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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

コラム 2016年

1月12日 「A happy new year」
コラムタイトル13-01

 あけましておめでとうございます。

 年始に数名の方からメールがあり、心配させてしまいました。「コラムの更新ないけど生きているのか?」と。
 年末年始バタバタしており更新が遅れましてすみません。多くの方から「コラム読んでるよ」と年賀状に書いてあったのにも驚かされました。

 弊社は4日に仕事始めでしたが、私は毎日会社にきておりました。毎年恒例となりましたが…。

 実は年末にある現場で問題が生じ、その対応に追われておりました。それにしても最近の現場というものは愛情がないというか、無責任というか希薄さを感じます。すべてがそうだとは言いませんが、現在やっている数件の現場でそう思うのです。小さい現場でも私が来るのを待って「どうしたらよいか夜も眠れませんでした」と言ってくれる現場の方もいますし、小笠原の現場は技術力がなくても皆建築を楽しんでいると感じます。
 本来であれば私は年末年始に油絵を描こうと思っていたのですが、その時間を割かれ、何でこんなことになり私の貴重な時間を費やさねばならないのかと少々イライラしておりました。


 1月の2日と3日の半日ずつ、油絵を描きました。100号の絵はやはり難しいです。
 木炭で下描きをした時には気付かない「形状の誤り」に気付くと描き直しに時間がかかり、遠くから見ると気付くミスもあり、私は写真を撮って晩酌しながら毎晩絵のミスを探しております。
 この作品、今年の5月には間に合わないだろうなぁと感じておりますので、来年を目標にまた出展してみようかと思います。
 100号の絵を2枚描いているのですが、このコラムを読んでくれているマニアの方には隠れた絵のコンセプトが分かっていただけるかと思います。上手い絵とは言い難いですが、楽しみにしていてください。

 本業も油絵もあと幾つ作品を創れるのか…と不安になります。初夢はスタッフに給料が払えなくなって私の預金を崩す夢、次の日は私の建てた作品が何故か崩壊したけれど怪我人がいなくてホッとした夢…と今年になってからあまり良い夢をみておりません。
 年度末までは何とか持ち堪え、花見の頃にリフレッシュしたいと思います。


 それから初夢ではなく私の正月に考えた妄想なのですが、「東京タワーってどうしますか?」と自分にお題をたて、中銀カプセルタワーのようにしたらとか関西に移築して使ったらとか、東北の被災地で津波時の避難場所として使えないかとか考えていました。

 正月なのでポンポンと私の思うことを記しておりましたが、あまり正月らしからぬコメントでした。今年は…まぁ自分なりにできることをしたいと思います。
 愛犬華子もストレス満タンだと思いますので、旅行にでも連れて行ってあげたいのですが、その方がストレスかなぁとも思ったりします。
 肝臓以外の臓器は鍛え方が足りないようなので、今年は自分の身体をどうにか改善したいと思います。どうせまた健康診断で医者から怒られることになると思うのですが…。


 本年も宜しくお願いいたします。


1月18日 「Adidas-2」
コラムタイトル13-01

 あまりここに記すことではないかもしれませんが、昨年adidasと題したコラムを記したので少しだけ記します。

 私の親父は幼少の頃、私に野球を教えてくれ、「他人に絶対に負けるな、人一倍努力をしろ、正しいと思ったらその意志を貫け」と厳しい中にも愛情のある人でした。高校生の時に親父と腕相撲をして勝って以来、私は体力だけではなく、いつか親父を超えてやろうと思いました。

 そんな親父が事業に失敗したのがバブル崩壊の時でして、それ以来、私はダラシナイ親父と喧嘩を繰り返し、ここにも記せない様々な摩擦が生じ、黒川紀章にも迷惑をかけ、私は家族を捨て建築に没頭してきました。

 親父と会わなくなって15年以上が経過していましたが、新年早々変な知らせが届きました。
 「親父が危篤だ」と…。


 散々会うか会わぬか迷った挙句、大阪の伯父さんらに連れられて、昨日親父とのお別れ会をしてきました。変わり果てた親父、看病で疲れ果てた母を見て、私はバブル崩壊以後の親父との記憶を抹殺してやろうと決意し、親父に頭を垂れ、「できの悪い長男で悪かったなぁ」と声をかけ、建築家として人生を全うすることを誓って帰ってきました。


 野球を通して心身を鍛えてくれ、それを全力で応援してくれた親父。
 「あんたの長男で良かったよ、ありがとう!」


1月25日 「Nobody is perfect.」
コラムタイトル13-01

 前回のコラムの続きといえば続きなのですが、大阪の伯父が来たときに、実は田中家先祖の話をしました。

 田中家は岡山の庄屋だったらしいのですが、何故かそこに姫路城に近い神社の六男が婿にきて、今の田中家があるようです。当時の事は空想でしかありませんが、足利時代に後醍醐天皇が壱岐に島流しにされた際に、天皇に物資を届けた庄屋だったという説もあるようです。でもまぁ、六男とはいえ、神社から庄屋に婿入りする先祖とは…しょうもないご先祖様でなければ良いと思っています。

 田中家は長男が家を出ていく家系でもあるようで、私も含め出て行った長男はこれとこれと〜と家系図に指さし…笑い話になりました。


 親父と対面した次の日、華子は餌を食べませんでした…不思議なことに。

 同日私が会社の打合せコーナーで酒を飲みながら図面を見ていたら、横にスタッフが来て、仕切り板に隠れた感じがしたので声をかけても返事がなく、違うところからそのスタッフが現れました。死ぬ前に親父が遊びにきたのか、華子も不思議なモノをみて食欲がなくなっていたのか…。


 最後に、昨年のコラムで私の肝臓数値が平常になったと記しましたが、親父は肝臓が悪くなって死に至ろうとしております。もし親父が私の肝臓を良くするために…と思うと昨年書いたコラムが、私の馬鹿さ加減を物語っております。

 完璧な人間はいないとはいえ…情けない。


2月1日 「No buts.」
コラムタイトル13-01

 金曜日の朝、親父が死にました。

 私が見舞いに行った次の日、母が「俊行が来てくれて良かったね」と問いかけたら、笑ったらしいです。まぁ、行って良かったのかな…とそれを聞いて思いました。

 それにしても、心臓の強い親父でした。最後に「生きたい」という執着が垣間見れました。血圧が50を下回り、どう見てももうすぐ死ぬと思っても心臓は動き続け、2晩連続で徹夜待機し、私の方が具合が悪くなり看護師さんにお世話になってしまいました。

 明け方に「少し横になるから9時半になったら起こして」と伝えましたところ、9時半に看護師さんに叩き起こされ、走って病室まで行くと、すべての数値が急降下し9時38分に死亡確認となりました。

 親父の死亡確認中、そんなに数値の悪くなかった隣のベッドの方が急変し、誰にも看取られることなく亡くなりました。これはかわいそうだろうと思いました。


 母の希望もあり、通夜は行わずに告別式だけ行うことにしました。2011年に亡くなった野老さんと同じ四ツ谷のイグナチオ教会ザビエル聖堂で13時半から催します。私はクリスチャンでもないのに…という想いもありますが、つべこべ言わずにやることをやらねばとは思っています。


5月30日 「I just finished my drawing.」
コラムタイトル13-01

 コラムの更新が途絶えておりました。ちょうどタイミング良く「親父が死んだ」というコラムで途絶えた為、数名の方から私が気落ちしているのではないかというご心配をおかけしてしまいました。
 実はそのタイミングで、ある案件にのめり込みまして、休みなく図面を描き続け…気付いたら5月が終わろうとしておりました。ここ数年の私は、スケッチは描きますが図面はスタッフに描かせるスタンスとしておりましたが、スタッフに説明するのも面倒なくらいの難易度でしたので、自ら作図しておりました。やはり私は図面を描くのが好きなんだなぁ…と思いました。
 先週描き上げて納品してきましたが、私の代表作になること間違いないでしょう。

 本件の納品後、かなり疲労が出まして先週はリフレッシュするためにスタッフ全員定時で帰り、整体にも通い、週末にはある方の計らいで湘南の海で酒を飲みながら地引網を体験しました。


 「美術の窓」という雑誌編集者から結構気に入っていただけたようでして、6月号にも掲載していただきました。43歳なのに「注目の新人」らしいです。
 建築も油絵もあと幾つ作品を創れるか分かりませんが、可能な限り自ら追い込んで創り続けたいと思います。


8月1日 「Bumpy」
コラムタイトル13-01

 今年に入ってあまり良くない事が続いており、厄払いでもしようかと思っています。私は真面目に正直に生きているつもりなのですが、私を利用しようとする輩との戦いにかける時間をすごく無駄に感じ、一層のこと建築辞めてやろうかと思う日もありました。
 加えてザハやプリンスが死に、昨日はあの千代の富士までも…life is too short.と感じる中、異常な殺人事件、テロ等どうして命を大事に思わないのかと悲しくなります。
 実は何度かこのコラムに登場している野老さんの奥様も先日亡くなりました。私の事を息子のように可愛がってくれたお二人が亡くなり、かなりのショックを受けております。

 喪主の息子さんは東京五輪のエンブレムを棺に入れ、私はお花を右肩あたりに添えました。すると、私の右胸に電流のようなものが走りました。奥様から最後のメッセージを受け取ったように感じました。
 亡くなった野老夫妻、実はクリスチャンでして、私の母とも交流があったと知りました。私の母とは知らず、離ればなれの親子と交流があったとは…不思議な縁でして…納骨堂も親父と一緒なのです。
 ただ重ねて言いますが、私はクリスチャンではなく無宗教です。


 話は変わりますが、体調不良改善の為、朝昼ご飯を食べるようにし、弁当持参するようにしています。愛犬華子との散歩も早歩きでするようにしているのですが、昨日は【B案】の建築家夫婦とその飼い犬に遭遇し遊んでもらいました。あの建築家さんが柴犬を飼っていたとは驚きでした。しかもご近所だったとは…すごく素敵なご夫婦でした。

 あんな歳の取り方できたらなぁ…と思いました。そのためにも身の回りのbumpyを早いとこ何とかせねばなりません。


8月17日 「Before long」
コラムタイトル13-01

 頂戴している仕事の量に対し、スタッフ人員が足らなくなり困っております。これを読んで弊社にご興味のある方、またはこのコラムを読んでいただいている方でお知り合いがいましたら是非ご紹介願います。リクルート等の媒体での募集を行う事は止めました。
 面接で人の良し悪しは…。


 私の性分ですが…ご存じのとおり社会に束縛されることを嫌います。設計事務所を好きにやってきておりましたが、会社が大きくなってきますと社会とのかかわりが増してきましてストレスとなり、10年後を見据えて会社のあり方と私の生き方を考えております。
 黒川紀章やザハの苦悩を思うと私はいつまでも会社の社長でいてはならないと感じます。今現在も会社の事を良く考えてくれるスタッフに会社経営を委ね、私は再び自由に生きたいと思います。

 やはり私は「動物占い」でチーターなだけあって…。

 このような事を追い求めてしまいます。大株主であることは譲れないだろうと思いますが、やりたいことを切り開いて行くのが私の本来の姿で、それを我慢して…というのがどうも苦手であります。媚を売るのも苦手ですし、普通に「建築家」を名乗って枠にハマった建築基準法等の崇拝者にはなれないかと…。


 どうしても私に建築を創って欲しいという要望があればそれに応じますが、それもなければ…海を見ながら油絵でも描いて、自給自足生活も悪くないかと思っています。
 建築材料で古材探しをしていましたら、ある海近くの農家の方が「この藁葺屋根の倉庫、好きに使っていいよ」と言ってくれまして、これをリフォームして週末ハウス兼アトリエに使わせていただこうかと考えております。
 週末ハウスだけにとどまってくれれば良いのですが…。

バナースペース

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