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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

コラム 2009年

1月7日 「あけましておめでとうございます。」
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 年末年始は独り会社にこもり制作活動をしていたので、約一週間、声を発する事無く過ごすことができました。静けさは心地よい集中力を生み出し、ストイックな食生活と共に、37回目にして最も有意義な正月となりました。
 また多くの方から年賀状を頂戴しましたが、このコラムを読んでいるというコメントが多かった事に驚きました。もう少し文才があれば恥ずかしくもないのですが、“おバカキャラ”が流行ったように、下手な文章を楽しんでくれているのでしょうか。

 ここ数年、私は「削ぎ落とし生活」をしております。雑念を減らす為に、一般的に重要とされていても自分で不要と感じたモノは、容赦なく切り捨てております。皆様からは“バカでのろまなカメ”のように思われるかもしれませんが、一歩一歩自分の納得できる仕事をし、作品を創出できるよう努めております。まだまだその力は足らず、スタッフと共に今年更なる努力が必要と認識しております。

 今年もおそらく休めない一年となることでしょう。昨年から体力の衰えも感じるようになり、ストレス発散用のアルコール摂取量も減らさねばと思っております。世界が“100年に一度の不況”であろうが、私は私であり続けたいと思いました。

 本年も宜しくお願いいたします。


1月13日 「週末に考えた事など…」
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 私がお世話になっている共栄学園の理事長先生が「旭日中綬章」を受章され、その「感謝と誓いの集い」に出席しました。私がこれに関して、どうこう言えるだけの立場ではないのは明白ですが、「共栄学園関係者の皆様の代表で受章しただけ」という理事長先生のお気持ちに、人間の大きさを感じました。テレビにもよく出演される数名の国会議員も出席していましたが、選挙を意識した祝辞を述べられ、「理事長先生を少しは見習って欲しい」と言いたくなりました。


 新年早々、倒産するゼネコンが相次ぎ、昨日は「年越し派遣村様」と記されたバスに遭遇しました。日本社会は資産運用という名の商売用建築を建て過ぎた結果、「建てない時代」へと向かいます。日本に余るモノが建設業となるのであれば、建設業は日本で足りないモノに移行すべきと思います。
 例えばですが、○○建設㈱農業部が存在するようになれば、メディアを騒がす雇用問題の解決策になるかもしれません。「刈り入れ時にはそちらに人手を取られ工事が遅延する」という会話が常となれば、風情があって面白い社会になるのではないでしょうか。むしろ韓国の徴兵制度のように、ある期間農業や漁業・林業等を手伝うようなシステム作りが人間にとって必要な教育なのかもしれません。


 とはいえ先週から考えているのですが、今現在というのは建築界だけでなく、世界の歴史が動く瞬間なのかもしれないと感じています。マネーゲームを楽しめる資本主義が最も優れているという、お金持ちに支持された社会制度が覆され、その次にやってくる新たな何かが世界史を変えると信じております。平和ボケしている日本人には実感ないかもしれませんが、建築界であっても建築基準法、更には建築そのものが間違いではないかという時代が到来しそうな気がします。
 オバマ氏のチェンジにどれ程の厚みがあるのか期待してみたいものですが、この瞬間を生かせるかまたは変えられるかどうかは、人類のあり方にも重要な時となるのではないでしょうか。忙しく仕事をするのも良いですが、もう少しこの辺りの事を協議する場を設けないと、取り返しのつかない後悔をしてしまいそうな気がしております。

 ギックリ腰になりそうな気配を感じながら、いくらやっても減ることのない仕事の山と格闘しております。


1月19日 「学生の頃」
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 毎日忙しく働いておりますが、これは私が社会人になってから継続しているので、10年以上働き続けている事になります。しかし、働いても働いても「何が足りないのか…何が充実していないのか…将来に対する不安があるのか…」と自問しながら納得のできない日々を過ごし、後悔する日も多々あります。時には苛立ち、自虐行為とも思える働き方をしたりもします。金の為ではないと強く思う一方、一体何のために…という迷いがある日々も繰り返しておりました。


 その一つの理由が見つかったような気がします。

 忘れてはいけない記憶の一つですが、私は住む家を失った事のある苦学生でした。社会に甘ったれた派遣村のニュースを見ると、当時の衝撃や苦痛、そして何ともいえない絶望感を思い出します。詳しく書いてもただ恥さらしとなるだけなので省略しますが、その時に「全てを失っても建築がある」と自分にいい聞かせられた事が私の20代を支えてくれました。家や服・思い出のモノ等を失うのは平気でしたが、「大学を退学しろ」と言われた事だけには反発し、自分で学費を払う事を選択した事を懐かしく思います。


 他の学生よりも製図用紙を一枚買うにも、難しい本や美しい建築の写真集を一冊買うにもナーバスになり、“どうしても欲しいと思うモノ”しか買えませんでした。でも本ならば、一冊買えば穴が開くくらい何度も読みました。その環境から創られた論文や製図課題は、ロクな評価は得られなくとも自分で納得のできるものでした。

 あの頃に比べ、今の私は“ヌルマユ”に浸かっている気がするのです。多くの方から「身体を労わりなさい」等、優しいお言葉を頂戴しますが、おそらく私には今の“ヌルマユ”は自分の居場所ではないと感じ、更に自らを追い込んだ生活の中で建築を生み出す事を理想としていると感じます。

 今までは突き進むしかできませんでしたが(キザな言い方で鳥肌が立ちますが)、今ようやく「建築」という夢に向かって努力できた「学生の頃の自分」を褒めてあげられると思えるようになりました。加えて、そんな私を励まし支えてくれた友人や、朝まで塩辛とキムチで安いバーボンを飲み、夢を語り合った友人に何とも表現できない感謝の念が込み上げております。


 これが派遣村ニュースから想起した話でなければ、もう少し体裁の良い文章になったのかもしれません。簡単に言えば田中は貧乏性という一言で片付く話しです。来週はもう少し気持ちがリッチになる話を書こうと思います。


1月26日 「第四期から第五期へ」
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 私が建築に携わるようになったのは大学進学後ですが、それから研究室にて自ら設計事務所モドキの活動をしたのを第一期とするならば、黒川事務所に所属したのが第二期で、独立してからが第三期となります。第四期は黒川先生の死から現在に至るまでだと思っておりまして、そろそろ第五期への切り替えという認識はあるのですが、それは同世代とのコラボレーションが必要不可欠かと考えております。


 大学時代は石山修武研究室にて、人格や人生までも否定されるようなプレッシャーやストレス・恐怖心等マイナスの語彙と共に、真の自分を見つめ直し、強い建築家としての道標を探求しました。黒川紀章建築都市設計事務所では「社会人+巨匠の弟子」として、作品を創るだけではなくその大半が雑用でありながら、仕事の中で1割にも満たない作図や黒川氏と打合せができる事が喜びであると知りました。更に図面を破かれようが模型を壊されようが、徹夜してでも期限までに妥協せず作品を創るという時間的かつ体力的厳しさや、就業規則・挨拶の仕方等社会ルールも学びました。


 独立してからの第三期はとにかく必死で、周囲が何も見えていなかったように感じます。幸いお施主様には恵まれ、ある程度の作品を創る事はできましたが、「納得できる作品は?」と問われれば、ある建築家の真似ですが「次に創る作品」としか応えようがないでしょう。
 黒川先生の死は、今振り返っても私には大きな衝撃でした。何をしても上手くいかないというスランプに追い込まれて悩んで悩んで悩み抜き、ひとつの小さな解を得て現在に至ります。


 最近、私の同期や同年代の知人の活躍を耳にするようになりました。石山修武さんとの再会が引き金となっているのかもしれませんが、このコラム上で偉そうに騒いでも何も起こらず、誰も動かず、単なる負け犬の遠吠えにも満たないモノであると感じており、同年代の知人と学生の頃を想起し、塩辛キムチでバーボンを飲みながら夢を語らい、少しずつでも良いからそれに向けて動きたいと思うようになりました。これが私にとっての第五期の始まりではないかと思います。


 コラムはメモ代わりと以前記しましたが、書き留めて個人的に読み返し「あれをやっていない、今度はあっちをやろう、以前はあのように書いたが本当はこうだろう」と便利に使わせていただいております。時に皆様に知られたくなければ暗号化し、ゲーム感も匂わせております。今回のようにオチがない文章の時は、出来栄えの悪さにかなりガッカリもするのですが、長い文章のオチを考えていると、時には「あの建築のあそこはあれの方が良い」と脳ミソが移行してしまうわけで、今はまさにその時なので画面をモニターからスケッチブックに変更させていただきます。


2月2日 「三浦さんの作品」
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 便利な世の中になったとは、社会が認める事項と思います。その利便性はオートマティック、コンビニエンス等というカタカナ語の受け入れから始まり、ITに代表される略語にて言葉までも記号化してしまえという時代の到来です。携帯メールはまさにその先駆者であり、ひとつのボタンを押すとそこから言葉を選択するようにと使用頻度の高い単語を並べます。メールは電話と違い、相手の生活の邪魔にならないという名目で多用されるようになりましたが、今ではその感覚は麻痺し「電話をしたがらない人間→メール以外でコミュニケーションを取れない人間」、「相手の目を見て話ができない人間→他人と話ができない人間」へと発展してしまいそうな怖さを感じます。人間は他の動物にはないコミュニケーションツールを発展させましたが、今そのひとつが危機的状況にある事を認識しようとしません。

 仕事でも数年前までは、メーカー営業は飛び込みでも来訪されたのに、今ではこちらから電話をしても、人間味のない会話と共に苛立ちを覚え、そのメーカーを選ばなくなる事も多々あります。
 社会への順応能力の欠落が露呈する背景には「私はこうだから…僕はこうやって生きてきたから…」という自分本位に己を構成し、それ以外の選択肢を受け入れられないという強固な殻に包まれた社会人が氾濫しているように思います。昔からそのような人間はいたと認識しますがそれは少数であり、今はその少数が多勢へと変わり常識が常識ではなくなる時代です。最近、信頼関係を失う仕事でのやり取りを下記します。
 ①失敗をしても、それを注意して怒られても謝らない
 ②怒られると連絡をしてこなくなる
 ③しばらくしてこちらから連絡すると何事も無かったかのように接する
 こんな営業マン(=会社の顔)が多くなった事を悲しく思います。


 先日、ある超一流メーカーに電話をして打合せを申し入れたら、「社会人1年生」が一人でやってきて、そのメーカーにある3パーツの建材等の打合せをする予定が、彼が担当しているのは1パーツでその他は知識がないといわれ、逆に私が教えてあげました。その他「設計はどのように進めるのかや、設計時にメーカーから見積をもらう理由」等、何で私が教えなければならないのかと思いましたが、それだけ社内での会話も最小限とされているのでしょう。
 数日後、1パーツはそのメーカーでは見積ができないとまで言われました。何かの手違いでしょうが、1年生ならやりそうなミスです。もう怒る気にもなれず、他のメーカーを探す事としました。

 このメーカーとのお付き合いは、三浦さんという方が飛び込み営業で来られた事から始まりました。東京に出てきて営業は初めてという口下手な方でしたが、話をするうちに、彼はものづくりの分野で働いていて、「営業マン」は仮の姿であると知りました。私の既製品に対する疑問や商品の協調性のなさ、更にはインテリアデザイナー好みなだけで、建築家を無視したデザイン等の会話から、三浦さん自ら犠牲になり私のデザインするその商品を実現するまで全国にある社屋を駆け回ってくれました。
 それがつい先日特許登録ができた手洗いだったのです。実現するまでにかなりの時間と労力を費やしましたが、この作品の実現プロセスは、今の営業マンとでは不可能であることは明白です。制作特許はメーカーで、デザイン特許は私の名ですが、この作品は三浦さんという営業マンの作品であると思っております。

 私を取り巻く人間環境も日々変化しており、段々と作品を創る環境が蝕まれてきております。三浦さんは既に地方都市へ戻ってしまいましたが、たった2,3年前のあの熱き情熱が、今は恋しくてたまりません。


2月3日 「アニミズム」
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 石山修武研究室から一冊の本が送られてきました。


 「アニミズム周辺紀行Ⅰ」という本で内容はさほど難しくはなく、直ぐに読み終えてしまいました。この本の中に、石山さんの直筆スケッチが描かれており、とても想いのこもったオモタイ本なのですが、この本を見ると何故か黒川先生から頂戴した詩集「アドニスから手紙が来た」を思い出してしまいます。石山さんの本は数多く購入しておりますが、この本は他に比べて薄っぺらく、今までとは全く違う感覚で石山修武を想う本だと感じてしまっております。黒川先生から頂戴して初めて「アドニス…」を読んだ時も、“強くて逞しい”という今までの先生の印象から、“不安・迷い・弱さ・強がり”という言葉を連想させられましたが、今回も“トゲとキレのある強さ”という石山さんの印象から、“母の記憶・時空を超えた旅”と何か優しさに加え、「生」だけではなく「死」の世界も見えているような感想をもちました。「勝手に殺すなよ」と怒られそうですが、生と死の境界が薄れる瞬間が自分の中にも感じられたのが本を読んだ後の第一印象です。

 以前から石山さんに何度かお会いして話をしたいと申し入れましたが反応はなく、実際に偶然お会いした際も私を忘れているような彼独特の他人行儀で、相変わらず冷たいなぁ…と感じています。
 そして今、彼の術中にハマってみようと思い、“ハマったフリ”を実行しています。彼は現在早稲田大学の教授ですが、研究室のHPを使って自分の日記を書いているフリをして“信者”を集めています。私は本来“信者”なのかもしれませんが、強がって“信者のフリ”をしているつもりです。

 今回の書籍販売受付は、ホームページ上からのみの受付で数も限られております。直筆スケッチ不要なモノは連絡するようにと言われて、黙っていたら本当にスケッチが記されたモノが送られてきました。今後このやり取りはまた如何様にも面白く発展すると思います。ゆっくり、ゆっくり楽しみたいと思います。

 このような文章の書き方をして、石山さんに失礼ではと思う方も多いかもしれませんし、私も心の何処かではそう思っています。でも何となく、隠す事なく思ったことを素直に書き留めておきたいと思いつつ、石山研究室関係者がここにアクセスしていない事を祈ります。


 そしてどうしてこんな事を書いているのかと申しますと、この本の内容にありました「アニミズム」という考え方…私も父島にて感じるからです。そして先週、父島のある図面を仮提出してきました。
 本来、建築家または設計者とは、「誰でも良いけれど、あなたは安くやってくれるしキャリアもあるから描かせてあげる」といわれて頼まれるのではなく、「あなたに設計していただきたい」と思われるべき…と認識しています。昨年人間の愚かさで失敗に追い込まれた建築、今でも忘れられません。
 しかし、父島なら建てさせてくれ成功へ導いてくれる「神」が存在し、島の動植物等全ての生命体が私を許容してくれないかなぁ…と、勝手な期待と妄想を描いております。

 少し前、ある酒の席で「社会がマネーゲームで格差を作る時代が崩壊しなければ、島を購入して自給自足生活をする」と申しました。「島を購入」~とは少し大げさな表現と感じられるかもしれませんが、建築家として私を受け入れてくれそうな場がひとつ見つかっただけでも嬉しく思います。父島支社計画はあまり遠くなくやってくるかもしれません。本社移転とならぬよう願いたいモノです。

 “孤島”とは父島にピッタリな言葉だと思います。あの島(母島らも含め)、本当に美しく思いますが、建築や土木が間違った方向に手を入れれば、世界遺産の喪失にもなり兼ねないと思います。
 現在港区内でまちを歩けば声をかけられたり、先生方から相談の電話を頂戴できるようになりました。数年後父島が世界遺産となりその中で私が今の港区のようになれたら…本当に住んでしまうかもしれません。考えるだけでも気持ちが高揚します。


 長い文章になりました。ここまで読んで辿り着いている人は少ないと思い、最後に偉そうなメモをひとつ。
 マネーゲームの中にいるから不景気だと騒ぐのです。マネーゲームをあざ笑い、なるべくその関わりを少なくし、衣食住を成立させられる環境をそれぞれが取得していれば、マネーゲームという空想社会自体滅亡していくと思います。そして地球上で生かせてもらえる「感謝の気持ち」から新たな社会を考案し再構築するべきだと、父島を想う度に感じています。


2月4日 「赤ワインの笑み」
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 先週のある会合で、大変ガッカリした事があったので書き留めておこうと思います。

 「一級建築士資格を、国際ライセンスにしなければならない」と発言した方がいまして、私はその方を応援したいと思う側、いわば身内側という認識だったのでショックも大きかったと認識しています。何がショックかと申しますと国際ライセンスにする理由が、「日本は建築を建てない時代になる(←ここまでは私と同意見)、仕事をするのには中国がそうであったように、これからはインドで仕事ができるようにならねばならない。インドはこれから建設ラッシュになるだろう。」と力説していました。
 ガッカリです。中国・ドバイでこれだけ環境破壊を黙認し、環境を悪化させた上で次はインドですかと…。

 会合の雰囲気を崩さぬよう何もコメントせず、愕然とし怒りが震えになり赤面し、震える手が皆に気付かれぬよう必死でした。会合では酒も用意されており、注がれる酒がワインであったので助かりました。きっと赤ワインに「早く手をつけて飲んでみろよ」と笑われていたことでしょう。


2月10日 「猫頼み」
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 昨年からだったか、私は犬派だというのに多くの猫がまとわりつき、いよいよこのコラムまでも猫柄となってしまいました。来週からお台場での仕事が始まりますが、それが決まる数日前から、朝から晩まで近所の猫が大合唱でした。猫が仕事を取ってきてくれているとは思いたくもないのですが、仕事が決まった途端に猫の鳴き声がなくなったので、不思議な感覚です。


 首と腰が痛く、精神年齢は若いと思うのですが、身体年齢はかなり老いているように感じます。3月末までに終えなければならない仕事が山積みで、ここまでは今の会社の状態で努力しようと思っております。


 何度か素人ながらに政治に関するコメントをしたかと思いますが、現在の日本の政治をみていると、もうアホらしくてコメントする気にもなりません。コメントをしていた自分を情けなくなる感じる程です。政治家の幼稚化がコメディ化されてしまいました。


 来年度の仕事で新たにやりたいと思う仕事が見つかりました。まだ公表できませんが、これをやれるならば本当に嬉しく思うことでしょう。“神頼み”ならぬ“猫頼み”をしようと思ってしまう自分を考えると、売れない建築家の幼稚化も問題視せねばなりません。

 氷嚢(ひょうのう)片手に首の痛みに耐えこの文章を記しましたが、「もう少し上手い文章は書けないのか」と、今猫に一鳴きされたように感じました。
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2月16日 「念じれば叶う?」
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 お台場での仕事が始まり、現地にて挨拶を兼ねた打合せをしてまいりました。F-TV社屋、レインボーブリッジ、ゆりかもめ等の眺望圏内の施設であり、その責任は大きいと感じております。私が父島へ行くときも見送ってくれる施設となるはずです。


 今回の業務は外部改修等で、別件でもファサードの改修というプロジェクトがあります。表層建築をよしとしたのは今の流行ですが、その流行に終止符を打つ作品となればと思います…基本的に毎回そう思って提案するのですが、それがなかなか認められないジレンマに慣れてしまわぬよう気をつけねばと感じております。


 先週記しました「来年度どうしてもやりたい仕事」の件、「念じれば叶う」と勝手に思い込み、毎日毎晩焼酎を飲みながら祈念しております。


2月23日 「建築士不要論」
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 煙草を止めたからか排気ガスの臭いで頭痛が酷く、毎年恒例となった乾燥肌に加え、首肩腰痛も最高潮に達しております。金曜日にスタッフらと酒を飲みましたが、途中で眠くなる等、自分らしくないなぁ~と思いながら身体からの訴えを感じ、イラつきを覚えます。職業上そして小さくとも経営者である以上、孤独感とストレスは付き物であり、それを乗り越える事で一建築家として認められると思っております。夜眠れずアルコールに頼る生活をしておりますが、そろそろアルコールに甘えることなく、ストレスと真剣勝負してみようかと思います。


 「設計事務所はサービス業になる」と大学の授業で聞きましたが、サービス業らしきものになることで(誰とは言わず建築士らをみて)士気の低下を感じるようになりました。法改正などいかに建築士を束縛するかという御上の押さえ付けに「もうやってられない」と感じる建築士の方は多いと思います。

 昨日「管理建築士講習」を受講してきました。私の日曜日を奪った講習を腹立たしく思って臨みましたが、報酬が今と同様安価であるにも関わらず、手続きや報告等その責務が肥大化しておりまして、本業ができなくなるのではと感じました。今回の法改正は大手設計事務所用に作られた改正であり、同時に小さな事務所を潰す事になる改正です。私と同世代以下で独立された方は、一度我慢してお世話になった事務所へ戻られた方が利口であると思います。独立する魅力が半減するような拘束と責任の押し付けにて、景気の悪さを考慮すれば、設計料は上がる訳もない事は明白であり<創造する時間の短縮→納得のできない作品の創出>となり兼ねないと思います。

 勿論、社会からの信頼回復の為の法改正であり、ひとつ一つ内容を聞けば「それはそうだ」と思うのですが、悪い事を考える者を管理・監視する法律は、真面目な建築士の夢と創造力を失わせ、自己防衛を重んじるマイナス法だと強く感じます。国土交通省の本当の狙いは、「淘汰」以上に建築士が「不要」となる社会かと言いたくなります。少なくとも建築家の創造力は不要と言われた気がします。(上記内容、私が落ち込んでいるように感じる方いらっしゃるかもしれませんが、心の中でニヤッとして「今に見ていろよ、これくらい耐え抜いてギャフンといわせてやる」と思う自分がいます。)


 最近の住宅雑誌等で建築が衣服のように扱われるようになり、建築士はセミオーダーの衣服を作成するミシンとなり、ミシンを扱うのが施主となってしまったように思います。ファッションショーができる流行の建築士はここ数年、今の衣服を少し変えるだけで売れるものだから、何も新作を生み出しておりません。

 ハウスメーカーやデベロッパーの建物は、ハイクオリティやオーダーメイドとCMされています。「井の中の蛙」であることに気付けない人々は、それくらいの満足で優越感を得ております。いわば自らの選択に自信がなく「このブランドのこのバッグを持っていれば他人は羨ましく思うであろう」という優越感です。

 建築士不要論は「井の中」での話しであり、建築家はその外におらねばならないのですが、居心地の良さから殆どの建築家はその中に居座っております。外に出たいという欲望もかき消され、去勢され女性化する事が満足と快感を生み出し、ファッションショーに出る事がゴールで満たされる事だと勘違いをしています。


 管理建築士の講習にイラついて危なく自論を露呈してしまいそうになりました。

 年度末にはセミオーダーのノート型PCが届く事になっており、それを持したら私の生活はかなり変容するだろうと感じております。来年度以降、設計者・建築士は変化をせねば悪化し、最悪は自滅します。私は今の自分の居場所を捨て一歩先を目指し、一歩先のスタイル、一歩先の建築家という場所を創ろうとしています。来年度の私と弊社を楽しみにしていてください。


3月2日 「三月」
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 今年度も残すところ1ヶ月を切りました。個人的に3月はあまり好きな月ではありません。私には「別れの月」というイメージが強く、毎年春日部共栄中学高等学校の卒業式に出席していますが、その壇上にて旅立つ若者を嬉しく思うのと同時に、自分の友人知人との別れを思い出してしまいます。多少の喧嘩をした友人であっても、仲が良かった時期もあった訳で、共通の記憶をもつ者との別れは痛く心に刺さります。またその記憶が自分自身も薄れてくる訳で、その薄れる寂しさは、自分でどうこうできる能力を持していない脳ミソに問題があるのかと、悩みは尽きません。

 2月末で終えた仕事が幾つかありましたが、休む事無くいいタイミングで3月から始まるプロジェクトがあり、相変わらずの忙しさです。この忙しさの中、今週金曜日は一級建築士の講習です。

 今年度は根を張れた一年だったと思っています。まだ皆様に誇れる結果としては表れておりませんが、目先の作品作りにバタバタしていた昨年度までとは、全く異なる会社に変容できるよう、その方向性を導けたことに満足しております。

 「作品を創り続ける」という言葉は、意味深く非常に重たいと認識しております。そこが流行の建築家と私の相違だと思いますが、雑誌に掲載されテレビで騒がれる為の建築を創るのは、単なるファッションであり真の建築とは異なると感じております。いつ結果が出るのかは「神のみぞ知る」で宜しいかと…。


3月9日 「一冊の本」
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 石山修武研究室からまた一冊の本が送られてきました。内容は私が研究室に所属した時に少しだけ関わったプロジェクトに関してのモノであったので、懐かしく思うと同時に、この長期に渡る大作は「研究室を持つ大学教授」という職業ならでは可能にできるモノだと感じます。しかし建築家にはこれだけの辛抱が不可欠だろうと思うところもあり、完全に自分に欠落してしまっている部分でもあると恥ずかしく思います。


 数年前から「知的障害者が住む家」をリフォームする仕事をしております。建築基準法や関連法令に彼等を救う法がないことを感じたのがきっかけでしたが、本当に我々では考えられない出来事の相談をされ、最初は驚くばかりでした。どのような行動をしてしまうのか等の勉強を重ね、ベストと思われる解決法を提案しております。大分早いテンポで応じられるようになり、生活の苦労の低減に貢献できるようになりました。このような改修ができる事が口コミで広がってくれればと願うのですが、閉鎖的な部分があるのかもしれません。これを読んだ方の周囲に、同様の悩みを抱えている方がいらっしゃいましたら気軽に田中へご連絡いただけるようお伝え願います。一本の電話でかなりのご苦労を低減できるようになります。


 急にこのような事を記したのも、今回送られてきた本中に記されている殆どが、カンボジアにて地雷を踏んで両足を失った方の為に、中古自転車を改造して「手こぎ三輪車」を作っている方のお話しだったからです。その方ほどの美しい生き様ではありませんが、自分の技術を困っている方に提供したいと思う点では私も同感です。社会が建築家を道具としてしか扱わないのであれば、私はそこを捨て、私を欲してくれる方々・場所へ奉仕したいと考えております。


 先週のコラムの続きのようになりますが、独立当初から黒川先生と対談するまで、私は建築作品を数多く創ることで、流行の建築家と勝負しようと考えておりました。黒川先生が亡くなり、悲しみのドン底から自分はスランプになり、悩むだけ悩みましたが、今は多くの方から助けられ、一つの道標を見つけられました。それは「建築家としてだけでなく、ひとりの人間として如何に生き抜くか」ということで、「建築作品はそれに従う事」となりました。「生き抜き方」が建築家を形成し、建築家自身が己の作品であり、それは他人と比較できる事ではないと思えるようになりました。


3月16日 「無題」
コラムタイトル06-01

 超軽量ノート型PCが送られてきまして、作図以外の業務は何処にいてもできるようになりました。移動は電車を多く使うようにし、移動時間も文章を書くことができ、打ち合わせ議事録は手書きよりも早く、かつ正確にその場で記せるようになりました。ブラインドタッチができる私にとって、仕事を早める手段であるにもかかわらず、このやり方に気付くのが遅れました。来年度から更にスピードアップして仕事ができるよう戦闘能力を向上させました。


 電車や自転車で移動する機会が増え、愛車フェアレディZに乗ることが殆どなくなりまして、今週車検切れということもあり、手放すか否か迷いました。結果は車検を取得する事にしましたが、Zでなければ手放していたでしょう。私の若かりし二十歳頃に失った宝物だったので、どうしても思い入れは強く、景気が悪くても乗ることが殆どなくなっても…私には親友のようなモノです。


 電車での移動中、駅のホームで電話をしながら大声で怒っている方に遭遇しました。大声の為にその内容まで聞こえてしまって、大変だなぁと思いながらしばらくその会話を聞いていました。私の他にも数名おりまして、話し手はモデルのようで格好がよく、私よりは若干年下にみえる男性でした。その話し方は、周囲の目を気にして遠慮するのではなく、見られれば見られる程、その興奮度は高まっているように見えました。
 ところが、ある時点から話のツジツマが合わなくなってきまして、もしかして電話の向こうの話し相手がいないのでは?と思うようになり、周囲の人々も同様の反応で顔を見合わせるようになりました。ストレスが溜まっているからなのか目立ちたいからなのか等、理由は考えられますが、世の中変わってきたなと感じました。携帯を耳に当てる事で人々は電話をしていると判断するようになりました。


 春日部共栄の中学棟校舎前に記念碑が立てられておりました。驚きました。先日高校を卒業した第一回中学卒業生から贈られたモノでしたが、その石碑の中に私がこの校舎に込めた想いとコンセプトが刻まれておりました。この学年は私がどれだけこの建築に思い入れがあったか、現場見学や軽微な工事の手伝い、私の講演等を通じて理解してくれていた学年でした。この生徒達がいずれ、世界に羽ばたいて欲しいと思うと同時に、この学び舎で過ごした日々を忘れずに成長して欲しいと思いました。
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3月23日 「都市悪と文化悪」
コラムタイトル06-01

 設計事務所とは、建築を含めた建造物等を何よりも優先して創りたいと欲する集団であるべきと思っております。その集団性はある意味「宗教的」ともなり、反社会性を主張する集団ともなり兼ねません。設計事務所は最も大規模な芸術を創る集団であるにもかかわらず求められるものは、芸術とかけ離れた事項が多くを占めるようになりました。社会は芸術よりも安心という言語を優先させ、志高き若者の夢を潰すような法や社会となりました。「安心は当然」という認識はマネーゲームによって覆され、建築は見栄やクダラナイ欲望を満たすべく手段へと変容しました。本来ならば志高き建築家で結束し抗議せねばならないはずが、大御所の設計事務所や流行の建築家がそれを認め、逆に喜んでいるようにさえ感じます。建築が芸術でなくなる社会はすぐそこまでやって来ております。
 巨匠CorbusierやKoolhaasらがマンハッタンを否定したにもかかわらず、人はそれを「幸福をもたらす都市(生活)」と解釈しました。そして世界中の都市をマンハッタンにしたいという欲望が、環境破壊の発端となっているのです。建築家は社会の先を読むと以前にも記しましたが、社会は建築家の話に耳を傾けない傾向にあるのでしょうか。「変わり者」という一言で片付け、変わった事を言わないフツウの流行の建築家を選び、ブランドのバックを持っている気分なのでしょうか。


 例えばの話をひとつ。
 以前(現存もしますが)車の窓はグルグル回して手動で開け閉めしておりました。この開け閉めが結構大変だったという思い出があり、電動に変わった時の感動は今でも覚えております。電動が当たり前となり、ETCも設置され空調の性能も良くなりましたので、電動窓の価値がほとんどなくなってきているように感じています。かつては必要に応じて考案された利便性が、その他の利便性により必要性が減少した際に、それを元に戻せる勇気が人間には必要だと感じています。これらの連続が人間の生きながらえるヒントとなるのではないでしょうか。
 これは例えばの話で、これに似た事項は世の中多いと思います。如何に人間が愚かな動物であるか考えさせられます。


 政治についてはもうコメントしたくないと思っておりました。しかし、建設業との問題が明るみになったので、少しだけ記します。西松問題、私は西松建設に知人がいますが、彼をかばう意味ではなく、こんな事項を知らなかったと今頃騒いでいる方々、常識的ではないです。私には園児の演劇を見ているようです。そして何故西松だけに矛先が向けられているのでしょうか。加えて西松建設を必ず準大手と紹介するニュースも疑問に思います。もっと大きなゼネコンさんを調査しない理由も分かりません。企業献金は見返りを求めるに決まっています。純粋な献金は一握りもないでしょう。こんな常識的な事を今頃知ったとトボケている全ての政治屋さんは政治家と名乗るのをやめていただきたい。おそらく「皆がやっていることで、皆が認めれば自分も認めるが、自分だけ認めて自分だけが吊るし上げに合うのは嫌だ」という具合でしょう。
 このような事項が当たり前となっているから、私のように純粋に生きている人間がいろんな場面で壁となり苦労をしているのです。政治家だけの問題ではなく、民間同士でも同じような事をやっているし、これが日本社会を形成してきたのだと良くも悪くも思っております。政治屋だけが悪いのではなく、これはひとつの文化であったはずで、多くの一般人が恩恵を受けている事項であり、誰が悪いとか今いえるレベルではないはずです。直すなら誰が悪いではなく、国民と共に皆で直す事柄です。綺麗に着飾ってニュースを読んでいる人だって、政治屋にお願いしてそこにいるかもしれません。


 まさにディズニーランドとキッチュの話しと同様です(以前に記したので省略)。国を挙げて誰かを責めることにより、自分も同じような事をやっていることを隠せると認識しているのにしていないフリをするのです。


 このコラムは「楽しい事を書かないと読んでくれる人がいなくなってしまう」とは営業的な意見で、私自身このコラムを読まれて仕事を依頼する人はいなくて良いと思っております。但し、自分の会社のHPであるから自分に嘘を付く必要もないと思っております。今週のコラムは暗い文章に感じると思いますが、意外と私の中では暗い文章に隠された明るい考えが多くあり、ただオチがないのを申し訳なく、かつ悔しく思います。


3月31日 「ヘナヘナシート」
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 街を歩いて気になっているのが、建設現場での仮設足場外側にかける養生メッシュシートです。以前、私に建設現場というモノを教えてくれた伊吹さんから「シートを如何に綺麗に掛けるか、それは現場所長の実力を表わし、会社の看板となる」と教わり、その他優秀な所長ほど現場が綺麗であったり、料理が上手だったり…等々の話を、日本酒のツマミとしてご教授いただきました。現在の都内で見る現場のシートの多くは緊張感がなくダラ~ンとしているように感じます。基本的に仮設は施工業者の責任で行われるので、私の現場でも私が指摘するような話ではありませんが、ほとんどの現場でそのシートは張りがなく、風にヘナヘナとなびいており、そのシートの上に「○○建設」というシート看板が恥じらいもなく掲げられております。綺麗に整理整頓されている現場も少なくなり、伊吹さんから聞いた言葉が死語にならねばよいが…と感じております。

 数週間前に建築士不要論と記しましたが、現場代理人といわれる所長さんも事務屋さんとなってしまい、その威厳やプライドの消滅を促進しているのは日本社会であると言っても過言ではないと思います。そのすべては足場にかかるヘナヘナシートが語っているように感じております。以前はなぞかけのように「どうやったらこれを実現できるか」等を現場の所長に相談し、二人で頭を悩ませたりしましたが、そういう現場の醍醐味も死語となりつつあります。

 世の中、オイル高騰から始まり法改正やリーマンショックがありました今年度、弊社はいろいろな変化のあった一年であり、独立以来の充実感と価値ある一年であったと改めて感じております。何と言いましても私自身が目先の作品創りに惑わされる事がなくなった事が最大の価値であると認識しております。スタッフの努力とたむろする猫らにも助けられ、あっという間の一年でしたが、得られたモノはかなり大きいと実感しております。


4月6日 「新年度」
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 新年度となり、満開となった桜と共に気持ちよく仕事を始めております。社内にある鉢植え達も、外に出て気持ち良さそうに日光浴を楽しんでおります。


 来週から父島へ行くことになりまして、今回設計チームは私だけなので、船中や父島での夜はひとりで何をしようか等、ニヤつきながら考えております。目的が仕事なので友人を誘う事もできず仕方なく思い、こういう時こそ孤独な時間を満喫しようと考えております。

 父島へ行くのには船しか交通手段がなく、片道25時間かかります。25時間飛行機に乗っていればどこまで行けるのかなど考えたくもないですが、これだけの悪条件であるからあの大自然が侵されることなく残っているのだと感じます。人間にとって不便な場所でなければ侵されてしまうと思ってはいけないのかもしれませんが…これらの事は船中で再度考えて記そうと思います。

 今年度から最低3年間は父島へ行く回数が増える予定で、私が月毎に一週間不在になるのは社内的にも問題があるかと考えましたが、携帯電話や超軽量ノート型PCでのメールなどを駆使し、やれるだけの事はやってみようと考えております。そして新たな設計事務所の形態としての第一歩に挑戦しようかと思います。今までは想像力を鍛えるまたは発揮できる事にお金と時間を費やすのが設計事務所の特徴でしたが、昨年度から「事務的な仕事や作図作業の時間短縮にお金を費やし、如何に右脳を使う時間を確保するか」というように考え方を変えた結果、多忙とはなりましたが充実した一年でした。船酔いしないことを祈りますが、往復の船内でもバリバリ仕事をする予定です。


 北朝鮮が日本の上空にミサイルを発射したり、WBCでの韓国の応援など、隣国の問題も多々記しておきたかったのですが、満開の桜が書く気力を喪失させてくれました。


 先週のコラムを読んで、伊吹さんからメールが着ました。「シートは霧を噴いたようにビシーッと張るものです」と追記となるコメントを頂戴しました。このようなご返事を頂戴すると嬉しく、ヘタクソな文章を多くの方に読んでいただいてありがたいと思います。
 しかしひとつ注意していただきたいのは、これを読んでいただいている方々は、コラムを読んで田中の近況を知ることができますが、私は皆様から連絡をいただかないと何も知ることはできないということです。コラムを読む事で私と会っていると錯覚されている方もいるのかと思いますが、私は年賀状でしかお会いしていない方がここ数年増えており、孤独と共に焼酎を飲んでおります。
 おかげ様で、六本木界隈に3軒も行きつけの「焼鳥屋」ができてしまいました。その他、私が店に入るとボトルが出てきたり、通り過ぎるだけで挨拶に出てくる店長等、昼間と同様悪い事ができなくなりました。焼鳥屋でも私にいきなり名刺を渡してくる方等、酔っている暇もありません。


 先週末、疲労からか悪寒と胃痛に負けそうでしたが、久しぶりにロクロを回せる時間を確保できたのでそれに集中していたら、相手にしてもらえない不甲斐なさからか、彼らは何処かへ飛んでいってしまいました。まさに「病は気から」でした。


4月13日 「出発!」
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 年度末はかなりハードワークだったので、4月に入りゆっくりと時間が流れているように感じます。暇なのかといえばそうでもなく、如何に3月までが忙しすぎたのか思い返すと笑えるほどです。


 週末、器の窯入れに先生のアトリエを訪問しました。久しぶりの訪問で、先生と少しお話しをすることができました。同年代で「モノを創る」という行為に貪欲である者同志なので(彼はどう感じているか分かりませんが)、私は話していると心地よさを感じます。栄養ドリンクのようなモノです…私も負けぬよう努力せねばと感じます。
 加えて、彼の発言中「自分はまだまだですけど…」という言葉が挟まれる事が多く、陶芸家として成長し続けているなぁと実感させられます。個人的に自信の無い者ほど強がると思っているので、その謙虚さが最近の同年代にはない重みと感じます。先生とはまた父島から帰りましたら一杯飲む事になりましたので、後日記させていただきます。


 明日、父島へ出発します。25時間の船旅、実況はしませんが仕事の合間に、どのようなところなのか、田中の目で見た父島等を紹介させていただきます。


4月20日 「浦島太郎」
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 昨日父島から戻りました。
 あのような場所で仕事をするのは非常に心地よく、現世から逃避したような気持ちになります。約一週間の出来事などは「小笠原村父島出張日記」と題し、後日公開する予定です。現在、写真等も含め掲載準備をさせておりますので少々お待ちください。


 夕方に会社へ戻り、インターネットやテレビ、新聞は見ていなかったので、最新情報等の自己処理にかなり時間を費やしました。世の中一週間でここまでいろいろな事が起きるのかと感じます。
 弊社の植木や窓の外に見える樹木の生長も著しく感じます。

 また社内が相変わらずバタバタで、疲れを癒す暇もなく仕事を始めることになりました。GW前までの仕事をテキパキと終え、GW中は、ある住宅のスケッチを描こうと思います。


4月27日 「泥酔」
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 先週金曜日に宴がありました。最近のアルコール摂取量に多少の問題を抱えており、全裸になり捕まったタレントを他人事と思えない自分がいます。


 「小笠原村父島出張日記(公開中)」にも記しましたが、独りであっても私の宴席はいつも笑いが絶えません。自分で言うのも何ですが、どうしてこんなに皆で笑えるのかと不思議なくらいですが、笑った分だけ幸福感を共有でき、嬉しく思います。


 金曜日は陶芸の先生らと飲んだのですが、陶芸家は我々と違い制作中は独りこもる訳で、我々とは違ったストレスと苦悩があるのだと心で感じながら、この宴席は絶対に彼を好きなだけ笑わせようと思う自分がいました。焼酎と共に私のお薦めの焼き鳥を食べてもらい、存分に笑い合いました。
 宴にはホストまたはピエロが必要だと常々感じております。これは大学時代に身に着けた特技なのかもしれません。その宴のプロセスが重要だと思い、良くも悪しくも相手が今どのような状況なのかを理解し、私に言葉を発する裏の裏まで考えながら、どのようにして相手を気持ちよく帰らせるかとイメージします。ひとり帰りの電車でニヤリとされて周囲から白い目で見られるくらいが丁度良いと思っています。


 自分は「一緒に酔ったフリをしながら相手をコントロールする」と偉そうに思っていたのですが、30代後半になると一緒に酔って、一緒に楽しくなっています。これもまぁ、良いかと思うのですが、話しがドンピシャ合う人と飲むとどうしても飲みすぎる悪い癖があることに気付いたのは、それに気付いていないフリをしている事に気付いた先日からなのですが、飲みすぎを注意されるかのように、久しぶりにジャレテきた猫に左手の人差し指をヒッカカレマシタ。右手でなくて良かったと思いながら、猫もその辺は考えての「お灸」だったのでしょうか。


 もう直ぐ5月になります。
 5月は弊社の6周年や、弊社の監査役であり親友の結婚式が催される等、多くの宴が予定されています。泥酔して公園を家と間違えても捕まらないように、家に帰っても服を脱がないことを習慣とすべきだと感じております。


5月3日 「何ナノ?」
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 5月に入り、排気ガスの臭いから偏頭痛と戦っております。以前までこのような頭痛を経験したことはなかったのですが、父島の空気を欲しているが故の痛みナノでしょうか。

 数年前にプリウスとフェアレディZで悩んだあげく、Zを購入しましたが、それだけプリウスにも興味がありました。ただあのデザインが好きになれず、Zのエンジンをプリウスのモノに取替えられればと感じております。そう考えると「10万キロ走ったから、車検が切れるから、古いデザインだから」という理由で車を買い換えるという時代は20世紀までのエゴと思わねばならないと感じます。「使い捨て」という言葉こそ死語になる日がやってくればと思います。

 インドの「ナノ」という車は、車社会のプロセスと在り方を考えるには最良の車であると思います。ドアの有無も検討したと聞きしましたが、このような全てのモノを必要か否か検討するべきときがやってきたとは数回前のコラムで述べました。

 私のZはシートが2つしかなく、MTです。車体軽量化の助けと貧乏性の省エネ運転技術もあり、スポーツカーでありながら9km/lくらい走ります。おそらくスピード違反速度の方が更に燃費が良くなるところが、高速道路走行時のジレンマで、「捕まる奴も悪いが、作った奴の方が悪い」と捕まっても反省しないところは、まだ私が若輩者である証拠だと思います。

 ここ数年スピード違反で捕まっていませんが、最近週に数度レインボーブリッジを往復するので、その際には青信号と共にアクセルを気持ちよく踏ませていただいております。一級建築士免許を剥奪されぬよう、気をつけねばなりません。


5月7日 「感謝されること」
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 仕事をしていて、その作品の出来栄えや頂戴する報酬以上に「ありがとうございます」と一言いわれるだけで、非常に嬉しくなります。当たり前の事のように思われがちですが、この一言を心込めて言われるとつい「設計料なんかいりません」と返したくなり、直後に所員の顔が浮かんで寸止めします。


 最近では「知的障害をもつ子供の家族の住む家」のリフォームを依頼してくれたクライアントから言われ、父島でも同じ経験をしました。この2者は、我々が当たり前のように得ている環境を得られていないことに共通し、前者は建築の常識で解決できないがそれを打ち破る技術提案をすること、後者は離島という意味でその島の為に尽力してくれることに感謝の意があるのだろうと想像できます。
 加えてお台場の学校では、本来学校側がやらねばならない事項を、ルールに押さえ付けられできずにいたので、弊社にてサポートしております。通常のクライアントを否定する訳ではないのですが、ワラにもすがる思いで私に依頼してくれたクライアントと、それに全力で応えた設計チームの間で生まれた信頼関係、そのプロセスがあって最後に感謝の言葉を頂戴するとシビレテしまいます。

 ただし、このような気持ちで仕事をしていると結構騙されますし、失敗も多々ありました。最近では、大きな失敗ではないのですが、設計見積を依頼され、「気持ちは分かるが安価すぎて申し訳ないから出し直して欲しい」といわれ再提出しました。結果、相見積だったらしくまんまと価格競争に負けさせられ、受注に至りませんでした。こんな騙し合いに付き合わされるのもまだ私の実力の無さを象徴している事項であります。


 今月16日で、弊社は6歳の誕生日を迎えます。
 この6年間で多くの失敗と成功を繰り返し、自分の生き方をひとつ一つ拾っては捨て、確かめてきたような気がします。「ありがとうございます」という言葉の厚みを感じ、その真意を読み取れるようになったのは、成長の産物かと認識しております。
 困っている人を助ける為の建築家、私に設計して欲しいというクライアントの為の建築家でありたいと思い、6年間でここまでの事務所に成長できた事にスタッフ共々感謝いたします。

 お恥ずかしながら「建築の神様はいると思っていて良い」と認識しております。流行の建築家とお会いしても媚びる事ができず、建築の神様は笑っていることでしょう。
 王道を歩めずノロマナカメのようですが、これが他の建築家にできない田中の生き方なのでしょう。昨年の誕生日はこぢんまりと長寿庵で行いましたが、今年は翌日が弊社監査役で親友の結婚式なので、特に会社で飲む宴は行わないようにし、世界中から集まる学生時の友人らと昼夜問わず飲み明かそうと思います。


5月11日 「ダルマサンガコロンダ」
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 弊社のバルコニーで、昨年から朝顔等の植物も育てています。GW中に昨年採取した種をまきました。約一週間のニラメッコの後、ようやく双葉が出てきまして、生命の尊さを再認識しました。この時期の植物は少し目を離してしまうと直ぐに大きくなり、ならば成長の瞬間を見たいと凝視するのですが、その際にはまったく動いてくれません。
 休日に会社で植物に遊ばれてニヤついているのは私くらいなものでしょう。
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 土曜日と日曜日、二夜連続で宴がありました。

 土曜日は、黒川事務所所属時に大阪府警の現場で一緒だった宮崎さんと、焼き鳥屋でした。3月から単身で転勤されたと聞きました。
 久しぶりの再会で、昔の事を懐かしく想起したり、他の仲間が今どうしているか、自分の家族が皆バラバラに住んでいる等々、あっという間に時が経ってしまいました。笑いながら「また2週間後!」といって別れましたが、相変わらずの頭の回転早さを楽しませていただきました。

 日曜日は、江藤真規さんの出版記念パーティにお呼ばれしました。娘さん二人が東大に合格したその子育てを記した本で、かなりの人気らしいです。子育て奮闘中の方でご興味ある方は、是非一度手にしてみてください(→書籍名:「勉強ができる子の育て方」/出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

 パーティは立食で少々腰痛持ちには堪えましたが、かわいらしいお嬢さん二人のかくし芸も披露されるなど、来た者を楽しませてくれました。
 それにしても綺麗でパワフルなお母さん、娘さん二人も頭も容姿もお行儀もよく、何と言っても汚れぬ純粋さが印象的でした。こんな娘にちょっかいを出す酔っ払いのオヤジ共を横目に、社会に対し幻滅せねば良いが…。


 5月に入り、疲労が取れずに悩んでおりましたが、今朝栄養ドリンクを飲み、植木に水をやるとすっかり元気になりました。あまり若葉をニラミつけちょっかいを出し、その成長に影響がない程度にせねばならないと思いながら、しばらく“ダルマサンガコロンダ”は続きます。


5月18日 「祝」
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 昨日の友人結婚式は感動的でした。

 学生時の友人で私の苦学生時にいろいろと助けてくれ、しかも私が学生時に設計した作品第一号「高鼻町川鍋ビル」の施主であり、現在弊社監査役かつ株主です。「当日は酒に酔っているからマイクを向けないでくれ」と事前に伝えていたのですが、私が友人代表で挨拶をすべきだったと皆からも責められる程、私も後悔しております。

 もし私にマイクが渡されていれば「彼の魅力や男前な性格・優しさ・気難しさ・頑固さ・純粋さ・風変わりさ等に加え、お付き合いしたい女性がいるけどどうしたらいいかと素直に打ち明けてくれた日、ちゃんとお付き合いしたいと伝えた方が良いといったらプロポーズしてしまった不器用さ、彼女を会社に連れてきてくれた時の笑顔、仲間と集まる時には何時も連れてきて皆にお披露目していたアツアツぶり等」を存分にお伝えできたはずなのに…後悔先に立たず。

 私の脳に記憶されているすべての事を思い出し、幸せが溢れている二人を見ると、鬼の目にも涙になりそうでした。新婦と初めてお会いした時の帰りに、「こんな奴(新郎)ですけど宜しく」という私の声に「はいっ」とゆっくりかつしっかり自信のある返事をした印象が強く残っています。そう簡単に彼を理解できないぞという思いがあったのですが、今思えば二人は会ったその瞬間からお互いを理解し合えていたのではと思えてしまいます。「はいっ」とは「もう分かっています」という意味だったのでしょう。

 本当に私が一番幸せになって欲しいと思う友人で、昨日は私自身もかなり嬉しい一日でした。比較的静かで落ち着いた大人の披露宴とは裏腹に、私の脳裏はいろいろなことが駆け巡って騒がしい宴でした。


 設立記念日に、多くの方からお祝いメールやお手紙、お花等を頂戴しました。
 ありがとうございました。

 ようやく7年生となり、学校でいえば小学校から中学校へとなります。荒波に飲み込まれそうになっても這い上がり、暴風に吹き飛ばされそうになってもしがみついての6年間でした。孤独感や悩乱は解消されませんが、何らかのストレス解消法をアルコール以外で考えねばならない時期が来ているように感じます。
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5月25日 「テレビ悪」
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 腰痛の影響もあり、自転車よりも徒歩での移動が多くなっており、先日も港区役所からの帰り道を歩いていたのですが、途中でお手洗いに行きたくなり、芝公園のお手洗いに向かいました。

 するとダブルのスーツを着た男が私のところへ駆け寄り、撮影中だから通るなと言われました。体調が悪いなど交渉はしたのですが、一切聞き入れられず、膀胱炎になったらどうしてくれるんだと思いながら、東京タワーのお手洗いへ急ぎました。その道中、遠めに撮影風景が見えたのですが、ウド○○がTシャツ短パンで笑いながら馬鹿をやっている撮影でした。こんな撮影で通行止めをされてしまうのかと怒りがこみ上げてきました。

 港区内でテレビに映る人を目にする事は多く、撮影もそこらでやられております。撮影をするなとは言いませんが、偉そうに平気で通行止めをしたり、タレントのワガママが最優先されるのはご勘弁いただきたい。所詮彼らは見世物であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。カメラの中に通行人が入るのが嫌なのであれば、人の通らないところで撮影すればよく、人口密度の高い港区でそれをやろうとは失礼極まりないと感じます。見世物の扱いがオカシイ社会となっているように感じます。これに関しては改めて文章にします。


 先週はじめに新たなお仕事を頂戴しました。
 初めて黒川事務所でのあるキャリアが評価されたのですが、大変な仕事をすることになりました。工期も短く集中力を要する物件なのですが、弊社ではこのような仕事が得意と言い切れるようになりました事を嬉しく思います。


 7月14日から父島へ行くことになりました。
 夏休みは混雑するということに気遣って一週間前の渡航です。きっと気候がかなり良いと思われ、隠して水着を持参しようか迷っております。
 恥ずかしながら澄んだ海で泳いだ経験がなく、仕事で行くとはいえ1時間でもチャンスがあればイルカや海亀らと泳ぎたいと…こんな贅沢をしてはいけない身分であることは承知なのですがついつい瞑想してしまいます。

 今年の夏は監理するプロジェクトが5件決まっており、更に増える傾向にあります。暑く忙しい夏になるであろうと感じており、頑丈な麦藁帽子を買おうと思っているのですが、春日部市が麦藁帽子の名産地らしく、渡航前の買い物ついでに中学棟とプールに挨拶をしに行こうと思います。

 最近、父島を紹介するようなテレビ番組が多いようですが、前回の渡航時にもNHKの撮影と一緒で彼らが最優先の船中でした。テレビというメディアを扱う人々は何故か自分らが偉い人と勘違いしているように思います。父島が、テレビ人やそれを崇拝する人々に汚されぬよう祈ります。


5月28日 「エコポイント」
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 何を考えてこのネーミングをしたのか不知ですが、単に消費を助長するだけのものであるとは、誰もが感じる単純なお話しだと思っております。何がエコなのか…以前書きましたが今必要なものなのか、必要だったものなのかを根本から再考すべきと思います。
 エコカーや最新の電化製品を買うことにエコポイントが加算されるのであれば、自転車を買う人や毎月の電気代の安い家庭等にもエコポイントを与える必要があるとは自然な考えで、その他植物を植えて夏の日射を遮断しようとする行為もポイント加算できるようなシステムを…考えていると楽しくなるのは私だけでしょうか。


 このエコポイント制度は残念ながら本気のエコ活動とは思えません。
 それぞれ気付いた人が地道にやるしかないかと半分諦めております。党首討論の中継を観てガッカリするよりも、六本木の焼き鳥屋で焼酎を飲みながら夢と未来を語る方が、楽しく力が沸いてきます。


 弊社の朝顔は発芽率が高く、ここまで密集するとは思いませんでした。ここから朝顔同士が切磋琢磨し、競い合って弊社のバルコニーを包み込んでくれればと思います。
 また先週末に植えたゴーヤがそろそろ発芽の時期となりました。ゴーヤの葉は大きく朝顔を圧倒してしまうので、「ゴーヤが発芽する前に早くツルを伸ばせよ」と毎朝散水時に声をかけております。
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6月1日 「昭和」
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 酒飲みの話ばかりで心配されそうですが、金曜と土曜日に宴がありました。


 金曜日は「狭笑の家」のお施主様との宴でして、久しぶりにお会いしたということもあり、はじめから店を出るまでがあっという間に過ぎ去りました。6月にご自宅に伺う約束をして別れましたが、このようなお付き合いができるからこそ、住宅設計は止められないのだと実感しております。偶然にも「ひょうたんの家」のお施主様からもお誘いメールを頂戴しており、また楽しみが増えました。この私の財産であるお施主様とお会いすることで、住宅の設計をまたしてみたいと思えるようになりました事、感謝申し上げます。


 土曜日はご年配の建築家夫婦にお呼ばれしまして、そこに集まった方々との宴でした。これだけ平均年齢の高い場は経験がなく、昭和の一桁に生まれた方々に囲まれて、ワインと共に美味しいお食事をご馳走になりました。
 最初の話題は勿論建築などのお堅い専門的な話しが先行したのですが、酒が進むにつれ政治の話しや第二次世界大戦の話しにまで発展しました。特に戦争に関しては、我々が知る美化された内容を覆す真実を聞かされ、かなり驚きました。洗脳的な訓練の後の不条理な命令を「お国のためではなく、後世や残された家族の為」と思い自らの命を絶つ覚悟は、あまりにも現代社会からかけ離れ想像を絶するものでした。
  また当時の軍事力にかける費用割合は、現在騒がれている隣国とは比べものにならない程高く、加えて侵略国家と言われているが、当時は植民地を持つことが先進国のステイタスのような雰囲気だったとも聞き、いろいろなことを考えされられました。

 戦争に関しては自らが経験していない以上、このようなところに記すのは危険だと若干の抵抗をもちながら記しています。しかし、真実を隠蔽する国家から公開できる先進国に発展しつつあることは明らかであり、またその苦しみを経験して生き残られた方々が明るい昭和を築いてこられたわけで…私は平和を尊重し戦争を否定はしますが、無言で命を落とした兵士らの無念さも理解するべきだと少し思うようになりました。特攻隊になった兵士らは「自分が犠牲になれば日本は生まれ変わり良い国になる」と思っていたと聞きましたが、60年以上の時が過ぎ、自らのことばかりを考える国・政治・都市・家庭となりつつあります。

 「昭和」という言葉から「希望」「安心」「活気・競争」「意欲」などを想起するのは私だけではないでしょう。昭和と平成の境にバブルが崩壊し、それを機に経済・政治・都市・家庭がオカシクなったように感じます。「平成」という言葉が「混乱」「不安」「喪失」「ストレス」などの代名詞にならぬよう、何とか個々で払拭できるよう努めるべきと思います。もう政治屋に頼る時代ではありません。個々が自らの人間性を高め、家庭・仲間・集落・都市そして国を変える時代だと感じます。
 「昭和の頃は良かった」と後世に伝えるのではなく、これから「平成」という時代を急がず地道に作っていくべきと思います。直ぐに結果を欲するのは平成の悪い癖です。だからこそ特に「最近の建築は薄っぺらい」と皆が感じるのではと思っています。努力なく結果を欲することが、利便性が高まる社会での危険要素であることは明白です。

 私は戦争を知らない世代です。以前、戦争を知ると知らない世代では完全に建築に対する思いが違うと述べました。その発言は間違ってはいないと再認識しましたが、かつては口先だけであり、まだまだ知らない事は多々あるはずで、自分の発言の軽さを痛感しております。


6月7日 「禁酒」
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 笑われるかと思いますが、先週の月曜日に黒川事務所のOBらと飲んで以来、長続きするとは思いませんが禁酒しております。
 毎週「酒を飲んだ…」とコラムに書いていて、アルコール依存症のようで恥ずかしくなり、少しでも酒を断てるか試してみようと思ったのがきっかけです。これまで「夜眠れないから飲む」という言い訳でしたが、この短い禁酒期間で数年分の肝臓の疲労回復になればと思います。学生の頃から私の血液はアルコールだと笑われましたが、30歳を過ぎると赤面するようになり、35歳を過ぎると楽しく酔えるようになりました。


 「三十にして立つ」を目標に独立し来月で37歳、「四十にして惑わず」というまったく自信のない目標について考えねばならない時期になりました。
 今月末で「禁煙」から一年になります。タバコは容易に止められましたが、アルコールを止めるつもりはまったくありません。今回禁酒を決めた最大の理由は「アルコールに頼り、何かから逃げるのを止めよう」と思い、何から逃げているのかを自分の中で今一度整理しようと思っただけなので、これを読まれて私を宴に誘わなくなるのだけはご勘弁ください。


6月11日 「中銀カプセルタワービル<メタボリズム-1>」
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 故黒川紀章氏の代表作の一つである中銀カプセルタワービル、その作品が「寿命→建替え」と世間から判断されたそうなので、私なりに思うことを記します。
 私がこのような事を記してよい身分だとは思っていないのですが、誰かが発言しておくべき事項と思いましたのでこのコラム内にだけソフトに発信します。

 私は学生時の課題で、友人と3人でこの模型を作りました。作ったとはいえ、当時は他人の設計した建築の模型を作る理由が分からず友人任せのような対応をしましたが、今となっては、課題の領域を超えて自分なりのカプセルタワーを作って表現すればよかったと多少の後悔があります。

 この作品は黒川氏が生前、保存を求めて活動していましたが、おそらくその願いは叶わないでしょう。これだけ世界に衝撃を与えた建築が、大した討論や議論もなく取り壊される事を不快に思いますし、それをサポートできなかった建築家協会にも問題があると思います。

 メタボリズムの代表作でもあるこの建築は、中央2本のコア周囲にカプセルとなる住居が、磁力に引き付けられているかのように連なり接着している印象をもたらしています。このカプセル一つひとつは取り外す事ができ、当時の自動車にて自由に運搬可能な大きさに設計されています。
 よって例えば1週間どこかへ行きたくなれば、部屋ごと移動できますし、古くなり新しくしたくなればカプセルごと取替えられるというコンセプトとなっています。
 新たな「住む」という概念をあそこまでセンセーショナルに表現できた作品を、私は近年見ておりません。流行の建築家の作品とはレベルが違い、建築という住家を作った人類の、それに対する固定概念を覆す作品であった事は明確です。


 個人的な意見ですが、黒川氏が都知事選に出馬した際に作った選挙カーは、このカプセルを積んで移動しているような印象がありました。本当にカプセルを積んでしまえば…とも思いましたが、生き抜く時間がなく、車検などの問題があったと思いますのでそこまではやり切れなかったのだろうと察しております。


 話を戻しますが、「取り壊して建替える方が、経済的に宜しいから」という理由が建替え推進者の意見だと思います。しかし、この建築を手に入れた人々はそのような考えの人であってはならないと思っています。黒川氏のコンセプトを理解した上でその魅力にひかれ、この建築に住みたいから購入したはずが…建替えたい人は買いたい人に売って欲しいと思います。

 私に時間があれば、この模型を再度作ります。カプセルを取り外し、カプセルを新しくしたらこのような建築ができると訴えたいと思っていました。そして私も1つか2つ購入して、私だったらカプセルをこのようにデザインするというように示し、それぞれがそのような思いで新たなカプセルをデザインして、その集合体が真のメタボリズムだと訴え、コンセプトを伝承したいと考えています。
 これを学生時に作っていれば、今すぐに提示できたのですが…後悔先に立たず。


 メタボリズムは時と共に変化を好み、未完であり続けねばなりません。人の金儲けの為にメタボリズムが拒絶される程愚かなものではないと、黒川氏に代わり金儲け集団に訴えたいと思っているのが本音です。

 もし景気の悪い現在にあの建築を建てるとすれば、竣工時にカプセルを半分くらいだけ設置したかもしれません。そこからメタボリズムを想起させる事もできたはずで、増設したい人が現れればそうすればよいですし、それと同時に老朽化したカプセルを取り替えても設計趣旨に合致していたと思います。

 蛇足ですが、もう一つ忘れてはならないあの建築の良さは、何を隠そう「施主を説得できた事」だと思います。斬新なデザインであることは勿論、これをうなずかせた建築家にも驚きますが、うなずけた施主もある意味素晴らしいと思います。
 私が生まれた頃の作品なのでその状況は不知ですが、当時の黒川氏と同年代になり、施主をうなずかせた際にはきっとシビレタだろうと感じます。

 黒川氏が亡くなったからといって、作品が無秩序に迫害されてはなりません。誰が動くべきか具体的に名前を挙げませんが、発言力のある者がそれなりに動かねば、女々しい建築だけが世にハバカリます。マネーゲーム建築家と女々しい建築家は、黒川氏を目の上のタンコブと思っていたでしょうから、おそらくこの作品の解体を喜んで推奨することでしょう。

 →中銀カプセルタワービル<メタボリズム-2>(12月7日)につづく。


6月15日 「戦艦大和」
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 先週木曜日で禁酒期間は無事終了し、アルコール依存症ではない事が確認できました。禁酒中に読んだ本の中に、以前コラムに記したご年配の建築家夫妻から頂戴した「戦艦大和(角川文庫)」があり、これが太平洋戦争の象徴だろうと思うような内容で、皆様にもお勧めできる書物かと思います。死に行く友のヘビーでグロテスクな表現もありますが、どんな戦争映画や本よりも、平和を望む人間らしい苦悩が表現された良本であると思いました。


 今週と来週で、今年度前半の仕事量の大半が決まります。集中力が求められる2週間となりますが、37歳までマジック1ヶ月となり、気持ちよさそうに成長する朝顔とゴーヤにパワーをもらいながら、精神的にゆとりある時を過ごしたいと感じております。
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6月22日 「銀歯と麦わら帽子」
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 約2年前に奥歯を治療したのですが、先週その銀歯がボロッと取れてしまいました。銀歯に穴が開いており、それが外れた原因だと歯医者から聞きました。「何故2年足らずで穴が開くのか?」と問いましたが、カタイモノを食べ過ぎたのではと返されました。
 草加せんべいを食べて育った事もあり、カタイモノは好物ですが、「銀歯がすり減るほど食べるわけがないでしょう…」と歯医者のコメントもいい加減なモノだと思うようになりました。


 先週、春日部に行く用事があったので、そのついでに麦わら帽子を買ってきました。
 ネットで調べると名産といいながら店舗は2軒しかなく、現地に行ってみると木造2階建ての玄関土間が店舗に兼用されているような状況でした。麦わら帽子は需要が減り、店を閉めた人が多いと聞きました。
 ………といいながら、私は春日部では多少名前が知られており、「娘が春日部共栄の卒業生」という店主の言葉から始まって、気付けば30分以上も話し込み、最後は名刺まで渡してしまいました。ということで麦わら帽子の種類は選べたものの、帽子にハチマキのように巻かれている布の柄までは選べずに、渡されたモノを購入してしまいました。
 よく観るとバラが描かれた布であり、私には似合わぬ柄と分かっていて私に渡すところが商売上手なのでしょうか。次に行ったら柄の無いものを購入しようと思います。


6月29日 「キャッチボール」
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 父島で2つ目のお仕事を頂戴しました。
 こちらからお礼を言わねばならないのに、施主から感謝のお言葉を頂戴し、短期間ですが契約金額以上に一生懸命仕事をしようと改めて認識しております。7月14日からの渡航予約をし、父島滞在中は2物件の現地調査や施主打合せや申請手続き等の打合せ作業を手際よくせねばなりません。
 以前コラムに「水着を~」と記しましたが、そのような状況ではなくなってしまいました事、残念ですが…まぁ、いつかは観光で行ければと思います。


 久しぶりに「狭笑の家」ご家族から招待されまして、お昼から夜まですっかりご馳走になりました。
 当日の昼はドシャ降りでしたが夕方にパタッと止んだと、部活が雨で中止になり追加の焼酎を買いに行かされた息子さんから報告を受けました。であればキャッチボールをしようということになり、中学生相手にかなり久しぶりにグローブを手にしました。
 私だけでなく野球をやっていた者は、キャッチボールをすると相手方の実力が直ぐに分かります。加えて相手がどのような気持ちなのか等、無言の会話を楽しむ事ができます。最近、残念ながら子供とキャッチボールをするお父さんの姿を見ることが少なくなりました。こんなに良いコミュニケーションツールはないと思います。
 自分のリズムでストレスを発散し、親にかなわないという技術を見せられ、相手に気を遣う優しさや挨拶などの礼儀も教え…などなどたくさんのメリットがあります。世の中のお父さんにキャッチボールをお勧めし、少しでも子育てが楽しくなり、強く威厳ある父親が多くなればと思います。


7月6日 「サーバートラブル 」
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 金曜日の夕方から土曜日の夜まで、大塚商会アルファメールのサーバートラブルに巻き込まれてしまいました。この間にメールを送られた方、大変申し訳ございませんが再送願います。
 現在の弊社の仕事スタイルとして、パソコンと社内LAN及びメールは必需品となり、「メールがないとこんなに仕事にならんのか…」と驚かされました。先週はノート型パソコンが突然使えなくなり、父島への渡航が近づいているこの時期に修理に出すのかと焦りました。結果、電話対応だけで直ったので安心しましたが、機械に頼る事が当たり前になり、それを突然失った際の対応を心得ておかねばならないと反省しました。


 昨日「ひょうたんの家」に招かれお昼をご馳走になりながら、楽しいひと時を過ごさせていただきました。建築と同じ歳の子供もすっかり大きくなり、小さなお子様がいるお家にもかかわらず、障子も襖も綺麗なままで、奇跡のような美しさに驚かされました。
 庭にはたくさんの花が咲き、竣工時よりも建築が成長しているように感じ、その嬉しさから昼間だというのにアルコール摂取量が増えてしまいました。


 今月に入り、より一層忙しさが増してしまい、今日の時点で現場が4件、設計も4件と猫の手も借りたくなるような状況です。以前にもあったのですが、忙しいときに限ってサーバートラブルに巻き込まれるのは、落ち着いて仕事をするようにとサーバーから指導されているのかもしれません。
 同時にひょうたんの家へこのタイミングで行く事ができたのも、カミガカリ的な気がしており、私は恵まれた人間であると感謝の念が絶えません。


7月13日 「うたた寝」
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 今日で37歳になりましたが、誕生日がきても大して嬉しくもない年齢になりました。37年間生きさせていただき、何のために生き、あと何年生きさせていただけるのかと毎年この日に考えます。


 金曜日の早朝から、近所の現場で設計前調査と打合せをし、その足で昼も食べずに電車に飛び乗り、途中ノート型パソコンにメールを転送させ返信をし、電車を降りると携帯で話しながら現場へ…。現場ではしょうもない議題にイライラしながら久しぶりに一喝した後、「今から帰る」と会社に電話しました。
 電車に乗ると、社会人になって初めてではないかと思われる「うたた寝」をしてしまいました。乗り換えの永田町駅に到着する手前でお腹が鳴り、乗り過ごす事はありませんでしたが、寝てしまった自分を奇妙に思いました。


 明日から父島へ出張します。バタバタ状態での渡航は少々の不安を抱かせますが、腰の状態も悪く、「父島でギックリ腰にならぬよう気をつけねば…」と南の島に行く人間に最も似合わぬコメントしか出てこないのが、正直悲しいところです。


7月21日 「父島出張後記」
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 一昨日、父島から戻りました。今回の船中は波も穏やかで快適でした。

 父島ではウミガメの産卵を見る等、前回以上にオモシロオカシイ旅でした。「父島出張日記2」を公開するかもしれませんので、首を長くしてお待ちください。

 今回のお土産に「葉から芽」を持って帰りました。何と名前のとおり“葉から芽”が本当に出ており、小笠原諸島や沖縄に生息しているそうです。珍しさのあまり購入しました…が、宿の裏にも当たり前のように生息していて、宿のお母さんから「タダであげたのに…。」と残念がられました。
 などなど名目上は仕事での出張でしたが、旅としても愉快な楽しいモノでした。

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 一方で出張中、新たな仕事のご連絡をいただいたり、会社から業務報告があったりと、携帯電話とメールの存在をありがたく思うと共に、逃避できずに何処までもついて来られてしまう現世の悲しさを感じずにはいられませんでした。
 楽しい旅と宴も良いのですが、一体私は1週間で何升飲んだのか…考えただけでもゾッとします。
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おがさわら丸から、お台場のガンダムが見えました。


7月30日 「緑の光」
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 弊社バルコニーの植物(ゴーヤ・朝顔・るこう草)が日除けとなり、今年の夏は社内が緑の光に包まれております。特に土曜日は昼間に照明を極力付けないようにしているので、緑の空間を演じてくれています。

 父島から戻り、予想通りの多忙ぶりにコラムを記すのを忘れておりました。4ヶ所の現場に加え、新たに約6万㎡の複合施設を設計する事になり、通常であれば尻込みするところを平気で受託できるところは、黒川事務所でのキャリアのおかげだと思います。
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8月3日 「変身」
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 青色の朝顔が、昼になると紫色に変身する事をこの歳になって知りました。毎日毎日、大小20近くの花を咲かせてくれますが、夕方にはしぼんでしまうのを見ると、少々寂しい気持ちにもなります。
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コラム写真06-16 昼過ぎ


 私の名前に使われる漢字は4文字あり、その内「俊」という漢字以外は小学校低学年で習う、至って平凡な漢字です。その平凡さから笑われたりもしましたが、「俊」を「後」と間違える友を笑い返したりしました。
 ところが最近名刺交換する人やテレビや新聞、インターネットに登場する人の名で「俊」という漢字を使う人をやたら目にするようになりました。これはオカシイゾと思いながら、唯一私の名前にとって平凡でない漢字の利用率の高さに戸惑いを覚えます。
 以前は「この漢字を使う人に悪い人はいない」と笑いながら名刺交換をしましたが、今は「あなたも…ですか…」と落胆しながら相手に申し訳ない態度をとっています。


 私もこの朝顔のように変身してみたいと似合わぬ事を考えニヤツイテいましたら、やっと実が生ったゴーヤにニラマレタように感じました。
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8月10日 「アヘン戦争」
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 学生や主婦にまで麻薬が蔓延していると最近のニュースでしたが、テレビに出演する“見世物”の麻薬汚染のニュースは、その興味からか大きく取り上げられます。
 最近逮捕された2件の“見世物”のうち、男の方はその男気の無さに笑えるというか、「実は女々しい男だったのね…」と、最近の弱い男の象徴のように感じます。女の方は、同年代として恥ずかしく思うほど甘ったれで見るに耐えないモノでした。
 “見世物”を「タレント」とか「スター」「アーティスト」などとテレビや雑誌メディアは言いますが、チヤホヤするのもいい加減にせねばと感じて欲しいです。

 歴史の授業でアヘン戦争を習いました。その内容を聞いた時にはかなりの衝撃でしたが、この麻薬らはどこから入手しているのかを考えると、アヘン戦争の再来を感じざるを得ません。


 誤解なきよう、私は平和主義者であると数度ここに記しておりますが、たまに湯船に浸かり日本の未来を考えます。「その豊かさ故に若者の体力を奪い、夢を奪い、麻薬汚染し、子供を育てにくい社会として人口が減り、年寄りの作った借金を返済し、彼らの面倒も見なければならない」と暗い未来が直ぐに思い浮かびます。
 これが何処かの国に仕組まれていることなのであれば恐ろしい事態です。
 更に、ゆとり教育等により日本男子は仲良く競わず教育され…この事を考えると延々となりますので、後日改めて記します。


 日本は戦えない男の集団となりました。
 男女平等という言葉がありますが、今ではそれを越えた男女不平等であると思います。8年前に中国出張で感じたのですが、今では日本も女性の方が強くなり、男は「草食系」などと言われ、インターネットの牧場で飼育されるようになってしまいました。
 先日のインターネットでは目を疑いたくなる「スカートをはいた若い男性」の写真とそれを容認するのが40%と記されておりました。若いプロゴルファーは勝つ度に泣き、試合中にも泣きそうだったと試合後のインタビューで恥じらいもなく語ります。

 私が他国の戦国武将であれば、団塊世代が引退する数年後が「日本の攻め時」と策を練ることでしょう。上手に絵を描く為ともう一つある理由から極力筋力を落としてきましたが、上記女々しいヤツラを見ていると、平成25年度の複合施設完成予定が待ち遠しくなります。施設の点検という言い訳で筋トレをしているかもしれません。


8月17日 「お盆前に…」
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 明日から弊社の夏期休暇だという12日の夜に奇妙な体験をしました。


 この日は朝から現場打ち合わせ等があり、あっという間に夕方となりました。
 頭の片隅にはお墓参りに行かねば…という気持ちはあったのですが、次から次へと夏期休暇前の駆け込み事項が多く、社内は混乱した状況となりました。外を見ると暗くなっていたので、焦って立ち上がりスタッフへこの事態を話していると、スイッチの入っていない頭上のクーラーから冷たい風が流れ出てきました。
 誰かにクールダウンを促されたのかもしれません。


 翌日の朝、強烈な朝陽を浴びながらお墓参りをしてきました。汗だくで拝む私を、指を差しながら腹を抱えて笑っておられたのだろうと推測しております。


 父島出張日記を更新しました。
 その中に登場するカツオドリを見ていたときに、黒川先生の詩集を思い出しました。今頃黒川先生は、あの鳥のように大空を縦横無尽に飛び回っているような気がします。


8月24日 「友人」
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 ゴーヤが中途半端な大きさでオレンジ色に変色してしまいました。鉢植えだからそんなに大きくなるとは思っていませんでしたが、半分ずつ2日間で変身してしまいました。
 夏の終わりを告げるようで少々寂しく感じます。
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 高校時代の恩師と友人らと15人程での宴がありました。皆は短髪で体型も締まっており、ボサボサ頭でブヨブヨ体の私とは、歳が同じなのに人種が違うようで恥ずかしさを覚えました。
 2日で姿を変えられるゴーヤをうらやましく思います。


 彼らと会うと笑いが絶えない楽しさと、そのエネルギーに驚くといいますか、己も鋭気に満たされた気がしております。朝方まで皆で酒を飲み続ける根性と若さも見上げたものでしたが、友人と別れた帰路でタクシー運転手に「遠回りするなよ」と一言発した後に寝てしまった自分を情けなく思いました。
 また「このコラムを読んでいる」と言ってくれた仲間もいまして、嬉しいひと時でしたが、相変わらず集まると10代の記憶がよみがえり、誰が何と言おうと私はこの友と共に成長できた事を誇りに思います。


 それぞれがそれぞれの友の為に頑張らねばと感じた宴だったと感じています。
 何となくですが、そんな友の存在が嬉しく、今日よりも成長した私でこの仲間と再会できるように日々過ごそうと誓いました。


9月1日 「オーバーヒート」
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 先々週だったか、現場からの帰りに車を車庫入れをしようと運転していると、子供か犬が苦しんでいるような音が足元から聞こえ、ひいてしまったかと青ざめました。エンジンを止めて車外に出てもその声は止まず、覗き込んでもその姿はなく、その直後に冷却水があふれ出てきました。単なるモータの故障によるオーバーヒートだったようですが、この体験は本当に人生が変わる恐ろしさを感じざるを得ませんでした。


 先週、オーストラリアで生活している友人が弊社へ遊びにきてくれました。
 日本のストレス社会から開放されているからか肌の色艶もよく、うらやましく感じたのと同時に、それに対抗するかのように父島の自慢話をしてしまいました。彼女や北海道で生活する川崎さんをうらやましく思い、父島での仕事にたどり着いたことを思い出しました。

 今週金曜日から4度目の渡航です。
 また何かを得て帰ってきたいと思います。


 以前もご紹介しましたが、大阪でお世話になったM夫妻と近所の焼き鳥屋で一杯やりました。息子さんがカリフォルニアへ留学するのでその見送りと聞きました。
 息子さんから数年前に進路について相談され、現在とは違う道を勧め遠回りさせた罪の意識がありまして心配していたのですが、しっかりと自ら目指す方向へ歩む姿は、今の若者に欠けている強さを感じました。


 さて、そんな若者をうらやましく思いながら、私の腰もオーバーヒートしてしまい、移動手段として電動自転車を購入しました。これでどんな坂道も完璧だろうとニヤツイテおりましたら、台風豪雨のおかげで使用できずに徒歩での移動となり、足を引きずりながらビショヌレとなりました。


9月10日 「監理業務」
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 今回の父島への出張は、台風にやられ散々なモノでした。後日、またいつものように出張日記を掲載しますので、興味ある方は読んでください。
 まだ疲れがとれません。


 現在、4現場の監理をしている事は以前記しましたが、監理業務が昨年度までのそれと比べ何故か非常に疲れます。こんなに疲れるかなぁ…と感じるほどです。


 現場からの帰りに、東京スカイツリーの現場が目に入り、しばらく車を止めて眺めておりました。この施工会社は、「何故このスチールフレームは美しくできなかったのか…」。日本を代表する塔のデザインを、コンペなしに決めた人間の責任は大きいぞと感じました。
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9月21日 「如来と菩薩」
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 シルバーウィークのおかげで、現場に行かず作図作業に集中しております。普段の社内は、電話が鳴りラジオを付けた中で作業をしており、猫の鳴き声も手伝って、どちらかといえば集中できない環境とされております。しかし、この連休だけは猫も静かで建築以外のことに関しては「無」となり、クリックとキーボードの音が「お経」のようで、建築座禅の雰囲気を演出しております。

 奈良の白鹿さんから、如来と菩薩の違いを関西弁で教えていただいた事を思い出します。色々な説があるようですが、それぞれの説もなるほどと理に適っており、実物彫刻を前に左手に缶ビール右手にコロッケというあまり宜しくない態度での授業ではありましたが、私には忘れ難い記憶です。
 まだまだ菩薩の域にも達しませんが、早く全てを削ぎ落とし成長し、如来の領域を感じてみたいと、努力の日々は続きます。


9月28日 「傷心猫」
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 父島出張日記を更新しました。次回の渡航は10月14日です。
 環境局から下記文書が発表されました。この島で設計する責任は多大なものだと改めて感じます。

 「世界遺産条約関係省庁連絡会議において、日本政府として、小笠原諸島の世界自然遺産登録への推薦書(暫定版)をユネスコの世界遺産委員会事務局に提出することが決定されました。」


 先々週だったか心無い近隣の人が、弊社バルコニー付近で鳴き騒ぐ猫たちに何処からか爆竹を投げつけ、猫の悲鳴の後に周囲は静まり、車の騒音しか聞こえなくなりました。今まで数度爆竹の音がしたことはありましたが、猫の悲鳴を聞くのは初めてでした。
 おそらく直撃したのだろうと推測しております。

 その数日後、デスクに座る私にアピールするかのように、元気のない猫が前足を引きずりながら横切ろうとしました。たまらず私はバルコニーに出て、何時ものように口笛を吹きました。その音を聞き、猫は数秒間動くのを止めるのですが、振り向く事もなく下を向いたまま、再び歩き姿を消していきました。
 これが数度繰り返され、今日の時点でもまだ怪我をしている様子です。

 「爆竹を投げた奴に報復しろ」と私にいいたいのか…数匹の猫が同じように私と目を合わさず、姿だけをちらっと見せます。これが演技であれば、相当なモノだと思いますが、私は騙されているのでしょうか。
 ………とはいえ、何故か私は猫と話しができるようになりそうで、頭がオカシクなっているぞと何時ものようにゴーヤたちからニラマレテおります。


 建築家協会の催しで12月5日に人前で話しをする事になりました。詳しい内容は決まり次第ご案内させていただきます。
 私がいじめられる催しにならねば良いがと表面上は弱気になっておりますが、そんな機会もたまには良いかと前向きな気持ちではおります。
 ご興味ある方は是非、足をお運びください。


10月5日 「オリンピック」
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 「東京でオリンピックを!」という活動には反対でした。

 私の師が都知事選に立候補したときの公約に賛同していましたし、築地市場での「食の安全」が中国のように揺らいでしまうのではないかという不安もありました。食の不安とオリンピックを天秤にかけ、オリンピックを選ぶ人の気が知れないというのが本音です。
 そして日本はオリンピックでゴマカスのではなく、日本中のアカや膿を全て出さねばならないという世論となっているのに、大きなイベントで盛り上がろう等は、あまりに愚かな行為であると感じていました。


 発表前夜、私の通勤路から見える東京タワーは今までの中で最も派手な照明となっていましたが、私には最も恥ずかしそうな、寂しい姿に映りました。
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10月12日 「エゴ」
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 猫と爆竹住民との争いはまだ続いているのですが、爆竹の後の逆襲として、猫はより大きな声で鳴くようになり、猫も強いモノだとニヤリとしながら感じております。


 先週の台風直撃の日に、独立して以来最も嫌なを経験しました。
                 ~ 中略 ~
 暗くなった帰り道の自転車はペダルに力が入らず、やっとの思いで会社の駐輪場にたどり着きました。すると猫が3匹待機しており、心配そうに私を眺めておりました。笑われそうですが、私は独り言のように「ありがとう」と発してしまいました。
 それから毎日、猫が私の様子を伺いにくるようになり、今日に至ります。


 私を求める場であれば報酬額に関係なく、一生懸命休みなく人生の一部を提供しますが、私の揚げ足を取り、人間のクダラナイエゴに付き合わされるようであれば、背を向け、私を真から必要としてくれる生命や建築と共に生きたいと思うところです。

 猫のように、爆竹でやられても這い上がってくる強さがウラヤマシイと思うのが本音かもしれません。


10月22日 「三回忌」
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 先週12日は師の3回忌でした。


 月曜日に父島から戻り、竹芝桟橋から会社に直行しました。脳ミソが揺れているにも係らず、遅くまで仕事を強いられ、現在かなりの疲労感です。
 今月末までこの状態が続きますが、何とか粘りきり11月は少し楽をしたいと思っております。

 今回の父島出張で、少々発展がありました。出張日記はそのうち更新すると思いますので、首を長くしてお待ちください。


10月27日 「ユンケル」
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 忙しい日々は続き、18時半の定時業務終了時刻から一瞬で24時になってしまいます。あと一週間(10月末まで)と思い、壊れた腰に油を注入しながら働いております。

 同世代のイチローはユンケルのCMで格好良くそれを飲みますが、私はボロボロの状態で“最終兵器”と思いながらそれに手を伸ばします。
 効き目があるのかは別にして、それを飲む事で「もう少し働ける」と念じる自分がいます。
 若者はこの私の姿をみて、「実に格好の悪い体たらく」と感じるのでしょうか。一生懸命やる事・競う事が格好悪いと教育され身についた人々は、私に指差して笑うことでしょう。


 私の大学の師である石山教授がある雑誌で、「このような若者を生んだ社会を否定するのであれば、日本で生きていけない(要約しすぎと怒られるかもしれませんが)。」というような事を記していました。
 「なるほど…」と思いましたが、それを受け入れるにはもう少し歳をとらねばならないと苦笑しています。

 これらの連続が私のアルコール摂取量を増やしていると言い訳しておりましたが、冗談もいってられないこの土壇場で最終兵器「ユンケル」を注入し、何とか遅延せずに仕事が終わるよう努めております。


11月2日 「ブロック」
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 数回前のコラムで12月5日に人前で話すことになったと記しましたが、日を改めて仕切り直しになりました。日程が決まりましたら、またご案内させていただきます。


 陶芸の先生が個展を開いており、昨晩その見学の後奥様同席で一杯飲みました。

 陶芸家と建築家の「脳ミソの構成の違い」を、酒を飲みながら考えていました。酔っ払った帰りの電車で、その発展した話として、私は幼少の頃、ブロックで遊んだ事が影響しているという答えに行き着きました。友人は戦車やガンダムのプラモデルを作って遊んでいましたが、私は両親からそれを与えてもらえませんでした。そのおかげで何時もオリジナルの基地や飛行機を作り、どうやったら機能的にもデザイン的にも優れたそれになるのか悩みながら作っておりました。

 これが建築家教育の始まりだったのでしょう。
 プラモデルは色を付けるなどの工夫はあるにせよ、基本的には決まった部材の組み合わせで、一つの解しか得られませんが、ブロックは自由に自分の好きな形を創出できました。


 現在、地元の小学校は“放課GO”というモノがあり、子供を遊ばせるのに大人が一緒に遊びます。遊び方まで大人が決め、子供はそのとおりに遊びます。塾や習い事では勿論ルールが決められており、子供の右脳は発展途上のままなのでは…と思います。
 もしかしたらその右脳にはかなり優れたモノが眠っているかもしれない事を考えると…建築家教育は崩壊しているのかもしれません。


11月9日 「月月火水木金金」
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 月曜日から金曜日まで働くとして、その一週間のイメージを月曜の朝に抱きますが、電話や突発的な用事やアイディアの変更等の影響で大抵そのイメージに反する結果となります。そこで、それを補うのが土曜日となりますが、電話も殆どなくイメージ通りに仕事が運びます。日曜日には、前週の反省から月曜の朝よりも前に一週間の準備をしようとするので、仕事をする事になり、この連続が数年間休めない人間となっておりました。
 まさに「月月火水木金金」働く男で、経営者としては仕方のない現実です。そのおかげで植木たちは365日面倒を見てもらえ、すくすくと元気に育っております。

 しかしながら先週の日曜日、ユンケルも効かないかなりの疲労度から、数年ぶりに体を休ませました。一日休んだくらいでは休んだ気にならぬほどの疲労感で、今月は疲労回復月間にしようと「頭の中」では考えております。


11月16日 「ボランティア」
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 JALの救済問題は、日本の未来縮図だと感じております。
 政権が変わっても赤字国債を発行し続け、数少ない子供に借金返済を押し付けようという、夢も希望もない手段には賛成できません。

 資本主義の反対が社会主義なのであれば、年金生活は社会主義に近いかと思います。要するに日本では資本主義と社会主義が混在しているようにも見えるわけで、このバランスが世代別人口の増減に左右されるのは明白であり、ましてやこれだけ膨らんだ国の借金をどのように返済しようと考えているのか、貧乏性の私には理解できない経済学です。


 自論ですが、これを打開する経済政策は「ボランティア」だと思っております。
 国民の誰もがボランティア活動を率先してできる社会にする事が必要で、子供から大人・年金受給者も含め、時間の許す限り「ストレスなく楽しみながらできるボランティア」が有効であると思います。日本社会に欠乏しているコミュニティ形成にも役立つでしょう。
 まずはボランティアが身近にあり、皆がやりたいと思えるメッセージを発信すべきかと思います。


 忙しい事に変わりはないのですが、今月は本を読む等、自分の時間を少しでも作ろうと思っており、ある方から薦められた「始まっている未来」という本を読みました。かなり共感できる本でありました。これだけの素晴らしい方々が論じているにもかかわらず、何故社会はこれに耳を貸さないのか、アメリカ崇拝型マネーゲーム社会は、余程重症なのだろうと推測しております。


11月24日 「猫設計」
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 父島出張日記を更新しました。ご興味ある方のみご覧ください。


 金曜日の夜に近所の猫が大きい声で鳴き、疲れきった私を呼び出しました。外に出ると珍しく私にすり寄り、私の心を癒してくれました。私に何か苦悩があると、このような態度をする猫共が不思議でなりません。
 日曜日にはバルコニー前で2匹の猫が向かい合って雄叫びをあげており、ビルの反射音を楽しみ段々と大きな鳴き声となりました。私が外に出ると一旦静まりこちらを凝視した後に、気持ちよさそうに歌いだしました。まさに猫の合唱でした。
 私への応援歌とでもいうのでしょうか…。
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 先週水曜日に黒川事務所へ挨拶に行き、その帰りに一杯飲むかという話になりまして、社長を含めた数名で酒を飲みました。
 私は黒川事務所の模型室に、「中銀カプセルタワー」の模型が作られていた事に感動し、興奮して模型の可能性を熱く語ってしまいました。酒の席とはいえ、迷惑な情熱だったかもしれません。
 読まれていないとは思いますが、この場を借りてお詫び申し上げます。


 社会状況の変化から設計事務所の形態は変わろうとしております。この変化を先読みせねばならないのですが、黒川チルドレンであるからこそできる事務所形態があり、そこにヒントがあることも分かっているのですが、実現までには少々時間がかかるかもしれません。
 猫が守ってくれる設計事務所というのも、斬新で魅力的ですが…。


11月30日 「関空」
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 数週間前にご年配の建築家夫妻のご自宅に招かれ、お話をしている最中にヒラメキました。

 関西国際空港の赤字経営で苦悩している大阪府と、基地を抱え戦闘機の音がうるさい等の生活環境問題を抱える沖縄県、これを組み合わせれば良いと!

 要するに移転先は“関西国際空港”が最良と思います。

 この案が最も低コストで多くの問題が解決できると思います。多くの問題とは、移転費用・沖縄県民の生活環境の改善・大阪府の財政赤字の改善・羽田や成田や伊丹空港の問題改善等、世間的にも知られたものもありますが、大阪府に3年半住んだ事がある私でさえ、これはオカシイと思うことが沢山ありまして、その改善となればと思う次第です。


 大阪府新庁舎の計画は黒川事務所が勝ち得たもので、数棟建てねば成り立たないものが現在、新別館と私が担当した警察本部しか完成しておりません。大阪城の隣に建てるという事もあり、新庁舎もお堀を作る計画でしたがそれも作った後に埋められ、「大阪夏の陣」を想起しました。
 票稼ぎに使われてしまったこの巨大プロジェクトですが、中途半端で本当にこれを完成させなくて良いのかと疑問に思います。今の状態が如何に無駄な状況かを誰かが発表すべきだと思います。


 仮に関空を米軍基地にしたとして、誰も行かないのに何故か作られてしまった貿易センタービル付近のガラガラビル街を米軍宿舎へ改修すれば、間違いなく大阪府は黒字へ移行するでしょう。大阪府が手を挙げない場合、「間違えて」作ってしまった各地方空港の関係者、競って手を挙げるべきです。でも関空ほど移転に合致した環境はないかと思います。

 街中で大阪のオバサマが米軍兵にタバコのポイ捨てを注意したり、英語で道を聞かれても関西弁で応えたり…想像するだけでも笑えます。沖縄では胸を張って歩けた米兵も大阪では小さくなって道端を歩きそうな気がします。きっと関西弁を話す米国人が多くなることでしょう。

 何処かの議員だったか、「硫黄島を米軍基地に」と言っていたかと思いますが、そういう人間程、何も考えていない愚かな人間だと思います。
 政治屋も刷新したら如何でしょうか。


12月7日 「中銀カプセルタワービル<メタボリズム-2>」
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<今週一週間は父島出張です。>

 前回のコラムで関空について記しましたが、ここににアップした途端に、府知事が米軍基地の関空移転に関するコメントを発し世間を騒がせました。「記者からの質問」と記されており、その記者がこのコラムを読んだ私の知人記者でないことを祈ります。


 ところで、黒川紀章の空港といえばクアラルンプールです。
 この空港に関しても彼は、「Metabolism(新陳代謝)」「Metamorphose(変身)」「IntermediateSpace(中間領域)」を取り入れ、その空港は無理なく存在できるように設計されています。簡単に説明すると異論を唱えられそうですが、「必要最小限で空港を作り、必要に応じて増殖すれば良い」という基本理念です。
 手遅れですが、この空港を日本の地方空港が参考として欲しかったと思います。

 晩年に黒川事務所に所属した私でさえ、担当した都市計画は2つもあり、それ以外にも多くの都市を設計しています。それらが世の中に認められたのも、「最初から完成したものを求めない…経済状況や必要に応じ変化できる柔軟な共生都市」でした。
 「世界中がそれを認めているにもかかわらず、自分の住んでいる東京だけが僕のアイディアに耳を貸さない。だから自分が都知事になるんだ。」と私を圧倒したコメントが忘れられません。

 かつてコルビュジェはマンハッタンという巨大都市に嫉妬し、それとは正反対の「輝く都市」を提案しました。都市を救済する案と豪語していたようですが、採用はされていません。丹下さんの「東京計画1960」も同様です。良い悪いは別にして、採用される都市計画でなければ絵に描いた餅でしかなく、都市計画を語るのであれば、マスターベーションで終わってはならないと思うのです。
 黒川紀章はそれを超える事ができた数少ない都市計画家であり、それだけの人が「最後に東京を!」と覚悟を決めたこのスピリットには、ただただ脱帽です。

 「Metabolism」の代表作であり、私の思う黒川紀章の代表作「中銀カプセルタワー」が、建替え決議の期限が過ぎたと聞きました。 景気が悪い方に転じたのが幸いとなりました。師は天国でニヤリとしていることでしょう。

 その話を聞いて…という訳ではないのですが、延期しておりました「私が人前で話をする日」が<3月6日14時~>にほぼ決定しました。
 「黒川紀章から学ぶミレニアムハウス」と題して、建築を知らない方にも分かるような話をしようと思っております。 「建築は歴史だ」と学生時に石山教授から聞いた記憶が薄っすら残りますが、まさに今歴史と建築が融合できるのかを問う瞬間です。

 3月まで時間があるので、じっくりお話しする内容を考えたいと思います。正式なご案内チラシができましたら掲載します。


12月15日 「請求書」
コラムタイトル06-01

 土曜日に父島から戻りましたが、今回は冷や汗の出る体験と共に、今までの渡航で最もヘビーな船中でした。詳しくは父島日記が更新されたら一読いただき、筋肉痛にならぬ程度に笑ってください。


 今週末は奈良へ行こうと思っております。目的は仕事ではなく、田中なりの休息です。
 肝臓の休息とならないのが残念ですが…。


 あるプロジェクトの製本を人任せにして、請求書だけ送るように伝えておりました。
 本日忘れた頃にそれは届いたのですが、一桁間違えているのではと思いたくなる安価に驚きました。インターネットで調べてみると、その会社は身体障害者の社会的自立を目的として作られたようで、偶然の出会いに感動しました。
 可能であればこれからごひいきにさせていただきたいと明日連絡しようと思っており、もう少し早く気付くべきだったと多少の悔いもあり…。実は「ボローニャ紀行」という本を読んで、感動したばかりだった事項がこんな身近にも存在していたと、少し嬉しくなったのです。その本(のある一部分)には、「山の上の郊外にレストランがあり、障害を持った子供が1工程ずつ代わる代わる料理を作っており、それを街の人々が食べに行く」という事が記されています。これが一つの街となり、私には目からウロコでしたが、こんな容易な「街としての愛情表現」はイタリアだけではなく、日本でもできる事だと思っております。

 本の中に、「国の政治が駄目でも、(身近な)地域コミュニティで幸せに暮らせる」というような面白い文章表現がありました。
 いろいろ考えさせられ勉強になる本でしたので、ご興味を持たれた方には是非お勧めします。


12月21日 「写真撮影」
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 土日に、京都・大阪・奈良で骨休めをしてきました。

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 奈良の白鹿さんと土曜日の早朝、京都駅で待ち合わせをし、恒例の醍醐寺三宝院にて藤戸石に挨拶をする事から始まり、萬福寺で布袋さんに笑われながら中国風精進料理を食べ、私に似合わぬ光源氏ミュージアムへ行き「彼に比べタイガーウッズはたいした女暦ではないな…」と笑い、平等院で「鳳凰のシッポは金魚じゃないだろう」と笑いながら、極楽浄土の夢を見たのは帰りのバス。
コラム写真06-22


 伏見の酒蔵で飲む前に、路地を通り連れて行かれたのは龍馬の寺田屋。
 風に揺れる柳に風情を感じると、あっという間に暗くなり「もう飲んでもいいだろう」とノレンをクグル。


 9年ぶりに再会した友は夜からの参戦となり、ならば…とメニューの上から順番に日本酒をイタダク。
 話は尽きず騒ぎ足らず、ならば…と昔騒いだ大阪の店へ勢いで移動。小さなその店は漫才夫婦の歌付きバーで、昔の田中を知る「記憶の店」。
 どれくらい飲んで騒いだか。

 東京では味わえない夜更かしを満喫。


 白鹿さんの家に着いたのは勿論午前様で、心地良さから夢も見ずにバクスイして寝坊。
 起こされ居間へ行くと太陽が出ているのに雪。天国からの悪戯かと思ったとこで、二日酔いの白鹿さんと朝食。前回何時会ったかの話しでアルバムを開き、他のページにあった美しい写真の寺が近所にあると聞き、秋篠寺に行こうと身支度を始めたのが昼前。
 膝の手術をして元気になったお婆さんとすっかり女性らしくなったお嬢さんに挨拶されて奥様と三人で出発。奥様の実家に車を止め境内に入り、何処のコケよりも美しく感じるカーペットに感動。しっとりとした雰囲気に隠れた名所だと思ったが、彼らは毎年除夜の鐘を鳴らしに並ぶと聞く。

 中に入ると技芸天立像に微笑まれ、我々が近づくとロウソクの炎が激しく反応するという不思議な体験付き。これを数度経験した後にうしろ髪を引かれながら平城京を横目に、大改修されたばかりの唐招提寺へ移動。
<この頃になると自分の創る建築に対する疑問が生じている。>
 かなりの冷え込みに観光客も少なく、ほぼ貸切状態で奈良を歩む。

 薬師寺まで歩こうと、風情のある路地を歩くはずが、道中寒さに震え、職人技の鬼瓦は破損され、白壁には落書き。気を取り直して境内へ。薬師寺は中学時の修学旅行以来で、建替えられて綺麗になっていた。
 これだけの迫力を独り占めできるのは幸運であり、この寒さに感謝。普段は聞こえないであろう風鈴のような装飾金物の音や、タイムスリップして当時の人々が現れそうな錯覚を覚える。

 バリアフリー新法が、ショウモナイスロープや手摺や階段を作らせていた事で現実に戻され、寒さに耐えるのも限界と蕎麦屋に入る。
 暖まったところで「土産は奈良漬」というと、「ここでは買うな」と車で移動。「ここの奈良漬は間違いない」といわれ、さっさと買い物をする。
 御釣りを渡す店員が、片手に銭、もう一方の手は私の手に触れた。こんな釣りの渡し方はあるのかと聞くと笑われた。

 近鉄線の駅まで送ってもらい、大した礼も言えずに後悔しながら電車に乗り込み、京都駅に着いたのが17時5分。17時9分発の新幹線に滑り込む。

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 あっという間の二日間。
 冬の京都・奈良、夜の大阪は最高でした。

 この二日間で何度か首をかしげましたが、「撮影禁止」等という看板を醜く感じました。三宝院は仏像があるわけでもないのに入った途端に撮影禁止で、反対に萬福寺は仏像でも建築でも修行僧以外は何でも撮影可となります。 撮影を許可するか否かは、関係者の器の大きさによるのではと思えてなりません。撮影禁止を肯定する訳ではないのですが、人は写真を撮る事でそこに記憶を閉じ込め、脳はそれで満足することを許容していると感じました。つまり画像をカメラに収める事で安堵し自分の脳ではなくカメラに記憶する事を委ねるのです。
 特にデジカメの出現で人々は容易に写真を撮る行為ができるようになりました。メディアの発展は人をある意味サポートしますが、その数が無限に広がる事で、人はメディアなしでは生きていけなくなるのです。

 それとは別に、石山さんがおっしゃるように、やはり建築は歴史だと思うようになり、またこの話は改めて記すようにします。


12月28日 「F案」
コラムタイトル06-01

 今年も残すところあと僅かとなりました。一応弊社の休暇は12月29日から1月4日までとなります。

 毎年の事ですが、あっという間の一年でした。設計事務所を立ち上げて8回目の年末ですが、今年ようやく少しだけ手ごたえが感じられる一年となりましたことを嬉しく思うと共に、来年どうなるか非常に楽しみです。


 今年春にあるプロジェクトで、1,000㎡程度の設計を始めたのですが、可能な限り多くの案を図示するよう要求され、A案から始まりE案までの5案となりました。しかしながら、「私が設計するのだから」という意味でF案を自分の案として作りました。夏頃に4案に絞り込まれ、私のF案は辛うじて選んでもらえていました。ただ選んでもらえていた理由は、「最初にF案を切り捨てると田中がフテクサレルだろう」という施主側の配慮であったと認識しております。
 秋に強い意志を持ってF案の良さを説明し、仕方がないというような顔と共に2案に絞られ、その一つにF案が入りました。施主とすればこの時点で1案に絞りたかったのでしょうけれど、「田中が力説するからとりあえず2案にしておくか」という思惑であったかと。
 F案をB案と改め、誰でも設計できるA案との勝負となりました。

 12月は施主側も忙しく、なかなかお会いしていただけずに、「12月末までに1案へ絞り込む」という約束の期限が迫ってきました。私は「やれる事はすべてやろう」と設計チームらと話し合い、この案の良さを最大限に盛り込んだ設計主旨を記述し提出しました。

 24日の夕方に呼び出され、席に着くと「満場一致でB案が採用案となった」と聞き、自分の耳を疑いました。この後の喜びはご想像のとおりですが、「今年度末までにこの案の意匠検討に励み、来年度の実施設計へとつなげよう」と嬉しいクリスマスプレゼントとなりました。

 このB案が完成するのは再来年度末となりますが、この建築が竣工する頃、私はこの日のことを思い出して焼酎を飲んでいるのだろうと思います。
 F案からのスタートで、それが選択されるまでの努力を理解できる若者は少ないかもしれません。しかしながら、この情熱が建築家に必要であることを理解できなければ、「建築家になる条件は揃っていても、建築家になる資格はない」と自覚しております。


バナースペース

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