本文へスキップ

株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

コラム 2008年

1月7日  コラムタイトル05-01

あけましておめでとうございます。

 皆様ご存知のとおり、昨年秋から仕事の進捗が悪くなっておりまして、今回も休日返上で働いておりました。一昨年の正月と同様、厳しく多忙な日々を過ごしておりましたが、正月は誰からも電話がないため、むしろ快適で充実感を得られました。

 現在、提出期限の迫っているコンペが4つありますが、2件に関してはこの正月で何とか形になりました。あとは休み明けにプレゼン資料にする所員の努力を期待するのみです。残る2件は都市計画と某建築物の指名コンペです。この2つは、評価はされなくても後悔する案を提出したくないと考えております。弊社の飛躍を象徴する案を提出すべく、全力で取り組みます。

 そして今年から会社の繁栄を考えたり、性分ではなく中途半端に丸くなった振りを止めます。自分の創るべき建築の為に突き進む事ができる環境、そしてそれを実現する為に失うモノを追わないという年にしようと思います。今までもそのように思っておりましたが、それを適確に実現できなかった弱さは私の責任です。強い意志をもち、本来独立した目的と相違していることが多いジレンマも全て払拭します。

 師が私の独立を容認した事に加え、昨年の5月に師から言われた事はこれだったと、元日にお墓参りをして感じました。この精神の連続と継続が、新たな建築の運動の第一歩となるのです。「7月にまた会おう」と言われ、お訪ねしなかった事をずっと悔いておりましたが、当時の私は師とお会いする価値のない人間であった事に気付きました。

 今年の5月で弊社は5周年を迎えます。他にも書きたい事はありますが、多忙の為割愛します。しかしこの日まではとにかく全力で突き進もうと思います。

 ………以上、小さい会社を設立して5年を迎え、元日の朝に決意したことを記しました。
 本年も宜しくお願いいたします。

                                田中俊行


1月15日  コラムタイトル05-01

 3連休で仕事の合間に、ショールームを回りました。毎日デスクワークなので、このような見学が貴重な体験となります。良いモノを見つけるのは愉快であり、インターネットで検索するのとは違った印象をもたらします。やはりインターネットはウィンドウショッピングには勝てないと感じました。

 日曜日に偶然通りかかった本屋に入りました。本屋に入ると衝動買いしてしまう悪い
癖があるのですが、この日も例外なくその衝動はやってきました。その本は私が苦学生だった頃、どうしても欲しかったのですが手の届かなかった本でした。教科書代わりの本でしたので、内容等は今でも鮮明に覚えています。その本を手にし、所有できる喜びは理解され難いかもしれませんが、私にとっては貴重な喜びなのです。まだまだ学生の頃に買いたかった本はあるのですが、ボケるまでには揃えて再読し、当時の志などを思い出すきっかけとなればと感じました。

 独立して以来、私のパソコンは3台目となりました。365日休みなく働かせているので、寿命が短いのは仕方ないと思っておりますが、今回の壊れ方は正月休みを返上させた私への腹いせのように感じました。数年前に壊れた時は、メールアドレス等のデータも破壊され苦労しましたが、今回はそれを教訓に「pst」等のバックアップを取っていたのでデータの紛失もなく、最小限の損害ですみました。しかし、パソコンや携帯が無いと生きていけない世の中というものは如何なモノなのでしょうか。


1月21日  コラムタイトル05-01

 土曜日に「狭笑の家」へ行ってまいりました。昨年クリスマスにご招待されて、酔っ払ってしまった時以来の訪問でしたが、素晴らしく良い家になっておりました事を嬉しく思いました。
 「狭さを笑い飛ばし、その明るい家庭の笑い声が建築を大きくする」というコンセプトでしたが、まさにその主旨通り、人が集い、皆が楽しそうにしている建築に進化しておりました。設計期間を長く頂けただけこの住宅に対する想いも強く、いろいろな事があり時間はかかりましたが、結果的に純粋な美しい建築ができた事に満足しております。改めて「美しい建築は美しい家庭から生まれる」と実感して帰社しました。

 これがあるから住宅の設計は…のです。


1月28日  コラムタイトル05-01

 寒くて凍える日々が続いております。「病は気から」と思っていますが、この寒さに負けてしまいそうな情けない自分がいました。首も痛く、その痛みは頭痛へと発展しております。この痛みと仲良く付き合いながら、コンペを戦うのは至難の業ですが、年頭に誓ったように力のある限り、痛みに負けず精進しようと思います。

 人とお会いし、話をする場面が増えるにつれ、自分の語彙力の無さを痛感します。また人と会話をしているにも関わらず他の事を考えたり、突然会話をするのが面倒になることもあります。これも歳のせいなのか、単に脳ミソが足りないのか、この失礼な態度に自分で自分が嫌になります。このような態度は改善せねばならないと何時も思うのですが、なかなか容易にできずにいます。

 夢の中で仕事をし、夜中にうなされて起きることも増加の傾向にあります。暗闇の中で起きる度に、自分の頭がオカシクなっていく恐怖との戦いとなります。お恥ずかしい話ですが、この恐怖とも生涯仲良く付き合わねばならないのだと感じられるようになりました。苦しみに耐えながら、建築は創出されます。まだまだ未熟者ですが、今のところ私はそんな建築家です。


2月4日  コラムタイトル05-01

 テレビでは何度か見た事がありましたが、Mビルさんの許可を得て港区の1/1000模型等を見学してきました。非常に面白い体験でした。隣にマンハッタン、上海の同スケール模型も並べられ、都市によるスケールの相違を思い知らされました。ただ、マンハッタンの密度は見るに耐えないものでした。最近の港区もどうかと思っていましたが、マンハッタンの模型を並べ、近隣説明会等で見せられたら、自然と「港区の方がまだましかな?」と思わせられる事となるでしょう。Mビルさんは上手いです。それと模型を前に眺めていると、港区が自分のものになったかのような錯覚に陥ります。これ以上のコメントは避けさせていただきますので、行間を読んでください。
コラム写真05-02
東京都港区模型

コラム写真05-03
マンハッタン模型

 最近の建築雑誌を眺めていると「平和ボケ建築」だと感じます。建築の透明性など誰が言い出したのか不知ですが、住宅建築であれば、家族を守り育む手助けをするものと思います。しかしながら露出狂のような住宅や、中途半端に木を除けて設計された建築が掲載されています。木からすれば、甚だ迷惑な話であり、「それならば陽当りの良い場所に移植してくれヨ!」と言いたいに違いありません。

 難しい話ですが、以前は建築論に関して、AかBか新たなCかという論争があり、作品が作られていたように感じますが、今はAの領域の中で、A-1またはA-2かという論争でしかないように感じます。またある意味で、建築が女性化しており建築家も女性化しているように思えてしまうのですが…喉のイガミと共に、悩ましい日々が続きます。


2月12日  コラムタイトル05-01

 現在、弊社はコンペの締め切りラッシュでして、あまりの忙しさから私が集中できないコンペが1件ありました。納得のいかない仕上がりだったことと、私を含め社内で風邪が流行っており、皆の体力に配慮して、先週の火曜日に断腸の思いで提出を断念する決意をいたしました。ところが、所員からの熱い要望で3連休の期間で再挑戦する事となり、徹夜を含め、マスクをしながら弱った体に鞭を打ち、昨日提出できました。所員の熱意に感謝せねばなりませんが、風邪が完治せぬまま残すコンペはあと2件です。今週末と月末に提出しますので、それまでは何とか得意のランナーズハイで行こうと思います。

 コンペは参加することにも意義があるのです。勝つ事は嬉しいことですが、建築を考えるチャンスが与えられる訳で、社内の脳ミソの活性化にも繋がります。でもそれにハマリ過ぎると、現実を把握できなくなる怖さがあるので、注意せねばならないのです。


2月18日  コラムタイトル05-01

 コンペの提出は残り1件となりました。咳もほとんど出なくなり、最後のコンペに全力を尽くす所存です。2月はそのほとんどをコンペに費やしていますが、現在施工中の共栄大学学生会議室は本日から学生が工事を手伝う事になっており、私も参加します。この建築は10年後ではなく、100年後が楽しみな建築です。今回のプロジェクトはあくまで実験ですが、このような姿勢で建築を志せるようになれたのも、黒川先生のアドバイスのおかげであり感謝しております。しかし、この寒さとコンペの連戦連敗は流石に堪えます。


2月25日  コラムタイトル05-01

 以前、港区の1/1000模型に関して記しましたが、埼玉県春日部市の都市計画コンペに参加することもあり、同スケールの春日部市版模型を作ってみました。この密度差は結構愉快に感じます。見ただけでどちらが地球環境に良いのかは明白ですが、春日部市の利便性の悪さも明白になります。最近の設計者は3Dばかりで綺麗に優しいタッチで表現されますが、やはり模型の方がスケール感や立体感を得るのに最適であることは間違いありません。3Dは我々専門家でも騙される事が多いのです。

 ここ数ヶ月に多くのコンペに参加しましたが、最後であるこのコンペにて、私はある都市計画論を発表します。おそらくコンペの主旨から少し外れた案となるかと思いますが、コンペに合わせてアイディアを出すのではなく、私のアイディアをコンペという場で発表し、評価されるか、されないかは二の次と…。

 あと3日、睡眠時間を削って何とか仕上げられる光が見えてきました。


3月3日  コラムタイトル05-01

 先週金曜日に最後のコンペ提出を終え、土日に雑用のため出社しましたが、体に力が入りませんでした。この脱力感は、春日部共栄の中学棟以来かもしれません。
 本日、春日部共栄高校の卒業式に行ってまいりまして、彼らの旅立ちを嬉しく思うと共に、彼らから力を貰った気がします。まだ疲れが取れず、体力的にシンドイのですが、彼等の眼差しからエネルギーのお裾分けを頂戴し、何とか明日からの仕事意欲へと繋がればと思います。


3月10日  コラムタイトル05-01

 土曜日に東京都庭園美術館にて「建築の記憶」を鑑賞してきました。写真家が語りかけるような表現、建築家と写真家の関係等、学ぶことが多かったと感じております。特に前川國男氏の力強さと丹下健三氏の上手さが印象的でした。伊藤豊雄氏のメディアテークも良かったですが、彼があれを超えるモノに何故到達できないのかが、私には理解できないのです。

 終戦後、焼け野原に建築を建てる事は、皆の士気を高める要因があったと聞きました。今、建築を建てる事は、商売ありきで、儲からない建築の提案は拒絶されます。私の卒業論文の中で「サティアン」に関しても記しました。「宗教建築が建築に興味を無くした典型であり、宗教建築がそうなれば、その他の建築はそれに順ずる」という内容でした。残念ながら現在、港区はその通りの街並みとなってしまいました。建築家は世間からは図面描き屋さんと評価され、ローコストで建てられる箱が評価されます。

 建設業のターニングポイントは今だと思います。CADの導入により、作図作業は早くなりましたが、そのスピードアップにより生じた時間の使い方を間違えたのです。姉歯問題から始まり、建築界の仕事量は半減し、淘汰される事でしょう。量よりも質、無機質よりも情熱的な建築の時代になるはずです。そうならない時代が続くのであれば、私は日本の建築に背を向ける所存です。そう思わせるくらい「建築の記憶」は素晴らしい展示でした。


3月17日  コラムタイトル05-01

 現在、港区の景観委員という役割もあり、討論の場も増えました。建築家以外の方も多く、そのほとんどの方々が建築に関しては、「建築の均一性=美しい街並み」と考えているのではと思うようになりました。集落を研究している方も多いと思いますし、私も学生の頃、少しだけ勉強しましたが、同じ素材・形状で連なる空間は、それを使う事が最もその環境に適している、または使わざるを得ない等の理由があるからであって、現在の日本の建材で建築の均一性を求める事は意味がないと思っております。ワークショップで良好な場所・改善すべき場所の写真を提出したのですが、私が改善すべき場所という意味で撮った写真が、良好な場所となって出てきました。そもそも港区の景観とは何なのか、建築は無機質に建つという役割で良いのか、建築と景観に対して疑問が湧いてきました。

 アヴァンギャルドとキッチュという対比がありますが、追求すれば今の建築のほとんどは単なるキッチュの進化型でしかなく、例えば、ピカソの絵はそのプロセスやメッセージを無視され「風変わりな」という評価しかされなくなる世の中となってしまいます。人間の思考能力の低減は、芸術作品となる建築を「景観法に適していない」として実現させない効力をもたせようとしています。私の意見は抵抗勢力と評される程度でしょうが、できる限りの意見はする使命があると認識しております。


3月24日  コラムタイトル05-01

 独立して以来、はじめてゆっくりと時が流れる年度末を経験しております。何時も時間があったらこれをしよう、あれをしようと思っていたのですが、実際にそうなると普段は気にならない雑用が気になり、そちらに気が取られてしまいます。

 先週末にようやく、世田谷信用金庫玉川支店の壁面広告が設置されました。弊社では専門外ともいえる4.5m×9mと巨大な壁面広告に挑戦したのですが、なかなかの出来栄えに満足しております。この広告は環境問題を訴えるデザインとしており、それに順じて通帳もデザインさせていただきました。4月中旬から使用される予定なので、ご興味のある方は是非、各支店に足を運んでいただければ幸いです。


3月31日  コラムタイトル05-01

 本日竣工予定であった「共栄大学学生会議室」が遅延してしまいました。過去に例のない構造・デザインコンセプトであったので、現場を見ながら少しずつ手を加えて施工しております。早く完成させたいという逸る気持ちを抑えながら「この箇所はこうやった方が良いのでは?」となれば一度そこまで戻り、現場の担当者や作業員と一緒に頭を悩ませながら作業しております。この建築を見ていると、私の建築に対する原点の一つになるのではないかと感じます。まだまだ研究が足りない事もあり、次年度に向けて薄っすらと目標が見えてきました。


4月7日  コラムタイトル05-01

 政治の事は良く分かりませんが、社保庁の件で野党が文句ばかり言っているのが聞き苦しくなっております。私は何党でもないですが、こんな問題が生じた時は、与党に責任があるのではなく、政治家全員に責任があると何故思えないのでしょうか。公約がどうこうではなく、与野党一丸となって3月末までに全て解決できるように努力をすべきと思います。野党は問責どうこう言っていますが、だったら自分達が政権を取って野党の協力なしに解決できるのかと思ってしまいます。他人事に考えている野党の志の低さを痛感しております。

 政治の歴史も何も分かっていない素人ですが、最近の日本社会はマイナス志向で自分さえ良ければという傾向にあるように感じます。港区内のマンション乱立現象に関しても、建てる側が「自分達がお金儲けできれば良い」というスタンスでしかないのです。いわば建て逃げであり、その中でも一人暮らし用のマンションの多さは、利回りが良いというだけの理由で乱立し、家族形成の崩壊とコミュニケーションの欠如を見事に演出しております。ヴィジョンなき都市計画は都市の崩壊へと導きます。この都市を変えなければならないと私の師は言っておりました。都知事選での公約は見事でしたが、メディアによってそれは遮断された印象です。そして都民の皆様の殆どが現知事を選ばれました。まったくオカシイ都政を黙認する都民のレベルの低さを感じます。

 水上バスで東京湾からの夜景を楽しめますか?私にはその夜景はウィルスかゴーストにしか見えないのです。


4月14日  コラムタイトル05-01

 春を感じたのかスパッティフィラムが一輪の花を咲かせました。久しぶりに花が咲いたので気持ちが明るくなりました。笑顔が出たところで「最近笑っていなかった」と深く反省しました。
 最近は、自分の頭にある建築や考え等を描きとめようと考えて、作図をしたり油絵を描いたりしております。建築の設計が本業ではありますが、その領域に留まる事がベストではないと思うようになりました。やれる事は全てやり、その中の表現手段の一つに建築という領域があるという生き方のほうが自分に合致していると感じております。


4月21日  コラムタイトル05-01

 昨晩、大阪から仕事で上京していた知人と会いました。私の修行時代を知る人です。2時間半程度しかお話しできませんでしたが、カウンセラーのように私の苦悩を紐解いてくれました。感謝しております。今の私の精神状態はあまり良くはないと思っているのですが、何としても5月16日までは自分の中で闘い抜こうと思っています。彼からのアドバイスを参考にしながら努力しようと思います。実はもう一人お会いして話しをしたい方がいるのですが、関西で忙しく働いている方なので、時間を見つけて会いに行こうかと思います。

 共栄大学等のご協力もあり、研究という名目で会議室を建てさせて頂きましたが、今回の建築コンセプトは実現できず失敗に終わりました。非常に悔しい思いです。黒川先生はじめ、皆様にも見ていただきたかったですし、建築業界を圧倒できるだけの案であったと思っておりました。新たな建築の運動と考えており諦めきれず、この案の実現には、新しくお施主様を探して建てさせていただかねばならない状況です。非常に残念です…ガッカリです。どなたかこの作品を建てさせていただければ幸いです。

 先週のスパッティフィラムに続き、万年青のツボミを発見しました。開業以来、私が辛い時や悩んでいる時に、季節関係なく必ず花を咲かせてくれます。この二つの鉢植えには魂が宿っているのではと思ってしまいます。私は多くの人々に加え、鉢植えにまでも助けられて生きていることを実感させられました。


4月28日  コラムタイトル05-01

 最近、もう一度論文を書くべきかと悩んでおります。
 研究室にいた頃の研究テーマは「見世物論」でした。サティアンの無関心建築話も然りですが、「建築から人を見せる事がデザインとなる」傾向がありましたので、それを論じておりました。私の論文は現在の流行建築の最先端でした。都心の敷地は地価の高騰と共に小さくなり、ファサードしか見えない無関心な箱を作り、住宅内は「生活という行為を見せ合う事が気持ちよい」と。風景の良い部分に関しては外壁をガラスに替え、動植物に生活を露出しサヴォア邸以下の建築となりました。室内を透明にする事は「子供に目が届く」「家族の和が形成される」と一見都合の良いように思いますが、単なる過保護で子供からすれば親から見張られ甚だ迷惑な話しであり、胎内回帰願望を満たせない子供のストレスとなるのです。そのような子供も20年で社会人となります。建築家が社会に与える影響の多大さを考えるべきと思います。私は大学でエリート集団にはいませんでしたので、このような皮肉を込めた論文を記して評価を得ました。ただ、若気の至りで隈さんや菊竹さん等、実名を出して痛烈に非難してしまいました。

 皮肉を込めていうならば、今の建築はダイエット建築だと思います。そろそろ拒食症建築となり崩壊し、次の時代がやってきます。今の流行が間違っていたと思うようになるのです。社会の流れを読めば容易です。特に住宅建築の変化は急を要します。そして新たなコンセプトが必要となるのです。個人的には、40代の建築家に注目しておりますが、安藤さんや伊藤さんの後を追いかけているだけのように感じてしまいます。誰かが新たなコンセプトを発表したとして、その対抗馬を用意し、先日建てさせて欲しいとプレゼンをしてきました。しかし私はその次の時代を読んでいます。


5月7日  コラムタイトル05-01

 会社の移転を考えております。今の事務所に不満があるわけではないのですが、会社の5周年が間近となり、そろそろ気分転換も兼ねて…という考えです。場所は未定ですが、日本に留まるかどうかも含め悩んでおります。私の建築を実現できる環境を自ら探さねばという認識です。

 ここまで5年間多くの方に助けられてまいりました。しかし、社会という荒波は私を飲み込もうと力を増し、私はそれに逆らう事に必死でここまで会社を継続してまいりました。連休を使ってある絵を描いていますが、その想いを描写した絵となっております。皆様にお見せできる腕ではないので公表できませんが、笑いながら「あの頃描いた絵」という日が来ればと思います。


5月12日  コラムタイトル05-01

 今週の金曜日(5月16日)は、弊社の「5歳の誕生日」です。設立時には「5周年は盛大に」と思っておりましたが、派手な事を好まない性分であることから、当日は長寿庵でひっそり飲む事としました。特に誰を誘うという事もせず、弊社を心配してくれてこのコラムを毎週読んでいただいている方を、この場を借りてお誘いさせていただきます。

 場所が分からない方は(http://www.ttaa.co.jp/p030721.html)をご参照ください。一緒に祝っていただける方は老若男女問わずどなたでも歓迎いたします。会費制とさせていただき、御祝儀等はご遠慮させていただきます。なお長寿庵さんの準備もありますので、事前に参加される方は弊社にご連絡いただければ幸いです。時間は18時半頃から始めようと考えております。お会いできる方が一人でもいれば嬉しく思います。


5月19日  コラムタイトル05-01

 金曜日の宴は、ひっそりと朝の3時まで飲んでしまいました。ご来訪いただいた方々や長寿庵さんも連れ回し、学生のような夜遊びをしてしまいました。羽目を外してご迷惑をおかけしました事、この場を借りてお詫び申し上げます。

 5年前に株式会社を設立し、何年存続できるかという不安と、自分の作品を残す事との間で葛藤がありました。1年経って喜び、2年経って3年経ってそれぞれの年でそれなりの喜びがありました。そして昨年の設立記念日には、偶然にも私の師である黒川紀章氏との対談が実現しました。彼からの助言は、会社を存続させる事に不安に感じ、建築の進むべき道に悩んでいた私の迷いを一掃してくれました。昨年10月12日に師は亡くなりました。非常に痛く苦しく涙が止まらず、仕事なんかできない自分がいました。今年に入り、コンペの連戦連敗の経験と多くの本を読みました。今の頭にある図面を施主から依頼されなくても描き続けました。建築図面で描ききれないモノはヘタクソな油絵として表現しました。この5年間の想いが先日のアルコール度数を上げたと言い訳させていただきます。

 今年度に入り、実は333の奇跡が起こりました。詳しくはお伝えできませんが、一歩一歩邁進しているのかと感じております。今期はチャレンジの年です。現在、ある「新しい建築家のあり方」という幾つかのプロジェクトが進行しております。全てが成功するとは思いませんが、自分のやるべきと思った事に関しては、胸を張って全力で努力しようと思います。

 最後に、沢山のお花や祝電、メールを頂戴しました。ありがとうございました。私の逆流はまだ始まったばかりです。
コラム写真05-04コラム写真05-05


5月26日  コラムタイトル05-01

 以前、世田谷信用金庫の通帳デザインをしましたが、かなりの人気だと報告を受けました。非常に嬉しく思います。この通帳を使うのには「みどり応援隊」という寄付を必要とするのですが、通常100円で手にする事ができる通帳であるにも関わらず、数万円の寄付をしてくださった方もいると聞きました。人間もまだ捨てたモノではないなと感じました。


6月2日  コラムタイトル05-01

 5月は心地よい忙しさと共に、あっという間に過ぎ去っていきました。現在、港区内の小学校の仕事を頂戴しておりますが、役所に行くにも現地に行くにも徒歩圏内で、こんなに楽な現場はないなぁと感じております。5月は散歩気分で現調をしたり、東京タワーや増上寺を経由しながら役所へ行ったりとリラックスできました。図面は…といいますと、久しぶりに集中して自分で作図をする等、まだまだ作図スピードは若い子に負けてないなと一人で喜んだりしております。慣れない積算には多少苦労はしましたが、何とかまとめ上げる事ができました。いろいろな仕事にチャレンジし、一歩一歩成長していく事務所となれました事を嬉しく思います。

 6月に入り、これから梅雨を迎えることを考えると憂鬱になるのですが、私の社会に対するメッセージは、今や建築だけではないと考えられるようになっただけで気持ちが楽になりました。


6月9日  コラムタイトル05-01

 ご好評につき、世田谷信金の「みどり応援隊」看板の2作目を依頼されました。私の師が提唱した「共生の思想」に繋がる運動であると認識し快諾しておりますが、看板のデザインは建築のコンセプトを考えるのとは違う脳ミソを使うので、良いトレーニングになります。トレーニングといえば、区内の現場や役所に行くのに自転車散策を楽しんでいます。徒歩での散策も心地良いのですが、自転車は風を感じる楽しさがあります。ただ、港区は意外と坂が多く、負けず嫌いな性格から肺はゼイゼイ、足はプルプルしながら坂を登ります。下り坂で勢いの付いた先に赤信号があると本気で悔しんだりしております。周りの人には笑われているでしょう、もう直ぐ36歳のオッサンですから…。


6月16日  コラムタイトル05-01

 写真家である大橋富夫先生の写真集出版を祝う会に招待され、出席してきました。大橋さんがお元気そうで嬉しく思いました。改めて写真家の力強さを感じさせる大橋さんのコメントも素晴らしかったです。出席者もそうそうたるメンバーで驚きました。久しぶりに私の大学時代の師である石山修武先生ともお話しができ、同時に時の流れも感じました。

 ただ私はこのお祝いの席で、一つの時代の終わりを感じました。一時代を築いた、または今でも流行の建築家たちが、酒に酔いながら祝辞を述べておりましたが、その内容や仕草は自らの時代の終わりを告げるモノと感じてしまいました。

 この祝う会はたまたま黒川先生の月命日に行われ、私は早朝お墓参りをすませ、この会へと向かったのですが、偶然にも現黒川事務所社長で黒川先生のDNAを持つ未来夫(みきお)さんとお会いしました。黒川先生が会わせてくれたのかと思いつつ、会話がかなり盛り上がり、酔っ払いの祝辞は殆ど聞いておりませんでした。この会話内容のおかげで、今まで私を取り巻いた暗雲が、完全に取り払われた気持ちになりました。新たな時代の始まりなのかもしれません。

 黒川先生が亡くなる前日に、夢の中で言われた「この刀のように力強い建築を創れ」という言葉を忘れぬよう、刀を湾曲させ社章にしております。やっと力強い建築を創る準備が整いました。自ら選んだ建築家という生き方、なかなか手強いモノです。


6月23日  コラムタイトル05-01

 金曜日に宴がありました。私がどうしてもお会いしたかった方が関西から出張と聞き、無理やり会っていただきました。またその席に、現黒川事務所の所員も同席し、新たな建築運動の第一歩がスタートしました。

 現在の建築界は、王道無き時代となりました。相撲でいえば横綱不在という意味です。歴代の横綱は半分引退したような格好ですが、あまりに新たな横綱が出てこないので、心配でもう一度横綱になろうかと考えている建築家もいるくらいです。流行の建築家は小結程度であり、その状況にアグラをかきチヤホヤされ、下から這い上がろうとする者たちを追い払っているだけなのです。我々は小結ではなく、横綱に再びなろうとする建築家に、「その必要は無いのではないか…」と思わせるだけの運動をせねばならないと感じます。


7月1日  コラムタイトル05-01

 先週、ある会社で講義をしてまいりました。私の仕事内容や建築家としての生き方等を話してきたのですが、講義の時間と同じくらい質疑があったので驚きました。寝ているような人が全くおらず、講義を受ける側のレベルの高さを感じたと共に、こんなに集中して熱心に話しを聞いてもらえると嬉しく思います。

 実は、調子に乗って自転車を利用しすぎまして、ギックリゴシになりました。腰痛は中学生の時からで、仲良く付き合う事としておりましたが、2週間後36歳になろうとしているオッサンが、その「付き合い方」というルールを乱してしまいました。結構傷むのですが、このルールをこの歳で乱した事の恥ずかしさが勝ってしまいます。座った状態から立ち上がる時が最も痛みが激しく、今は本棚の上にキーボードを置いて直立状態で仕事をしております。慣れぬ立ち仕事で足が筋肉痛です。

 一昨日から、タバコを吸う事を控えております。以前から「タスポを持ち歩くくらいなら止めてやろう!」と思っていて、それを実行しているだけなのですが、意外と簡単にタバコを止められています。吸いたくなる衝動はあるのですが、ある呪文を唱えると吸う気が失せます。禁煙を志したい方いらっしゃいましたら、私までご一報ください。何時まで止められるか分かりませんが、最大禁煙歴1ヶ月の記録は更新したいと思っております。


7月7日  コラムタイトル05-01

 辛い一週間でしたが、腰痛は大分良くなりました。数人からお見舞いメールを頂戴しました。ありがとうございました。あと2,3日で完治すると思います。私は夏に生まれた事もあり、夏が四季の中で最も好きです。梅雨明け間近で暑い日々がやってきます。私の力を最も発揮できる季節の到来です。

 毎週更新しているこのコラムですが、何時も日記のようにはしないようにと思っております。結果、日記のようになる時もありますが、私が何をしているとか興味のある人はほとんどいないだろうと思っていますし、自分をさらけ出す事を好みません。加えて「自分の知り合いの殆どがこれを読んでいる」と錯覚せぬようにとも考えています。では、何の為にこのコラムがあるのかと悩む事もありますが、これは私の足跡であって、考えていること気付いたことを毎週メモするという行為でしかなく、それを毎週更新と義務化することで、一週間に一度は考える時間を持てるようになればと考えます。そして「HP上で公開する以上は、何らかのオチがないとまずいだろう」と思うようになったのは大阪での生活があったせいで、今はそのオチを考える時間が長くなってきまして、自分のキレの無さを痛感しています(今週のオチもイマイチだと…)。


7月14日  コラムタイトル05-01

 「建築技術」からの取材依頼があり、世田谷美術館にて開催されている石山修武氏の展覧会を観てきました。9月号に掲載される記事となりますので、また締め切りに追われた生活となります。

 昨日誕生日を迎え、36年間生かしていただきました。12歳になった時はすごく喜んだ事を覚えていまして、24歳になった時は「もうあの時の感動から倍生きたか…」と建築を志し始め、燃えておりました。36歳になり、自分の生き様が少し分かるようになりました。妥協という意味ではなく、私はこのような生き方しかできないし、自ら選択した生き方と思っております。

 石山さんの展覧会でも石山さんの生き様を感じる事はできました。人それぞれの生き方がありますし、どの生き方も否定できるものではないなと思います。石山さんの生き方は誰も真似できないと思いますし、私も将来若者からそういわれる建築家でありたいと思いました。ただ、石山さんは早稲田の教授になっていなければどのような生き方としていたのかと思ってしまいます。斬新なのは良いですが個性的すぎて、あの作品に住みたいというクライアントはなかなか現れない気がするのですが…。今回の記事は少し書き方が難しいと思っております。


7月24日  コラムタイトル05-01

 更新がかなり遅れました。月曜日に一度記し終えていたのですが、しょうもない政治家の事を記したツマラナイ内容で、更新するのを拒んでいました。素人が政治を語るのは間違いではありますが、洞爺湖サミットだけは納得がいかなかったので…。

 「建築技術」の原稿もアップしました。私がこの場で記している事の一部を訴える文章にできましたので、HP以外に私の現在の建築に対する意見を発信する事ができそうです。

 小学校の校庭改修の図面を描くのに、炎天下の中現地調査をしてきました。小屋にウサギが一羽おりまして、愛想がよく子供たちが大事に育てているからだろうと推測できます。「この暑さ何とかしてくれ!」と言われたように感じまして、ウサギ小屋の改築を考えようかと思いました。私の最小規模の大作品となるかもしれません。あとはウサギの為に役所の方を説得する作戦を練らねばなりません。


7月28日  コラムタイトル05-01

 浅草の花火を鑑賞してきました。私の友人3家族と共に隠れスポットから観たのですが、駅に集まる若者の浴衣姿を見て、少し嬉しく思いました。着かたもダラシナイ、化粧もどうなのと思う若者もいますが、浴衣を着るという文化を継承してくれている事に間違いはないわけで、いわゆる「最近の若者」といわれる人々を少し許せるようになりました。これも年齢のせいでしょうか。また花火も綺麗でしたが、友人家族の幸せそうな笑顔と会話も嬉しく思いました。苦学生だった私を助けてくれたこの友人達は、非常に大切な仲間であり、財産であると思っています。それだけに皆の幸せそうな家庭を見ると自分の事のように嬉しく思います。そして幸せのお裾分けを頂戴して帰りました。
 学生の頃、共に過ごした仲間でしたが、バブル崩壊のどん底時期に、それぞれ異なる道を選択しました。思い出したくもない辛い話しも多々あるのですが、絶対に忘れてはならない仲間と過ごした日々が、私の建築家としての原点です。しかし正直なところ、当時の私は彼らにとっては悪友であり、私を許容してくれた彼らに頭が上がらないというところでしょうか。


8月4日  コラムタイトル05-01

 日本で外食をする席には割り箸が置かれ、コンビニ弁当にも必ず付いておりますが、割り箸を割る音が環境破壊の音であると気付きました。今更ですが、私は年間約300膳くらいの割り箸を使った後、捨てております。エコ通帳やエコ建築を考案してきたにも関わらず、このような初歩的なエコ活動ができていなかった自分を恥ずかしく思います。多くの日本人が使用している割り箸ですが、突然割り箸が消えれば、日本人は環境についてもっと考えるようになると思います。今までは、ガソリンを使わない車等を日本人が開発する事でエコリーダーになれると思ったのですが、その前に日常で環境破壊を黙認するのを止めて、国民のエコに対する士気を高める事が良策と思います。

 また日本は「使い捨て文化」となってしまいました。使い捨てカメラやコンタクトレンズだけではなく、靴下が破けたら捨てますし、保証期間の超えた家電製品は基本的に修理する事はないと思います。携帯電話は新型が出れば、多少の傷があるだけで古いモノを平気で捨てて買い換えます。昔、家電を修理するお店があったかと思いますが、今はすっかり見なくなりました。私がベルリンへ行った際、通常のゴミ箱とは別に、不要となった衣類を入れる大きな箱が街中にあり、それは孤児院や発展途上国に送られると聞きました。日本ほどの使い捨て国であればなおさらこの箱が必要なのではないでしょうか。
 私は貧乏性で「捨てる」という行為に抵抗があり、革靴の靴底は何度も張り替えて使っております。それは基本的に恥ずかしいとは思わないのですが、先日クリーニング屋にシャツを持参した際、「これはもうそろそろじゃないの」といわれたときは、我ながら恥ずかしく黙って持ち帰りました。


8月11日  コラムタイトル05-01

 国土交通省から「11月から新しい建築士制度がスタートする」という葉書が届きました。姉歯問題があったにせよ、事件と関係のない他の設計者を苦しめるだけ苦しめ、更に苦しめようとする法改正のスタートです。これでまた景気は悪くなるでしょう。しかし、建築士というのはここまで追い込まれても、デモをする訳でもなくノンキなモノです。私の所属する(社)日本建築家協会も色々動こうとしていますが、トップの考えに疑問があり困惑しております。
 私はこの法改正自体には反対ですが、マンションの乱立スピードが遅くなった事を嬉しく思います。デベロッパーの建て逃げ建築が設計者を粗雑に扱い、結果姉歯問題となりました。特にワンルームマンションの乱立が、家族・社会をも破壊しようとしておりましたので、ここで止められた事は、地球レベルでは間違ってはいないと思います。
 今建築は新たな時代を迎えます。これだけ厳しい状況となり、その中で生き延びる術を見つけられなければ、設計者として生きていけなくなるのです。加えて地球環境を考えるのであれば、今は何も建てない事が本来の建築家の役割であるように感じます。「仕事がないから」「食べていけないから」という理由で、クダラナイケンチクを作る事を肯定するようであれば、人類に未来はないでしょう。
 秩序とは人間が定めたモノであり、それを乱すことは許されません。しかし、これだけ環境が悪化すると秩序の見直しも必要かと思います。以上、私が学生の頃論じていた内容とまったく変わらず、それを訴え・行動できずに10年以上経過しました。「時代に流されない未来を考える建築家」を目指したところで、「何も社会を変えられない=何もしていない建築家」でしかないのも事実です。この状況を打開する為の活動もせねばならないと考え「有言実行できる場」を探さねばなりません。


8月18日  コラムタイトル05-01

 北京オリンピックでの応援を観て、他国がミスをして自国に点が入るときの歓喜は、人として問題があるように感じました。加えて「人のふりみて我がふり直せ」と思いました。柔道とレスリングの差が無くなってきたと感じるのは私だけではないと思いますが、柔道を正式種目から外し、日本の伝統術を守って欲しいと思いました。柔道とJUDOは一緒にする必要は無く、レスリングの中に「JUDOスタイル」という競技を増やせばよいのです。

 中国は世界を代表する「キッチュ奨励国」です。中国人は、偽ディズニーランドを作り、オリンピックでの口パク等、数え切れない程の信じられない行為を、特に恥じるべきとは感じないで普段生活をしているのです。その行為はここには書ききれないほどです。ただ、あまりに露骨な行為であるという理由で、世界から非難されるのです。社会は、現社会中に広がる「隠されたキッチュ氾濫」に気付こうとしない、無関心を装う人間社会を奨励しているだけなのです。ディズニーランド自体もキッチュの代表であり、それを黙認する社会はそれ自体のキッチュが現れた時、それを「偽」という言葉を使い否定する事で自らのキッチュを守るのです。

 愛国心をあおり、どこか宗教的な集団と化した国家は、何よりもどのような手段を使っても自国が最も素晴らしい国だという印象を世界に発したいと考えました。その結果が、社会を騒がす醜い宗教団体の如く、私の目には映ります。今回のオリンピックでの行為と同様、歌手を教祖とするようなコンサートも私には受け入れられません。しかしこれも学生時に論文で記した内容から何も変化をしていないのが悔やまれます。


8月25日  コラムタイトル05-01

 週末に名古屋へ行きました。土日は全休しようと思っていたのですが、名古屋でも数時間の打合せが入り、日曜日も帰京後仕事をしました。相変わらず休めない症候群となりましたが、名古屋での主目的である友人結婚式に出席し、友人や親族の幸せそうな顔を拝見し私まで幸せな気分になりました。同級生の中でも、早期に結婚した者と独身の者と様々ですが、それぞれの幸せな生き方を感じ、嬉しく思いました。
 名古屋を含め都市といわれる場所は「その憧れから自らの特色を捨て、皆東京という仮想都市になりたがっている」と新幹線の中で友人と話しました。名古屋らしさを堪能したかったのですが、当たり前のように45階の贅沢な洋室に泊まり、チャペルで式を挙げ、披露宴も美味しいフレンチで、2次会は「神戸館」という店でした。3次会はホテルの最上階のスカイラウンジでシャンパンを飲み、4次会の芋焼酎、5次会の韓国焼酎...と午前様になってしまいました。帰りの新幹線で唯一名古屋らしい弁当をと思い「ミソカツ弁当」を買いましたが、朝9時に食べるには重たすぎました。結果、久しぶりに関東圏から脱出し楽しいひと時を過ごしましたが、小さくなった胃に肝臓クラスの負担をかけてしまいました。


9月1日  コラムタイトル05-01

 建築ジャーナル9月号に、チヤホヤされている流行の建築家が「コンクリートにこだわっている人もいるが、自分は同じことを何度も繰り返すと飽きてしまう」とコメントをしていました。安藤さんを否定しつつ、自分の方が優れているとアピールしたかったのでしょう。学生の頃からこの建築家だけは嫌いで、論文にも散々な事を記しましたが、堪忍袋の緒が切れてしまいそうです。何故彼のような建築家がチヤホヤされ「飽きる」とまで建築を馬鹿にしたコメントを発する事をメディアは許容するのでしょうか。こんな事を書きたかった訳ではないのですが、突然の馬鹿げたコメントに驚いてしまいました。

 港区の景観委員が終盤に差し掛かり、建築家としてどうしても「均質な空間=良い景観」を否定せねばならないと考え「皆様に嫌われるのを覚悟で発言しますが…」という切り口で発言をしました。おそらく理解いただけたかと思い、嬉しく思います。学識経験者の前での反対発言は、袋叩きになる可能性も高く、少々の緊張感を伴いましたが、今回の学識経験者は非常に柔軟・温厚で、港区の事をよく考えておられます。素晴らしい景観法ができると思います。また、区民の意見を募集しましたが、おそらくディベロッパーの方々からと思われる多くのクレーム意見がありました。残念ながら、港区の景観委員はそのような脅迫には負けないでしょう、この景観法によって港区が美しいまちに生まれ変わる事を期待したいと思います。


9月8日  コラムタイトル05-01

 「みっともない身体」という難しい本を読んで以来、本の内容とは違うのですが、自分の身体も変だと思うようになりました。高校の生物で習った遺伝子の話しに、直毛と癖毛はそう難しくない計算で分類されるよう教えられましたが、私の髪はその両者がエリアに分かれて混在しております。身体のバランスが悪いのは幼い頃から明白で、左右対称ではないのは成長過程での運動のせいかもしれませんが、生まれつきブラックジャックを想起させるほど、肌と肌が縫い合わされたように質の異なる境界がはっきり分かります。更に足の人差し指は異常なくらい突起しております。足の人差し指が長いのは悪い話ではないと幼い頃からいわれてきましたが、私のこの指を人に見せると恥ずかしいくらい驚かれます。
 この自分の“みっともない身体”を見ていると、私はあまり重要視されずに創られた失敗作だと思ってしまいます。五体満足であることに感謝し、文句をいうつもりはありませんが、もし私を創った神様がいるのであれば、笑いながら品質の悪さを指摘したいものです。


9月16日  コラムタイトル05-01

 最近のコンペは表向き、話題性を作り多くの中から選ばれた優れた作品と評しますが、「結局あなただったのね…。」とがっかりさせる事が多いです。審査員の弟子や友人関係、交友のある流行の建築家が優勝する事が多いと思います。大手設計事務所が選ばれる場合は、案よりも所属する一級建築士の人数や類似業務数などのいわば組織力が重要視されるコンペとなります。
 弊社のような弱小事務所は、どのコンペでも門前払いとなっていることでしょう。参加することに意義があるとは美しい「いいわけ」ですが、実際には1コンペで100万円以上の経費を投入して参加する訳で、経営者としては厳しいところです。
 しかしこの連戦連敗を乗り越え、その先の何かを掴むまで耐え抜かねばならないと感じております。実現しないモノへ脳ミソを使い、多くのアイディアを無償提供するのは流石に疲労蓄積されますが、この忍耐力が建築家には必要なのだと、自らに言い聞かせ精進しております。と、格好の良い言い方に聞こえるかもしれませんが、実際は焼酎に頼り肝臓に負担をかけ「その先の何か」が何なのかも分からずに、働き続ける日々を過ごしております。


9月22日  コラムタイトル05-01

 今年はリセットの年だと考えております。建築基準法も再度改正されますし、今までの仕事のやり方では通用しない時代がすぐそこまでやってきていると思っています。どのようにリセットするかという明確な答えを得ている訳ではないのですが、現在のスタンスも近い将来多くの設計事務所に浸透するでしょうし、私はそのまた一歩先を歩まねばと感じております。

 久しぶりに「長寿庵」へ行ってきました。相変わらずの美味しい料理と蕎麦焼酎を堪能し、店の雰囲気の良さも嬉しく思いました。店内は長寿庵一家のお人柄に助けられ、本当に雰囲気の良いお店となりました。漫画本にまで掲載されたと聞き、見せて頂いたのですが、どうみても私のデザインした作品が無断で漫画化されておりました。無断とはいえ、評価をしてくれている描き方をされると決して嫌な気分にはなりません。漫画の世界に登場した長寿庵も是非皆様に御覧頂きたく、近日中に購入し許可を得て掲載しようと考えております。
 しかし最近は長寿庵に行くと酔っ払ってしまう傾向があり、身内でもないのに気を許しすぎていると反省しております。これも長寿庵の魔力なのでしょうか。


9月29日  コラムタイトル05-01

 建築家とは?

 定義も無く自称建築家は多く、建築家協会に入会していれば建築家だと限定したいところですが、入会するのに特に厳しい審査もなく…それならば、建築家協会に所属している人すべてが建築家といえるのかと疑問が生じています。
 個人的には「己の人生すべてを建築に捧げられ、建築を創出するだけの知識と技術を取得し続ける努力をする者」と思っておりましたが、「...建築に捧げられる」とは少数意見のようです。後者だけでは、ただの設計者としての定義であり、建築家の定義とはとても思えません。優れたデザインができる者だと思う方は多いかもしれませんが、感じ方は千差万別で時と共に価値観も変化します。同時代に自分のデザインに賛同してくれる人が多くいる者とは、もはや時代遅れの意見です。他にどのような定義があるのか考えますが、もう少し年齢を重ねなければ回答は得られないのかもしれません。
 私は今現在、売れない建築家であると認識しておりますが、それを恥じてはいません。ただ真面目に建築を考えられない状況にならぬための努力は惜しみません。真面目にかつ純粋に建築と向かい合い、自分の作品として創れる建築が目の前にあることに、感謝し日々過ごしております。


10月6日  コラムタイトル05-01

 今度の日曜日で黒川先生の一周忌です。非常に長い一年でした。亡くなる5ヶ月前に対談し激励され、亡くなる前日の夢で指導され、そのメッセージが私には遺言のように感じてしまい、精神的に大打撃を受けてしまいました。多くの方々にご助言をいただき、現在は完全復活しましたが、そのメッセージを何一つ実現できていないジレンマとの戦いは継続しております。継続しているからとはいえ、難題なだけに実現するには運とタイミングが欠かせないと思っており、今はその時期ではないのだと自答しております。
 黒川先生のお別れ会から髪を切らなかったのですが、週末に集まりがあるので髪をバッサリ切りました。不思議な出来事も多々あった一年でして、現在でも私をあざ笑うかのようにデスク上にまとわりつき、こちらに話しかけてきそうな蜘蛛を追い払えずにいます。


10月14日  コラムタイトル05-01

 黒川事務所のOB会に参加しました。集まった方々とお話しをさせていただき、改めて故黒川紀章先生の偉大さと、彼を支えた歴代スタッフの素晴らしさを感じました。今後、黒川事務所がどのように発展していくのかも非常に楽しみです。その他ここには記さず、胸の内にしまわせていただきます。

 日曜日には中学時からの友人と恩師に会いました。大学の友人に比べ、高校の友人、中学の友人と下がっていけば行くほど、業種も色とりどりとなり、話していてもその場で教えられる事が多いです。改めて建築の世界とは「井の中の蛙」であると認識した次第です。


10月20日  コラムタイトル05-01

 HP中の作品に、コンペでの落選作は殆ど掲載しておりません。実現した建築よりも余程コンペ落選作品の方が、私の脳ミソを表現していると思うのですが、それを掲載できない悲しさは、「自分で実現する前にその案が盗まれる事を恐れて」という理由からでしょう。この考えはあまりに情けなく、宜しい判断ではないと思いますが、だからといって掲載できるだけの度胸があるかと自問すれば、今の私には不可能な領域です。

 春日部共栄中学棟ファーストスケッチは、竣工したモノとは全く違いましたがお施主様を説得できずに却下され、数年後他者によりそれに類似した作品が実現されました。盗まれた訳ではないと思いますが、そのような経験を他のプロジェクトでも数度経験しました。しかしそのプロセスが、私の未熟な部分であると感じております。隈さんといえばルーバーを多く使うイメージがありますが、私が学生の頃は使っていなかったと思います。私は研究室所属時にルーバーを、隈さんとは違い機能的な建築デザインに導入した作品を創りました。よってルーバー建築の先駆者はヒソカニ自分だと思っております。


10月27日  コラムタイトル05-01

 この事を記すと頭がオカシクなったと誤解されそうで遠慮していたのですが、最近弊社のバルコニー近くから2、3匹の野良猫に呼ばれます。特に餌付けしているわけでもないのに鳴きながらこっちを見てヒナタボッコを楽しんでいます。それが変な鳴き声で毎日朝夕とやられると不思議な感覚になります。何を嗅ぎつけているのかも知りませんが、犬派である私に色目を使い洗脳しようという行為に感じてしまいます。私は「オカシナ猫たちだ」と笑いながら感じておりますが、猫も「オカシナ人間だ」と思っているのかもしれません。または私を仲間だと勘違いしているのであれば猫ではないと教えてあげたいと思いますが、馬鹿げたマネーゲームで失意している人間社会をみると、気持ち良さそうに寝ている猫の仲間に勘違いされている方が幸せかと思ってしまいます。


11月4日  コラムタイトル05-01

 大学研究室時代の同期からの突然の連絡で会うことになり、何ともいいようのない嬉しさを味わいました。忘れかけていた記憶もよみがえり、ついでにここには記せないような若気の至りまでも思い出してしまいました。課題を一緒にやっていて、徹夜が続き、提出日の朝に完成させ、少し横になっただけのつもりが、気付いたら夕方で…という苦い経験までも想起しました。

 私の陶芸の先生が個展を開いており、鑑賞してまいりました。相変わらず、真似のできない美しい仕上がりに驚きました。個展は大学3年くらいに家族で住んでいた荻窪で行われていましたので、懐かしい住宅をひと目見てからと思い、立ち寄りました。駅からの街並みやお寺を通ると近道ができる等の記憶がよみがえり楽しく散策していましたが、家に近づくと大きな空き地となり、工事計画のお知らせ看板が立っていました。一瞬やられたかと思いましたが、その先にポツンと見覚えのある家を発見しました。よく開発の力に負けず建っていてくれたとボロボロになった古屋をみて思いました。

 現在の社会情勢により「空き地・駐車場・建築計画のお知らせ看板が立ったまま」という場が増えました。殺風景と感じる方多いかと思いますが、私にはホッとする場となっています。


11月10日  コラムタイトル05-01

 不況の中、日曜日も24時近くまで働く多忙な日々を送らせていただける事に感謝しております。今月に入り、猫の手も借りたいほど忙しく、バルコニー越しに鳴きわめく猫たちが、スタッフに化けてくれたら…と。
 すっかり寒くなりましたが、その分軽快に仕事をやり遂げて忘年会シーズンを迎えようと思います。
コラム写真05-06


11月17日  コラムタイトル05-01

 先週、猫の手も借りたいくらいだと記しましたが、昨晩夕飯を食べに行こうと会社の扉を開けると猫が3匹待ち構えていました。近寄ると逃げ、去ろうとすると寄ってくる、これを3度繰り返しました。「本気で手伝う気だったのか」とは、少し頭がオカシクなったようなコメントですが、本日の朝には玄関前の植木が荒らされていました。仕事を手伝った気になったのかもしれませんが、私には仕事を増やされただけの結果となりました。(冗談はこれくらいにしておかないと本当にオカシクなったと思われそうです。)
 開業以来の忙しさなのか、当時より体力が無くなっただけなのかは分かりませんが、疲れて手足がシビレル程となりました。ユンケルを飲み、スーパーマンにはなれないなと思いながら、猫に製図を教える夢だけは見ないようにせねばと感じています。この忙しさの中、多くの知識を得る事となりますが、次の建築作品を創る為の修行と思い、昔ある方から教えられた「人の3倍のスピード」で仕事をしております。


11月25日  コラムタイトル05-01

 今週末から5日間、父島に行くことになりました。元日から働き続け、休むことがストレスになってしまう私の身体には、丁度良い休暇のような仕事となります。現地で如何に快適な作図作業ができるか楽しみです。世界遺産になるかもしれない美しい島内に、私の手がけた建築があるというのが最大の魅力です。個体としては作品性のない仕事かもしれませんが、今後の建築家として生き方を見つめ直す為に重要な5日間だと認識しております。留まりたいと思わず無事に帰って来れれば…の話ですが。


12月1日  コラムタイトル05-01

 現在、父島にいます。残念ながら天候に恵まれておりません。宿は素泊まりなので、散歩をしながら朝食を食べられる場所を探し、昼は手作りと思われる弁当、夜は小さな家庭的居酒屋です。昨晩は不思議な料理と焼酎を一升頂戴しました。ご想像のとおり美しい大自然に囲まれて仕事をしております。
コラム写真05-07


12月8日  コラムタイトル05-01

 父島から戻りました。
綺麗な空気を吸っていたせいなのか、内地に戻ると空気の臭さや汚れに敏感となり、頭痛にまで発展しております。父島で感じたこと、考えたこと、いろいろ記したい事はありますが、まだ頭の中で整理できておりません。

 船から見る都市の景色は、空気が汚れ、環境破壊している工場のようでした。戻りたくないと思ったのが行きの船中でしたが、戻らざるを得ないのが現実でした。こんなに汚れた都市に住まわねばならない人間を哀れに思いますが、「自業自得、それを何とかしてからまた来いよ!」と父島から言われ、追い返されたのかもしれません。

 父島上陸から出港する1時間前まで太陽を隠されるというイタズラ付の1週間でした。
コラム写真05-08

コラム写真05-09


12月15日  コラムタイトル05-01

 春頃からお酒の席で、「政府のやるべき投資は国内エネルギー開発だ!」をツマミとして話しています。今年はオイルマネーの高騰、リーマンの崩壊などで日本中が振り回され、麻生首相はその対応が第一と言いながら、単に首相生活が楽しくて楽しくてやめられないだけのようにみえます。日本が他国に振り回されない世界のリーダーになる為には、雇用どうこうを首相が考えるのではなく(雇用は経営者の責任という意)、新たなエネルギー開発の推進に力を注いで欲しいと思います。私が総裁選に出馬するならば、「今こそ民間と提携して新たなエネルギー開発に取り組みます」と公約しますが…。

 それとは別に、教育の問題は今後更に大きな問題になると感じます。スポンジ教育の中で育った弱く優しい子と、彼らをぬいぐるみのように抱きかかえる親が増えており、この拡張は危険度が高いと思います。
 人間は動物であるから、特に男の子は幼い頃に真剣に喧嘩をせねばならないと思います。真剣に喧嘩をする事で、心身の痛みが分かるようになります。親の教育でできるというのは綺麗ごとで、実際には体験したからこそ知る事が大半を占めます。子供の喧嘩が親の喧嘩に発展するのはナンセンスです。
 ゲームの世界で殺し合いをし、他人への怒り方・不満のぶつけ方・ストレスの発散方法を知らない子供が大人になると、今年も起きた信じられない犯罪へとつながるのではないでしょうか。だからこそ特に男の子には、アザやカサブタが勲章であるという教育が必要だと思います。

 私の作品である春日部共栄中学棟ですが、遊びに行くと先生から「生徒があそこを壊してしまって…」と謝られる事があります。勿論、普段は大事に使ってくれてありがたく思いますが、何故か容易に強化ガラスが割れたり、手が届かないはずのボードが足跡付で割れていたりと、少年達のエネルギーを苦笑い付で微笑ましく思います。
 私が小学生の頃は、1年中坊主頭に半袖短パン体操着で薄着を競っておりました。白い体操着は毎日帰るまでに泥だらけとなりました。殴り合いの喧嘩は頻繁にあり、傷かアカギレか分からないくらいでした。このような子が今の小学校にいたら、どのように教育され、友人はできたのかなど…心配になる事が多々あります。


12月24日  コラムタイトル05-01

 オバマ氏が代替エネルギー開発に投資すると伝えていました。先週のコラムを読まれて…という話しではないですが、日本の首相よりも先に動かれてしまいました。日本の技術力は米国に安値で買われ、やはり日本経済は米国に頼るようになるのでしょう。国会議事堂に通う人々は、何に脳ミソを使っているのでしょうか。先が読めず自らを守りたがる「政治家」は、何時の日か近い将来「政治屋」と呼ばれるようになるでしょう。

 今週末で弊社は一応仕事納めとなります。いろいろあった一年でありました。特に「建築を建てる行為自体」を考え悩んだ一年だったと感じております。自分で創りたいモノを施主に押し付ける気はありませんが、創りたいモノがあるから建築家の道を選択した訳で、その創りたいモノの為であれば、生活も人生も捧げる気でいるにも関わらず、コンペに参加し審査員から喜ばれる案を創る事は、その本意と異なると強く感じました。私は会社設立から今までお施主様に恵まれ、特に営業らしい営業をしたことはありませんでした。しかし来年は創るべきものを見極め、「建てたい建築の為の訴え」をもう少し積極的にしてみようと思います。父島のように建てたい場所も更に増やすことができればと思います。

 お誘いいただいた皆様と忘年会をしたかったのですが、忙しさのあまり今年の忘年会は殆どすべてキャンセルしてしまいました、申し訳ございませんでした。新年会の予定は特に入れておりませんので、また誘ってください。個人的には大晦日まで仕事をし、元日の午後から仕事を始めます。毎年恒例になりましたが、今のところ私の人生はこんなところです。


バナースペース

株式会社田中俊行建築空間設計事務所

〒106-0047
東京都港区南麻布3-19-16

TEL 03-6438-9977
FAX 03-6438-9978
→アクセス