が捕まったと目黒警察から連絡がありました。1年半前の事件でしたが、こんな時期に捕まるとは…。警察の話しによりますと、犯人は数百件の余罪があるようですが記憶力が良いらしく、私の事務所についても鮮明に覚えていたようです。その能力は他に使えなかったのかと感じます。

 一級建築士事務所の更新手続きを終えましたが、当時は個人事務所として登録しておりまして、株式会社になりどのようにしたら良いかと相談していたのですが、返事がなくそのままにしておりました。今回の更新にあたり、一度個人事務所の廃業をして新規の会社申請にせねばならないと聞き、一級建築士事務所の番号が変わる事となりました。一年生みたいな番号で恥ずかしいですが、仕方ない事のようです。当時、もっと役所を問い詰めておくべきでした。

 今週ご紹介する第3編は、かなりの衝撃です。死を意識しているのは当然で、死という事がどのようなことなのか、受け止めねばならない事なのか…、最後にはその決意とも思える締め方になります。私には耐えられないほど辛い詩となっております。


上昇気流

鳥たちに聞いてみたい。
翼に伝はる
上昇気流の感触を。
水鳥たちに聞いてみたい。
早春の水のぬくもりを。
蝶たちに聞いてみたい。
君達の故郷と君達の行き先を。
そして、僕も
上昇気流にのって、共に。
光の彼方の行き先へ旅立つ。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


11月12日

 黒川先生の他界から1ヶ月が経ちました。今週の木曜日にお別れ会がありますが、これでお別れなのかと思うと余計に苦しい気持ちになります。
 彼の作った「共生」という言葉は、今や全世界に広まり、福田首相が「共生の思想」と話していましたが、これこそ彼の本のタイトルのままで、私が退社時にサインを頂戴したくらい、学生時代には教科書よりも大事にした思想なのです。もしかしたら彼が天国から言わせた言葉かもしれません。今週発売される建築技術12月号の追悼文にも記しましたが、私は何時の日か彼が天国から通信できる媒体を発明してくれるのではと期待しております。
 今週ご紹介する第4編からは自然との共生を訴える詩であると感じています。「共生の思想」と口にした福田首相にも、是非読んでいただきたいと思います。


水の文化、風の文化

風が川面(かわも)を渡る。
砕き氷(かきごおり)、風鈴(ふうりん)の
涼風(りょうふう)。
雨林(うりん)=鉄木の幹を
流れ落ちる
豪雨
水の文化。
街角を風が吹き抜ける。
肌を刺す寒風。
風が砂漠の砂を巻き上げる強風
風の文化。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


11月19日

 黒川先生の社葬が終わりました。とても寂しい気持ちになりました。献花の際に、絶対に涙を流さないようにと思っていましたが、もう枯れてしまっていたようで、その心配は不要でした。その後に催されたOB会の席で、多くの方々からアドバイスを頂戴しました。非常に助かりました。ありがとうございました。
 何時も私は「何かをするべきだから、生きさせてもらっている」と考えて生活しておりますが、この死にはどのような意味があるのかと迷走しております。

 時が経つのは早いと皆言いますが、そう感じるのには世の中にも責任があると思います。ハロウィンが終わった途端、まだ11月だというのにクリスマスツリーの飾り付けです。楽しい気分になる方は良いかもしれませんが、私はクリスマスツリーを見ると、「今年も何もできなかった」と反省の気持ちが生じてきます。

 ところで、社章を作りました。これにどのような意味が隠されているか分かった方は、是非御連絡ください。“田中設計マニア”として来年の創立記念日に粗品をプレゼントします。所員にも分からない難題です。
コラム写真04-13

 今週ご紹介する詩は、12編の中で唯一「無邪気な大人」の詩だと思います。この詩を読んで思い出すのは、今年の弊社創立記念日にお会いした際に、春日部共栄中学棟の竣工写真を見てくださり、あの曲線とトップライトのラインを、手を挙げてジェスチャーして頂いた光景です。でも、きっとこの詩には隠れたメッセージがあると感じています。


クリスマス・イブ

クリスマス・イブの夜の
倦騒(けんそう)に
一人街角を往く、快楽(コンビビアリティ)。
群青(ぐんじょう)のクリスマス・イブ。
鋭角の月の夜。
子供達よ早く寝なさい。
大人達の狂宴の始まり。
非日常の日常の
クリスマス・イブ。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


11月26日

 社葬の際に黒川先生がデザインした腕時計等を頂戴しました。この時計を見ていましたら、偶然にも7時36分15秒に弊社の社章とほぼ同じ形になることに気付きました。腕時計は大学1年からしない人間になっておりましたが、約15年ぶりにしてみようかと思います。
コラム写真04-14

 毎年この季節になると喪中葉書が数件届きます。喪中葉書を見ると寂しくなりますが、今年は私も出したいくらいです。笑われるかもしれませんが、葉書のデザインも今年は質素にしようと考えております。

 今回ご紹介する詩は、12編の中で私は一番好きな詩です。彼らしい次元だと思う事と、読んでいて気持ちをすっきりさせてもらえます。5月に「流行の建築に追随するな」と言われた時、亡くなる前日の夢で「この刀のような力強い建築を作れ」と言われた時の衝撃を思い出します。


地動説

地球が
太陽の周りを廻る。
コペルニクス的転換。
ガリレオ・ガリレイの
地動説。
君は地球が
太陽の周りを廻るのを
見たか。
目に見えない思想が
世界を変えるのだ。
カミオカンデ
ニュートリノが地球を貫通していった。
明日は
太陽が昇らないことを
君は知らない。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


12月3日

 最近気になるのが歩行者用の青信号です。何故かと言いますと、青信号に映る人の姿に元気がないように思うのです。信号待ちをしていて青になり横断歩道を渡ろうと思う私に、どっと疲れを与えてくれます。全国共通だと思いますので是非、気をつけて見てみてください。その他、歩行者横断禁止看板にも同様の姿が記されています。
コラム写真04-15

 昨日、植木の鉢替えをしました。根がぎっしりで窒息死状態だったかもしれません。植え替えをしながら、気付かなくて申し訳なく感じました。鉢植えを扱う以上、その健康状態を管理するのは人間の役割であり、それもできない人間に「自然との共生」を語ることはできないと認識しております。

 今週ご紹介する詩は、歴史との共生を訴える詩ではないかと感じます。12編の中で最も難易度が高く、考えさせられる詩であると思います。またサンクトペテルブルグというところが、表現し難いですが…立派だと思います。分かる人にしか分からないと思いますが…。


沈み行く街

ゴンドラが揺れる
太陽の反射。
歴史に沈み行く街。
カンピドリオの広場。
遠くに
アテネのアクロポリスの
神殿の怒りが響く。
リアルを伝統としたが故の
遺跡の怒り。
ベネチアの憂鬱(ゆううつ)を
サンクトペテルブルグから
想う。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


12月7日

 今月18日に共栄学園短期大学で講演をします。前半は黒川先生との思い出を話し、皆に黒川紀章がどのような建築家であったかお伝えできればと思います。後半は、私が考案したある建築のプレゼンをします。
 現在、環境問題が叫ばれる世の中となりましたが、この建築はそれを超越した作品です。このスケッチを、何人かのお施主様にプレゼンしましたが、「分かるけど、うちでやらなくても…」と断られました。「自分達は流行の建築に住みたい」という住宅の施主が多く、素人から雑誌を見せられ「こんな感じ」と言われるとやる気も失せます。誰も気付かない、50年先に認められるかもしれない建築を建てさせてくれる施主を見つけるのは難題です。でも私は負けません。

 今回ご紹介する詩は、まさに私のスケッチを詩にしたようなものと感じています。私の講演を聞きに来られる学生には、プレゼン前にこの詩をご紹介しようと考えております。


ハリウッドの狂気

スモールイズビューティフル。
高層はいやだ。
コンパクトな都市はいやだ。
プール付きの一戸建て。
ハリウッドの享楽(きょうらく)、ハリウッドの狂気。
スプロールするロスアンゼルス。
そして森が失われる。
都市の拡大だ。
森を伐(き)れ。
樹を倒(たお)せ。
そして生命の終り。
世界の終末へ。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


12月7日

 JIA港地域会の忘年会がありまして、以前イタリアで働いていた方が「イタリアの建築家は仕事がないからという理由もあるが、家具なども設計する」と言われました。これは建築物に付随する造作家具という意味ではありません。また、日本の建築家のほとんどが、そのような行為を行いません。一般の人々に触れ合うものをデザインするイタリア人建築家は社会的評価が高く、日本人建築家はその逆です。
 黒川事務所に所属していた時、家具や彫刻は著名な方々の作品を選ぶ事が普通の事と教わりました。私は「これだけの数量があれば、作れるチャンスであるのに、何故自分たちでデザインしようとしないのか?」という疑問がありました。その理由から独立後は水鉢の石彫刻に始まり、家具を制作し、陶器も人前に出せるように努力しております。流行りの建築のように情熱をそぎ落とし、クールで格好良いだろうと考えるのではなく、泥まみれになりながら格好が悪くても自分の作品に情熱を注ぐ建築家であり続けたいと考えます。

 今回ご紹介する詩は、円錐に関する詩なのですが、私が彼に「円錐ばかりを使う理由は?」と質問をしましたら「単純に、形状が好きだからだ」と言われました。それからこの詩のような説明を受けたのですが、「黒川と言えば円錐」というデザインイメージは円錐が強すぎて良くないと思いまして、彼に質疑をしました。皆様ご想像のとおり、この詩のような返答をされて弟子は返す言葉を失い、今日に至ります。


円錐の秘密

円錐は神の幾何学か。
水平の断面は
ニュートンの円軌道。
傾斜の断面は
コペルニクスの楕円軌道。
天空を刺し
天空へと消える幾何学。
寺院の頂に冠(かむ)された鉛の円錐。
サンクトペテルブルグの円錐。
街のスカイラインの
黄金のスパイアー。
長距離弾道(だんどう)の狂気。
円錐の秘密。
円錐は神の幾何学か。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


12月17日

 黒川先生の月命日という事もあり、先日12日にお墓参りをしてきました。早朝に伺ったのですが、白く綺麗なユリが生けてあり、朝陽の光線がそれを貫通し幻想的な空間でした。目を瞑り、手を合わせている私の姿は、そこに似合わなかったかもしれません。ご親族の方々の愛情を痛いほど感じました。
 私は以前、ハマというメスの柴犬を飼っていました。私にとてもなついており、純粋に私はハマに愛情を注いでおりました。大阪府警の現場常駐という理由からたまにしか会えなくなり、それでも私が帰京した際には、遠くから見えなくても夜中であろうと私に気付き、遠くから雄叫びのような狂った声で出迎えてくれました。しかし、ある人間のクダラナイ理由から私とハマの仲は引き裂かれ、訃報が届く事になりました。私はこの犬を忘れられず現在に至ります。

 今回ご紹介する詩は、ハマとは別に説明し難いのですが、私の胸にグッサリ刺さる詩となっております。


愛に相遇したか

君は愛に相遇(そうぐう)したか。
彗星(すいせい)のように
君の身体を貫通していった
愛に相遇(そうぐう)したのか。
そして
君の愛は君の心に在るか。
彗星(すいせい)のような
加速する愛に
君は相遇(そうぐう)したか。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


12月25日

 今週のコラムは、共栄学園短期大学での講演や忘年会、一級建築士事務所登録からちょうど5年など、ご報告する事は沢山あるのですが、ご紹介する詩の事を考えると書く気になれません。大変申し訳ございませんが、割愛させていただきます。

 黒川先生が他界してから色々と考え、相談させていただいた方も多かったかと思います。苦しい日々も続きましたが、今は積極的にコンペに参加する等、自分なりに努力する事ができるようになりました。ただ、この詩を読むと私には悲しみが再来してきまして、どうしても払い除けられない自分がいます。アドニスから手紙が来た黒川先生は、「アドニス 君はまだ元気でいるか」と最後に強がりを表現していますが、この強がりが私には耐えられないのです。頂戴した書ききれない程のアドバイスを一つひとつ思い出させます。

 今日はクリスマスです。「7月にまた会おう」と言われ、そのままにしてしまった自分を後悔しております。もしサンタクロースがいるならば、時間を5ヶ月戻すプレゼントが欲しいです。きっと何時ものように「遅いじゃないか!」と怒られることでしょう。


アドニスから手紙が来た

アドニスから手紙が来た。
黄砂にのせて
とどいた知らせ。
君はまだ元気でいるかと。
アドニスの詩の朗読は
長かった。
砂漠の詩人。
その身体化した詩は
音楽となった。
人々は感動し
砂となった。
アドニス
君はまだ元気でいるか。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


12月28日

 今年も残すところあと僅かとなりました。弊社は基本的に12月29日から1月4日まで冬季休暇となります。今年はいろいろな事がありすぎました。これを教訓に来年へのステップアップにつながればと思います。私個人としましては、35歳になり周囲からはランナーズハイだと言われますが、元旦の午後から365日、休まず働き続けられる体を維持できた事には満足しております。
 しかし何と言いましても、黒川先生の他界により、苦しく悲しい年でした。独立後、お会いする機会が増えたのも今年に入ってからで、自分でも馬鹿ではないかと思うくらいの悲しみを制御できずに苦悩しました。

 今回の詩にて「アドニスから手紙が来た」のご紹介は終了します。最後の詩は、若年層または後世への彼らしい大きなメッセージとなります。この詩集をどのように受け止めるかは人それぞれだと思います。私には私なりの理解の仕方がありますし、建築家黒川紀章がどのように考えこの詩集を記したか、皆様に考えてもらえるきっかけとなっていただければ幸いです。

 これだけ苦しい一年というのも珍しいと感じております。来年こそはこの苦しんだ一年を跳ね除ける飛躍の年としたいものです。


水平線

青年達よ。
君達は
夢を見ているか。
水平線の彼方(かなた)に
もう一つの水平線を見たか。
青年達よ。
君達はまだ
夢を見ているか。
宇宙の彼方の
星雲の中に
もう一人の君を見たか。
彗星(すいせい)の輝きに
自らを投影したか。


*「詩Ⅰ-アドニスから手紙が来た-」より引用


バナースペース

株式会社田中俊行建築空間設計事務所

〒106-0047
東京都港区南麻布3-19-16

TEL 03-6438-9977
FAX 03-6438-9978
→アクセス