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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

コラム 2013年

1月7日 「お札(おさつ)」
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あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。


 休み中は、ずっと油絵を描いておりました。毎年正月くらいしか描けないので、何年もかかった絵ですがようやく完成しそうです。
 この期間は毎朝蕎麦を食べ、昼飯は抜きで、描いているうちに夜中になってしまうことの繰り返しでした。建築とは異なり、ストレスもなく制作できるのでかなり集中して過ごせましたが、あっという間に年を越し、あっという間に仕事を再開せねばならなくなりました。


 夕飯は…というと、夜中ということもありコンビニで酒と乾物を買って帰る程度だったのですが、ある晩会計をしてお札を出してお釣りをもらって帰ろうとしたら、店員から声をかけられました。「お客さん!お札が2枚あります!」と。
 これが、一度ではなく数度ありました。自分では1枚のはずが2枚重なっていたようです。指が乾燥しているからだと思うのですが、たまたま店員が背中を向けて出ていく私に声をかけてくれたから良いようなものの、100%声をかけてくれているとは信じられず、私はおそらくいろいろなところで金をばらまいていたのだろうと想像し、貧乏性なので頭を抱えております。
 そういえば、行きつけの焼鳥屋でも11月くらいから数度返金されていました。


 新首相は経済再建と言いますが、そう簡単にはいかないと思います。メディアコントロールも手伝ってか、景気が上向きなような雰囲気ですが、黒い社会が淘汰されない限り、再建できたといってもそれは見せかけ(バブル)であろうと感じます。
 私のように皆が指を乾燥させ、お札をばらまけば良いのかもしれませんので、「指のスベスベクリーム」というものが売れれば景気回復できると悪戯に思います。


 新年早々、馬鹿な事を言っている場合でもなく、スタッフと力を合わせ、この不景気であっても精一杯戦って勝ち抜き、純粋な建築を創っていこうと思います。


1月18日 「除染」
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 昨今のニュースで、福島の除染でいろいろと問題が生じていると聞きます。
 そもそも、あれだけの広域を除染する事ができるとは思えず、このような問題は自ずと出てくると思っておりました。

 除染をして人が安心して住めるようになるにはどれだけのお金がかかり、どれだけの危険物を廃棄せねばならないのか、人は分かっているくせにそれを「誰かが何とかしてくれる」としか思っていないのではないでしょうか。

 私の復興計画案は、原発周囲20キロラインに運河を作る計画とし、それ以内は東電関係者以外立ち入り禁止としております。立ち入り禁止区域は、太陽光パネルや風力発電等、自然エネルギーを生み出す場としたいと考えます。原発付近に住む方々には怒られる案かもしれませんが、将来的に何らかの病気になってしまうリスクもあるとすれば、今運河を作り原発を隔離し、半減期を待って運河を埋めるべきと思います。
 復興予算も明白な使い方をしていただきたく、日本が復興するためには原発被害を見せないようにするのではなく、世界に発信して再出発する事だと思います。
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1月25日 「額縁」
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 数年前から計5枚の油絵を描いており、そのうち2作が素人レベルで納得のいく出来栄えとなったので、額に入れてやることにしました。
 知人から紹介された額屋さんは、この絵を引き立ててくれるアイディアをたくさん出してくれまして、素人の私が最良と思うものを選択させていただきました。おかげさまで意外と素敵な絵になりました。

 一つは「逆流」、もう一つは「先祖から贈物」というタイトルです。
 前者はもがき苦しみながらも、社会に流されぬよう自ら踏ん張っている足を描き、弊社の打合せコーナーに飾りました。後者は人任せの社会ではなく、地球で生きることができる人類のあり方を建築で表現しようという意味で描き、一昨年の作品である戸倉眼科の待合コーナーに展示させてもらう事になりました。

 どちらも額縁に入れるまでは人目にさらす腕ではないと思っていたのですが、額縁のおかげで何だか私が描いた絵ではないように見えてきました。こんなに額縁が効果あるものだとは思わず、額縁屋さんには感謝しております。
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1月28日 「写真」
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 建築写真界の巨匠である大橋富雄先生の写真展へ、行きました。スタッフを連れて行ったのですが、偶然にもお客さんがおらず、大橋先生に説明していただきながら…という贅沢な時間を過ごさせていただきました。

 写真展は、私が生まれる前後の建築や風景写真が主で、このころは幸せだったなぁ…と思いながら見ておりました。また、この写真展の会場が私のホームグラウンドである早稲田界隈でしたので、学生時代の馬鹿なことばかりやっていた自分を思い出し、学生時からも移り変わった風景をみて、私も歳をとったと実感しました。


2月7日 「会議」
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 ほぼ毎朝通る通勤前の散歩道で、毎朝約100羽のスズメが3mくらいの樹に集まり「熱い会議」を催しております。夏から気になっていたのですが、冬になって落葉しスズメの姿が露出することで、こんなにいたのかと分かり驚いているところです。

 細かい枝の中に入ることで、きっとカラスのような大きな鳥や猫から身を守っているのだろうと想像しております。かなり密集しているので、もう少しヒソヒソ話しても聞こえるのではないかと思いながら見ていますが、私の通う焼鳥屋の客もこんな感じだなぁ…と、通る度に思い出してニヤケテおります。


2月14日 「伊勢神宮」
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 3連休でお伊勢参りをしてきました。


 以前から行きたかったのですがなかなか時間がとれず、強引に奈良の白鹿さんと待ち合わせをして行かざるを得ない状況を作ったのですが、彼を2時間半も待たせるという大変失礼な事をしてしまいました。


 伊勢市駅から歩いて外宮へ行きまして拝観後、幻想的な池で浮いているような鯉と目が合い、バスに乗って内宮へ。
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 ところが、かなりの渋滞で途中下車。フラフラ歩きながら入った店で「伊勢うどん」を食す。ビールは我慢。混雑の中、招き猫と犬のツーショットを笑い、赤福前。行列に並んで土産を購入、私の苦手なアンコを並んでまで買うとは思わず。
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 いよいよ内宮前にたどり着くと青空…しかし人だらけ。政治家の団体や若い子に人気の歌手グループまでいて、六本木と変わらぬ人ごみ。五十鈴川でお清めをして、長々と歩き階段をのぼって、いよいよ卑弥呼さんとご対面。
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 目を開けると暖簾のようなものが風で揺られて全開となり、何とも感動的な光景。ご神木のような大木を眺め、天照皇大神宮のお札をいただき、バスに乗る。
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 駅に着くとちょうど電車がきて飛び乗り、17時ちょうどに松坂牛の店へ。贅沢三昧の肉をホオバリ、酒の摂取量を控えて店を出る。向かった先は大阪の店。

 大阪府警の現場時代から通う店の夫婦は私を見るなり笑顔。楽しい会話は尽きず、笑い倒して帰路につく。白鹿さんの奥様が駅まで迎えに来てくれ、第二の我が家感覚で慣れたように風呂に入り、慣れたように床に就く。


 翌朝は美味しい朝食をいただき、朝の散歩に押熊神社から秋篠寺、JRのCMを恨みながら人がいないはずだった苔絨毯を眺め、伎芸天様に挨拶。
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 前回来たときと同様にロウソクの炎は揺れ、線香を立てて感謝感激。秋篠窯を見学すると白鹿さんがオチョコを購入、茶碗くらいの小鉢はサービス。小さい方を買って、大きい方はタダ。首をかしげてご自宅に戻り、笑い有りの楽しいお昼を食し、西大寺へ徒歩。2年前に本を読んで勉強した西大寺だったが隠された謎を思い出せずに閉館時間。


 ならば…と周囲をフラツクも思い出せず、タイムリミットで奥様と合流。難波へ向かう途中の夕陽に感動し、私の代表作に似た形状の建物を眺めながらブタシャブの店へ。すっかり偉くなられたM夫妻は先に待っており、宴開始。楽しい時間はあっという間、握手をしてお別れ。


 お疲れの白鹿さんは電車でぐっすり。細い道を通り抜けるスリリングなバス中でも同様。家につき、風呂に入った後に飲み足りないとウィスキーをロックで。白鹿さんと奥様という順番で床に就き、私は他人の家でゆっくり一人酒を味わい就寝。


 最後の朝はタタキオコサレ、朝食後に昨年同様の整体師が登場。楽しい話をしながら肝臓を強く押され、痛みと共に反省。…と同時にお嬢さんが子供を連れて参上。こんなに小さな他人の子を抱くのは初めて。緊張している私とは裏腹に、幼子は私の肝臓を枕に寝る。家族団欒というものを体験させてもらいながら、皆でアツアツのラーメンを食し、お礼と共に別れの挨拶。


 帰りの新幹線もかなりの混雑で席が取れず、自由席で立ちっぱなしで一人反省会。


 伊勢神宮も感動しましたが、4世代からなる家族団欒の仲間に入れていただき感謝しております。特に私のような昼も夜も平日も休日も分からない生活をしている人間は、ある意味「奇人」であって、こんな生活をいつまでもしていてはダメなのではないかと思うようになりました。


2月25日 「月末」
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 1月末に納品した図面が数件ありまして、その検査が2月前半にありました。加えて2月末に納品する図面が4件ありまして、現在社内バタバタ状態で作図しております。
 3月までスタートを待っていただいているプロジェクトもあり、3月末に納品する図面も数件、この時期は毎年これくらいの忙しさではあるのですが、卑弥呼さんを拝んで反省した私は、アルコールを控えてスタッフと共に働きアリと化しています。


2月27日 「首痛」
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 伊勢から帰ってずっと首が痛くて、今週から腰まで痛くなりました。何か悪い事をしてしまったか…大遅刻はしましたけど、それくらいかと思っているのですが、誰かに首根っこを掴まれているように感じる痛みです。週末に治療してもらう事を想像し、とにかく明日の納品まで何とかもってくれと祈るばかりです。

 3月1日から1か月間、ある媒体を通してスタッフを募集します。弊社に合う方に出会えることを祈ります。


3月7日 「デザイナー」
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 私はこの言葉が好きではなく、あまり普段から使いません。理由は明確ではないのですが、おそらく「世の中で意味も分からずに軽々しく使われる事と、その言葉が実に曖昧であること、そして何よりデザインする人という意味なのに、稚拙なデザインをする人までそれに含まれること、さらにはそう言われる方々の態度をみて」だと思っています。
 これを読んだデザイナーさんは、これに該当しないと思ってください。

 建築のデザインと絵画、衣服、彫刻等のデザインは異なります。簡単に言うと発想までのプロセスは実に近いものがあると思いますが、それを実現するまでの検証時間(作図、法規チェック、施主協議、見積)が長くかかり、それを実現(施工、監理)するまでに携わる人間の数も桁違いです。


 週末に体を調整してもらい、急に詰まっていた血管に血が流れ始めたからか、しばらく立てない状況となりました。その後回復して体調が良くなったのですが…通わないといけないだろうと自覚しました。


 厄年になると体調に変化があると言われます。実際に若い頃と比べればいろいろと変化はありますが、まだ若いスタッフに負けずバリバリ建築に携われるだけ私は幸福なのだろうと思っています。
 しかしながら、社会の建築に対する考え方やそれに携わる人々の士気の低下を垣間見ると、私は「建築だけに携わるだけでは人生を全うできない」と思うようになりまして、ストレートに自己表現できる芸術活動もしていこうと思っています。
 私のアルコール摂取時間は、その活動時間に代わりつつあります。


 今週末から父島です。
 これで最後の渡航になるかもしれませんので、満喫して帰ってこようと思います。帰ってこなかったらすみません、優秀なスタッフがおりますので許してください。


3月18日 「WBC」
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 父島から戻ってきてしまいました。

 次に行く日程が決まっていないので、最後の渡航になる可能性もあり、お土産をたくさん買ったり、お世話になった人に挨拶したり、サメや鳥にお礼を伝えたり…最後はクジラに見送られて帰ってきました。

 島内でもWBCは放送されていまして、台湾戦の大逆転や安心して観ていられたオランダ戦は、居酒屋のカウンターで島民と共にアルコール付で楽しめました。しかしながら、それ以降の試合は時差の関係で観ることができず、昨日の惨敗をインターネット等で知りました。
 何となく後味悪く感じます。

 設計事務所のHPですが、野球少年だったので一言。

 「あのダブルスチールは誤り、全ての状況を考えられればあのサインは出さない。」山本浩二選手は好きでしたが、山本浩二監督にはガッカリしました。本当はもっと熱く書いていましたが設計事務所のHPなので削除しました。


3月27日 「花見」
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 久しぶりに花見をしました…何年ぶりでしょうか。

 おそらく、大阪府警の現場の皆と大阪城で花見をして以来かと記憶しております。昨年は雨で屋内宴になり、今年は発起人がリベンジをしたいという事で、四ツ谷のお堀端に集まりました。気付けば私の姪っ子の通う学校の正門前でして、私は被災地からいただいた男山「フェニックス」を持参しました。

 男だらけの宴でしたが、宴は父島での宴レベルに盛り上がり、ハシゴハシゴのハシゴで朝方まで飲んでしまいました。桜を見ながら2升は飲んでしまったので、一体どれだけの酒を飲んでしまったか…。

 年度末のバタバタ状態でしたが、桜が急いで集中して仕事をさせてくれまして、花見前にバタバタ業務を片付けることができました。
来年の花見は桜だけではない花があることを期待しています。
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4月3日 「厄」
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 おかげさまで体調も良く、仕事も順調ですが、厄年なのでいつか何かが起こるのでは…と怯えていたら、厳しい厄がやってきました。

 独立当初から私が通っていた焼鳥屋が、今年に入ってから3軒もなくなりました。そのうち一つは、一緒に旅行に行くこともあった仲の良い焼鳥屋さんで、連絡もなく廃業と張り紙されていました。その他、週に一度は通う店で頼まなくてもお酒を注いでくれる店や、夜遅くなってどこも閉店している時間でも、私を待ってくれた店も閉店…他に通う店がない訳ではないのですが、約10年も付き合いのあった店がなくなり寂しいです。

 給水所を失い、私にとっては“厄”だと思っております。私が己の身体に配慮して酒の量を減らしたのが店の売り上げに影響を及ぼすとも思えず(?)…しかしながら、3軒も続くとさすがに堪えます。

 厄払いと喜んでいるのは私の肝臓だけかもしれません。


4月17日 「期末」
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 昨年、会社の決算期を3月末から6月末に変更しました。3月末を決算月としていると、たくさんの図面納品と重なりバタバタ状態なので、少しでも3月の業務を減らそうと思ったのがその理由の一つです。図面の納期は変えられないので決算月を変えるしかないかと思いまして…。

 そのおかげで3月末は作図に集中できましたし、6月までには来年度の設計方針が決められそうであることなど、決算期の変更は有効であったと実感しております。


4月29日 「ハウスメーカー」
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 大学の授業で、「建築家たるものハウスメーカーと交わず」というような事を聞いた覚えがあります。
 現在はハウスメーカーが流行の建築家をブランド化し、ハウスメーカーとコラボしているようにみせながら商品化している。建築家は気付いているのに気付いていないふりをしている。現在の建築の向かう方向は誤りだと私は思っている。己を失い社会に流されて、それから抜け出せなくなっているというのが率直な感想。

 社会に流されず、惑わず、逆流もして10年間続けられました。


4月30日 「信号」
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 会社の近所に幼稚園があるので、母と手をつなぎ通園する園児を通勤時に見かけます。毎朝ジャージ姿で汗だくになっている私に、順番で交通整理(送り迎えの車用)をしている若奥様が挨拶してくれるのですが、皆綺麗な格好をしていて申し訳なく思っております。

 今までは通勤中は早歩きまたはジョギングだったので、横断歩道は、信号ではなく自分の責任で渡っておりました。しかしながら、信号待ちしている園児を見て、私も大人の手本として青信号を確認してから渡るようにしました。少しは社会教育に貢献しているかと自己満足しておりますが、ジョギングをサボる言い訳でないという事だけはご理解ください。


5月13日 「伎芸天さん」
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 奈良に秋篠寺という寺がありまして、私は毎年ここに通っています。今年になってJRのCMで紹介されたので、人のいない寺ではなくなったのがすごく嫌なのですが…。

 秋篠寺を知ったのは、奈良の白鹿さんの家に遊びに行きまして、団欒している時に彼が趣味で撮った秋篠寺の苔庭園の写真を見てしまったのがきっかけでした。どうしてもここに行きたいと言って連れて行ってもらいまして、それ以降毎年ここを訪れます。
 どうして毎年になってしまったかというと、苔庭園も美しいし、ひっそりとしたプライベートなお寺空間を感じるのも好きなのですが、このお寺に日本で唯一の「伎芸天」という技芸の守護善神?がおられまして、私の技芸の上達の為に足を運んで拝んでおります。

 ………とはいえ、まだ数度しか訪れたことはないのですが、行くたびに不思議な現象が起こります。それはこの美しい天女の前にロウソクがあり、私が伎芸天さんを拝んでいると、そのロウソクの炎が揺れて大きくなります。毎回、白鹿さんと行くと揺れまして、静電気か風か喋る音の振動か…と思っていました。
 ………という事もあって、今回独りで行きまして、30分以上その炎を遠くに座って見つめておりました。その間に拝んだ方は20人くらいでしたが、一度も炎は揺れず、誰もいなくなってから私は立ち上がり、そぉ~っと近寄り、いろいろあったお礼も兼ねて拝んでおりました…音も立てず。
 目を開けるとやはり炎は大きく立ち上り揺れておりました。確実に起こるこの現象は一体何だろうと思う訳です。

 伎芸天さん、しゃべってくれないかなぁ~と思うのですが、当然それはなく。でもこれだけの事が毎回毎回ありまして、私は伎芸天さんの虜になってしまいました。私は建築の神様がいると信じておりますが、私のやりたい事が建築の枠に納まりきれないところを考えると、私は伎芸天さんにも守られているのだろう…と感じてしまうわけです。


 今週木曜日で会社を設立して10年となります。
 当日は上野にあります天女がたくさんいるはずのお店をほぼ貸切りまして、宴会を行う予定です。当初銀座で行おうと思っておりましたが、来ていただけるであろう人々の人数を考えると銀座の店には入りきれないだろうという事になり、私を可愛がってくれて融通の利く上野の店に変更させていただきました。

 楽しい宴が今から楽しみです。伎芸天さんもお誘いしておきます。


5月17日 「お礼」
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 昨日、上野にあります昭和の香りのするお店で10周年記念パーティを催しました。遠路はるばる来てくれた方、お忙しいのに駆けつけてくれた方、他での飲み会を途中で投げ出して参加してくれた方等々、皆様ありがとうございました。

 参加できなかった方やお誘いすることができなかった方にも、10年を通していろいろとお世話になっていることに感謝しながら、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
 また人数の関係で急な場所変更となりましたが、快く場所を提供してくれたお店の皆様にも感謝申し上げます。

 乾杯のお酒をわざわざ関西から贈っていただき、皆で美味しくいただく事から会はスタートしました。

 会社を設立した頃は、ただただ日々忙しく過ごしていたように思います。あっという間と言いたいところですが、いろいろあったなぁと思う事もあり、苦労も多かったですが10年で成し遂げた達成感もあります。
 そういう事を思い出しては酒を飲み、歌って騒いでいましたので、かなり楽しいひと時はあっという間に過ぎてしまいました。今晩も騒ぎ過ぎたお詫びと忘れ物を探しに上野へ行こうと思います。

 10年もつぶれずに会社を経営できたこと、本当に応援してくれる皆様のおかげだと思っております。経営者としてはまだまだですし、建築家としてもまだまだ驕ることなく努力をせねばなりません。

 次の10年をどう生きるか考えながら、今宵過ごそうと思います。


5月29日 「醤油」
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 くだらない話ですが、昨年末から高血圧と言われるようになり、医者も含めた皆が「酒のせいだ!」というのですが、私はそうではないと思っています。私は他の人よりも酒の量が多いとは自覚しておりますが、二日酔いにもならず、飲んでいて他人に迷惑をかけることもありません。しかしながら、それでも自然と洗脳され、酒を薄めて飲むようになり、血圧計も得て毎朝計測しています。

 そのような感じで約半年経ちましたが、血圧は下がるどころか上がる一方でして、これはどうしたものかと思っておりました。
 ある日、知人と酒を飲んでいましたら、刺身につける醤油の量を指摘されました。確かに草加せんべいを食べて育ったからか私は醤油好きで、刺身の裏表に醤油を付けて食べていました。知人に言わせると、私は刺身の味を楽しむのではなく、醤油の味を楽しむ為に刺身を食べているのではないか…と。蕎麦好きなのも、蕎麦の香りが好きなはずが、醤油の入った「つゆの味」を好んで食べていたのかもしれません。

 現在、昼も夜も外食続きなので、醤油を控え、たとえ貧乏性であってもしょっぱいものは残すように努めております。何度も記しておりますが、今年は厄年なので、体調改善に力を注ごうと思っております。


6月5日 「ヨミ」
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 学生の時に師の一人である石山教授から、「建築家は10年先を読まねばならない」と言われており、その教えを守って過ごしております。それは建築意匠に留まらず、建築界の流れを読むということだと理解しております。これまでの読みは偶然かもしれませんが見事に的中しまして、弊社の経営も不思議と安泰しております。

 こんなことを、何気なく学生の頃に叩き込んでくれた師に感謝しているところです。

 10年後の建築界は…記すと問題になるかもしれないので記しませんが、弊社の経営方針や仕事内容を見ていただければ分かるかと思います。そして弊社の立ち位置が分かるように、少しずつ力を付けていきたいと思います。


6月18日 「希薄」
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 「昭和と平成の建築の差」の一つに、「濃厚さと希薄さ」があると思います。そうさせた悪の根源は、手描きの図面からCAD図へ変換されたことだと思っています。
 スケール感がなくなったことで、人間のスケールに合わない建物が増えました。CADは楽に図面を描けますし、不器用な建築士でもそこそこ綺麗な図面に仕上げる事ができます。

 フリクションボールペンというのが開発され、私がスケッチを描くときに便利だと思って全色揃えて使っていたのですが、ある日から使うのを止めました。それは打合せしている際に、彼らが私への説明用に描いた絵を直ぐに消して、何も考えずにまた描いての繰り返し見ていて、責任感のなさに疑問を持ったからです。
 自分の線に責任を持つという意味で、私は自分の線を消さないように、スケッチを描くときのフリクションボールペンの使用を止めました。


 建築設計業界は、夜遅くまで悩んで悩んで描いては図面を破り、また描いては上司と意見が合わずに対立して、結局徹夜した朝にハイテンションで作図を終えるというイメージがありましたし、実際、黒川事務所に在籍した際はそうでした。過酷とはいえ熱いものがありまして、苦労しただけに竣工した時の感動は…言うまでもありません。この感動を味わえない希薄な若者たちを、どうにか変えてやろうと努めるのですが、なかなか上手く指導できずに悩んでおります。


6月25日 「手摺」
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 先週検査入院をしましたが、それとは別に数日前から右足首が痛くなっており、歩くのに支障がなかったので放っておいたのですが、日曜日の夜から急に激痛に変わり、今は松葉杖を使って歩行しております。

 松葉杖の状態で危険なのが「下りのエスカレータ」です。私はまだ運動神経が悪くないのでバランスとりながら対応できますが、階段の上り下りもかなり苦労しております。普段このような力を使う歩行はしないので、あらゆるところが筋肉痛です。

 こんな私の助けとなってくれるのが、手摺です。手摺は、廊下や階段の設計をしていてあまり意味を感じずに、しかしながら法的に必要となるので設計に入れていますが、今の私には手摺をみると、砂漠の中でオアシスを見つけたと同じくらい嬉しく感じます。

 何故、松葉杖になったかは原因不明ではありますが、酒ではない事だけは断言しておきます。その病名をインターネットで調べると、昨今の私の環境を考えれば「なるほど!」と思う訳です。


6月25日 「新会社設立」
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 7月3日に設計事務所とは別の会社を設立することになりました。

 「株式会社みずきプランニング」と名付けましたが、みずきとは「若い木」という意味があり、皆様にいろいろとご教授いただきながら一歩一歩成長していこうと思います。業務内容としましては、田中の建築以外の活動をサポートしてもらう事がメインですが、その他こんな事ができたら良いのに…という気持ちを加えさせていただきました。リスクがほとんどないように設立しますが、この会社がどれくらい化けてくれるか…老後の楽しみになるかもしれません。


7月2日 「感謝」
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 先週は悪夢のようでした。

 右足がまったく動かせない状態で靴も履けないくらいに腫れあがり、歩く振動でも痛みを感じていたにもかかわらず、期末で忙しく、生まれて初めて松葉杖を使いながら汗だくになって近所を徘徊しておりました。仕方なくタクシーに乗る事もありましたが、基本は電車とバスに乗り、生まれて初めて「優先席」に堂々と座りました。乗り物の中でもそうでしたが、歩いていても「お先にどうぞ、私にできることはありませんか?」と話しかけられたり、子供も無言ではありますが、気遣いの対応をしてくれたりと、世の中捨てたものではないなぁ…と思える親切をたくさん受けました。
 おそらくこの方々と会う事は二度と無いに等しいと思い、親切を受ける度に深々と感謝の意を表しました。お辞儀をするだけでも足は傷みまして、逆に気を遣わせてしまいました。


7月8日 「再発」
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 先週で完治したはずが、日曜日の夜に痛みが再発し、松葉杖を借りてきました…とはいえ、仕事は待ってくれないので、会社を休むこともできず、役員からの命令で、ついに座薬を入れることとなりました。
 おかげさまで杖つきで歩けるようにはなりましたが、何を食べて良いのかさっぱり分かりません。焼酎は飲んで良いそうなので、葉っぱを餌に晩酌をする日々が続きそうです。

 ストレスのないところでゆっくりできたら完治するのだろうと思うのですが、それが許されないのがこの社会なので、私はいつかストレスにつぶされてしまうのかもしれません。


 まだまだ戦いますけど…。


7月19日 「無題」
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 先週の土曜日で41歳になりました。体調を気遣いながらのお祝いメール等いただきましてありがとうございました。疲労感たっぷりの誕生日でしたが、41年も生かさせていただいていることに感謝し、また一年精進しようと思います。


7月21日 「愛車との別れ-1」
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 約10年乗った愛車と別れる事にしました。私にはすごく乗り心地が良くて、手足のような車でしたし、まだ走れるのにここでお別れするのは少々辛いものがあります。
 会社を設立した年に買った「フェアレディZ」は(詳しくは説明しませんが)、私が金で苦労した嫌な過去を消し去る為に購入した車でした。今どき珍しいマニュアル車でしたが、燃費も良く、ストレス発散でアクセルを踏んだり、クラッシック音楽を聴きながら怒りを堪えたり、大事な打合せ前に心を落ち着かせてくれたり…ただただ感謝です。私とのコンビで、周囲の車とは比較にならないくらい俊敏に走れましたし、事故もなく、何度か調子に乗ってスピードを出して警察に怒られもしましたが、楽しい思い出の方が多くを占めます。被災地に向かう道中、地震でクラックの入った高速でしたが、ポンポン跳ねながらあっという間に駆けつけられましたし、末期癌の男の子が「Zに乗りたい」と聞いてその夢を叶えてあげる事もできました。

 廃車にするまで乗ろうと思っていたのですが、昨今の私の体調不良を考え、私が運転しなくても良い車を買おうという事にしました。後部座席が充実した車を買う事に加え、運転していても疲れない仕様にしました。

 かつての愛犬との別れほど悲しくはありませんが…購入者はこのコラムにまでたどり着くことができるか不知ですが、私がこれだけ大事に乗った愛車なので、くれぐれも事故のないように仲良く乗っていただければ幸いです。


7月29日 「愛車との別れ-2」
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 私の知人に愛車を売ろうと思っていたのですが買手が見つからず、先週木曜日に買取業者を集めて競争入札をさせていただきました。10年も乗った車なので高値がつかないのは分かっていたのですが…こんなものかと悲しくなりました。
 どこの会社も、金額的にはあまり変わらなかったのですが、この車を中古車屋に展示してくれる業者さんに引き取ってもらう事にしました。


 昨日、夜にファイナルランをしようと思っていたのですが、足が痛くて運転できませんでした。結果、最後のドライブは駐禁の切符を切られた「近所の法務局の往復」となってしまいました。

 愛車には悪い事をしてしまいました。


 そして本日、引き取りに来られたのですが、鍵を渡し引き取りの方が運転席に乗った瞬間、鳥肌が立ちました。あまりこんなこと記しているとバカだと思われるのでこれ以上は記しませんが、10年も苦楽を共にしたので結構悲しい別れでした。


 金曜日の納車まで…酒の餌になることでしょう。


8月8日 「す」
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 フェアレディZの車両番号は、「品川 331 す 3776」でした。

 「3776」は富士山の標高でして、安易に8888等のゾロ目や誕生日等の記念日を選ぶのが嫌だったので、私なりにこだわって発案したナンバーでした。

 今回の新車についても「3776」を希望しました。

 結果、「品川 33○ す 3776」となりました。ひらがなの「わ」がレンタカーなのは存じておりますが、その他のひらがながどのように選ばれるのかは知りません。でも偶然にも「す」まで一緒のナンバーになるとは思わず、愛車の足跡のように感じてしまいます。


 MTからAT車となりましたが、その他の操作も雲泥の差でオートマチックを感じ玩具のようです。同じ四輪自動車でもこれだけ違うのか…と思うほどです。

 これに慣れてしまったら、他の車を運転できなくなりそうです。


8月14日 「夏期休暇」
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 8月14日から16日まで弊社は夏期休暇でした。

 「今年は安心して休暇を取ろう」と思っていたのですが、毎年の事ですがそうさせてはもらえず…暑い夏となっておりますが、これ以上体調を崩さぬよう水分を摂取するなど私なりに気を付けて過ごしております。


8月23日 「スケッチ」
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 ある案件で設計業務を急がされて、ほとんど意匠を頑張れなくて悔いていたのですが、納品後に話をする中で、私の意匠を大変気に入ってくれて受け入れてくれるようになりました。現場は始まってしまっているのですが、現在設計変更に励んでおります。

 現場の方からは煙たがられると思うのですが、私には嬉しくてたまらず、夏休みも返上で毎日毎日スケッチを描いております。竣工まで1年以上かかるのですが、後悔しない作品とするためにもこの建築に身を捧げたいと思います。

 私はスケッチを描いているときが快楽であり、ずっとこのような仕事をしていけたらと思います。打ち合わせコーナーの壁一面に貼られたスケッチ達をにらみながら、「やっぱりこうしたい、あそこはあぁしたい」と思いながら手が止まりません。
 現在の社会状況でこれを理解してくれる人はなかなかいないのでしょう、私は変わり者と言われるのに慣れてきてしまっております。


9月2日 「トンボ」
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 8月末の締切り案件で右往左往しておりまして、他案件も思うように進まずに困っておりました。残暑も厳しく汗だくでハンカチはびちょびちょでした。
 コンビニへ行けば「足、大分良くなったじゃない」と声をかけられるようにもなり、夕方少し風が出てきたころに外の植木に水をあげていると、ゆっくりとトンボが飛んでいました。

 「そういえば、トンボはみなくなったなぁ…。」と思っていましたが、久しぶりに見まして懐かしさというか、平穏な気持ちになりました。

 9月になりましたが暑さはやまず、トンボはこの気象変化をどう思っているのでしょうか。


9月10日 「無題」
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 足首が痛くなってから随分経つような気がしておりますが、良くなったり悪くなったりを繰り返しております。

 痛風だとか捻挫だとか等々、何の病気なのかも分からずに、痛みと戦っております…と思いつつ、整体していただいた帰りの階段でコケマシテ、整体の意味もなく腰痛再発と足首の捻挫をいただいてしまいました。


 東京五輪が決定したようですが、建築家協会の仲間内では、ザハが勝者となった新国立競技場が問題だろうという議論がありました。
 これは後日ここに記すとして、私はバブル崩壊で苦しんだ世代なので、同じことが起こらないように経済学者と政治家と役人さん等に頭を使って頑張ってもらいたいと思うわけです。

 本当にこれで良いのかという想いを込めて…。


10月1日 「ルコウソウ」
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 先週の日曜日だったか…夏に咲くはずのルコウソウがやっと咲きました。私が出社しなければ誰にも見られることなく散っていったのだろうと思い、けなげに咲く花をしばらく眺めていました。


 月に2度ほど上野公園で設計打合せをしておりますが、大きな蓮の花がたくさん咲いていて感動するなど、花を見る機会が増えました。
 打合せ前に少し時間があったので散策していましたら、植木屋さんが花壇の花を植え替えておりました。勿論季節に合った花に植え替えているのですが、刈り取られた花もまだ満開でして「もう少し待ってあげれば良いのに…」と思いました。


 気象の変化からか、花まで咲く時期を変えようとしています。小さなルコウソウを眺めながら、いろいろと考えさせられました。
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10月7日 「都庁と府庁」
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 私が黒川紀章の弟子だった頃、大阪府警の現場にいたのですが、大阪府警も含めた府庁舎の計画を毎日のようにみておりました。
 府庁舎は、現在田町にあるNEC本社ビルと瓜二つの形状をしており、大阪府の財政難で計画は止まったままですが、先にコンペでお目見えした大阪府庁舎の真似でないかと噂しておりました。


 それは置いておいて…、大阪府警で、師匠との打合せ図を作図するとき、かなり都庁を意識しているなぁと思っておりました。随所に都庁と比較するような発言があり、それは真似ではなくあくまで対抗して「より良い詳細デザイン」とするのが目的でした。でも若僧の私は、常にオリジナルを求めており、何でそんなに都庁を意識するのか分からずにおりました。

 大阪府警の現場が終わった1年後、私は独立したのですが、黒川紀章が亡くなった後、都庁に行く機会が増えており、外壁の石の割付やエントランスの考え方等、いろいろと考えられているなぁと学ぶことは確かにあります。但し、ここには書けませんが、欠点も多くみつけまして、こうしたら良かったのに…と思う点も。
 加えてコンペで次選だった磯崎案に良く似た案が、丹下さんの設計したフジテレビだったりして、建築家の権力争いも大変だわ…と思う訳です。
 簡単に言うと、丹下さんの権力で弟子の磯崎さんと黒川さんは東京で活躍することができず、地方都市や海外で建物を建ててその名を馳せました。

 黒川さんは、丹下さんの研究室に大学院から通った訳ですが、これは彼にとって建築家になるための勝負だったのでしょう。相撲でいう出稽古のようなものかもしれません。
 磯崎さんと一緒に学び、丹下さんが東京の都市計画を発表する前に自分の計画を発表するなど、パワーにあふれた方だったのでしょうが、それを丹下さんは嫌ったのかもしれません。


 福島をどのように復興させるか等考えた私の復興計画案は、どこにも発表されずにおりますが、きっと私の案が復興の正解案だったろうと昨今のニュースをみても思う訳です。
 都庁と府庁は、丹下さんと黒川さんの師弟対決のようなもので、他にも上野公園に隣立する国立西洋美術館と東京都文化会館はコルビュジェと前川さんの師弟対決のようなものだと同様に思います。


 今月の12日が黒川さんの命日となります。

 師弟対決をしてみたかったなぁと未練は残りますが、今の私は彼にはまだ勝てないでしょう。それでも私の復興計画をみてもらい、彼のコメントを聞いてみたかったです。磯崎さんのようにアイディアを盗まれても、文句言えないと思いますが…。
 黒川さんには日本を動かし実現する力がありましたので、日本の為にも早すぎる死を悔やみます。


10月21日 「HamaとHana」
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 昔飼っていた柴犬の名は、「ハマ」でした。可愛らしいメス柴で、私にとっては愛犬でした。

 彼女のことは以前にもここに記しましたが、ここ数年ペットショップで柴犬を見つけてはみとれて、飼うか飼わぬかの葛藤をしておりました。

 先月、広尾のペットショップで7月18日生まれのメス柴を見つけ、週に一度は通っておりました。ペットショップから、「飼えない理由でもあるのですか?」と聞かれるまでになり、体が大きくなってきて値段を下げられ、このオテンバなメス柴を飼おうと決心をしたのが、黒川紀章の命日でした。


 どうやって飼うのか未だ悩んでおりますが、嘘偽りなく100%の愛情を表に出してくれるこのメス柴を、何と呼ぼうか考えておりました。

 とっさにHama!と呼んでしまう事もあり、mをnに変えてHanaという名前にしました。

 最初はHamaと顔が似ていないと思っていたのですが、日に日に表情が豊かになり顔や表情、行動が似てきたのが何とも言えず…これから犬ネタが増えそうです。
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10月28日 「Hana Hana」
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 飼った当初は家で留守番させていたのですが、子犬である事から心配で仕事にならず、私と一緒に通勤することになりました。

 彼女の居場所は仕切られた私の机周辺となっておりますが、すっかり社内でアイドル化してしまいました。皆で抱きかかえて写真を撮ったり、私の部屋から脱走してスタッフに愛想ふりまく姿は、ペットショップで慣れてしまったのかと…。


 ………といいながら、昼間は私の隣でぐっすり寝ております。せっかく寝床を用意したにも関わらず、通勤時に犬を入れるバックの中で寝るのが好きなようで、その姿をみているだけで癒されます。仕事の邪魔にならないのが喜ばしいのですが、可愛らしい大きなあくび声と寝言は社内に響き渡り笑いをとります。


 飼い始めてまだ2週間ちょっとですが、日に日に大きくなり、子犬のままでいて欲しい気持ちと元気に育って欲しい気持ちが格闘しております。
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11月18日 「先祖からの贈物」
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 Hanaは日に日に大きくなり、一か月前は3キロだった体重が5キロにまでなりました。会社にも慣れてきたようで、吠えはしませんが、じゃじゃ犬ぶりをスタッフに露呈しております。
 しつけも買主の義務ではありますので、ある時は厳しく接しようと心掛けております。
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 現在、戸倉眼科に飾っていただいている「先祖からの贈物」という油絵をある展覧会に出展希望しまして、金曜日に審査を受ける事になりました。絵が小さくてだめだと言われそうですが、万一入選できることがありますと、11月末から上野の美術館で展示される事になります。
 多くの人に私から社会へのメッセージをご覧いただきたく、万一の可能性にかけております。

 痛風になってからサボっていた80号の油絵は、来年5月までに仕上げねばなりません。これも、建築家として社会へのメッセージを発せねばならないと思っての油絵となっております。
 下手は下手なりに苦労して時間をかけて描かねばならず、来年ではなく再来年になるかと弱気になりながら…病気に負けずそろそろリスタートせねばなりません。


11月26日 「愚作」
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 昨日電話がありまして、私の作品が「佳作」を受賞したので夜の表彰式に出席するようにと言われました。

 こんなこともあるんだなぁ~とビギナーズラックに驚いておりました。夜のスケジュールを変更し、遅刻して会場に伺ったのですが、表彰式の後の親睦会でお酒を飲みながら「6月は大きい絵を出展しなさい」とお偉い方々から言われました。


 年始から描きはじめた80号の大きな絵は、私の体調不良と共に中途でホコリまみれとなっておりましたが、昨日の激励と共にようやくエンジンがかかった気がします。しかしながら、愛犬Hanaにキャンバスを舐められないようにするにはどうしたら良いか…と悩んでいるところです。


 太平洋美術会東京支部展
  会期 11月25日~12月3日
 会場 東京都美術館 台東区上野公園8-36


12月9日 「LAN」
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 師走となり、忙しく働いております。
 毎年バタバタするので、猫の手も借りたいと思っているのですが、バタバタの中でも平気で寝ているアイドル犬をうらやましく思っておりました。そんな中、「Hanaも手伝ってくれよ…」と独り言。


 先日、Hanaが珍しく動き回っておりまして、我々の打合せ話を聞いているかのようでした。そのうち足元で急に静かになり、下を見るとLANケーブルを噛み切っておりました。

 彼女は仕事を手伝った気でいたのか、または仕事し過ぎだと怒ったのか…してやったり!と笑顔を振りまいておりましたが、切られたスタッフは黙って電気屋へ買い物に行きました。


12月16日 「バス」
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 足の調子が悪いのでバス通勤をしており、Hanaもペット用のバッグに入れてバスに乗ります。散歩好きになってきたので、バス停までは散歩をし、バス停の待ち時間でバッグに入らせています。

 2週間くらい前の会社帰り、調子に乗ってHanaと私は小走りでバス停に到着し、それと同時にバスの扉が開きました。運転手から「ペットはダメです!」と言われ、「バッグに入れるから待ってください」と伝え、私は急いでバッグにHanaを入れようと試みましたが、足が手さげに絡まるなどして上手く入らず、約10秒後に「他のお客さんもいるのでもういいですか!」と言われました。
 謝罪と共にバスは行ってしまい、取り残された私とHanaはゆっくりとバッグに入る作業をし、次のバスを待ち帰宅しました。

 次の日からも散歩→バスという行動は変わらないのですが、バッグに早く入るという作業をHanaが協力してくれるようになりました。上手くいくかは別にして、私がバッグの中に入れようとすると必死に潜ろうとしてくれます。足が引っ掛かろうが紐が首を絞めようが…自分が入らねばならないという素振りをしてくれます。

 私に恥をかかせたと思ってくれているのか…こうやって親バカコラムが続いたらすみません。


12月24日 「仕事納め」
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 忘年会ラッシュも無事に終わり、あとは年内に仕上げなければならない図面との戦いとなりました。

 弊社は27日までの業務となりますが、おそらく大晦日あたりまでは働くだろうと推測しております。今年は体の不調がありましたが、スタッフも増えるなど多くの方から助けてもらえたことに感謝いたします。
 本厄ですが、この程度ですんだことに喜ばないといけないのかもしれません。


 そんな厄年ですが、たくさんスケッチを描いたり、新しい会社を設立したり、車を買い替えたり、Hanaとの生活が始まったり…最後に油絵で賞までいただいてしまったり!
 トータルでは良い一年だったと思います。


 来年はどういう一年になるか楽しみです…といいながら早く手持ちの図面を仕上げねば、新しい年も迎えられません。


バナースペース

株式会社田中俊行建築空間設計事務所

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