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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

第4回渡航2009年9月4日(金)~7日(月)

第1日目

9時
竹芝桟橋着。

昨日は夜遅くまでバタバタで、仕事を残して渡航する感あり。
加えて昨晩はお通夜に出席したが友人に挨拶もせず、とんぼ返りで帰社した罪悪感もあり。
渡航準備の時間がなく、買い置きしておいた食料を忘れてしまった。

桟橋で同様の食料を購入し、ため息をつく。
財布を覗くと思っていたよりも福沢諭吉が少ない。
今回は節約せねばならないのかとソロバンを弾く。


9時10分
フィリピン沖で台風12号が発生し、小笠原諸島に向かっており、行きは大丈夫だが、帰りは日程変更の可能性有りとアナウンス。

この忙しい中、どうしてくれるのよと思いながら、自然の猛威にはかなわんことを感じる。


9時30分
今回は指定席から乗船とアナウンス。

さっそうと乗り込み、着替えてコンセントのある特等席をキープ。
昨晩メールしておいたメーカーから返信確認。
仕事をする準備は整った。


10時
出航。

前回の出張日記最終日に現れた方も乗船してきた。
向こうもサングラス越しにこちらを見ている様子。
島の掟があるなら早く教えてくださいと言いかけ、留まる。


12時50分
気付くとこんな時間であった。

私の周囲は中年のオヤジ共が集い雑誌や新聞を読んでいて、かなり静かである。
少しの距離をおいてカップラーメンを立ち食いする若者は、その中にいる私を同化したオヤジ集団と思って見ているのではないかと不安になる。
しかしこのオヤジに囲まれた環境のお陰で仕事もはかどった。
電波圏外との境界なので、急いでメール送信。
窓の外を見ると薄っすらと島を発見、大島か…。


13時
少々船が揺れだした。

腹が鳴るが昼抜きとする。
この揺れにも慣れねばと思いながら、仕事を再開する。
外は眩しく、船の周囲を飛び回る鳥たちをうらやましく思う。


13時半
気付くと周囲のオヤジ共は立ち去り、その代わりに女性に囲まれていた。
おそらくオヤジ共はこの揺れに耐えられず、横になっているのであろう。

周囲の連中は、元気にカップラーメンをススル。
こっちは腹ペコなのを我慢しているのに…と思いながらも目を合わすまいと努める。
この状況で話しかけられたらたまったもんじゃない。
目の前で弁当をバクバク食べ、気持ち悪くなり退席していった。
ニヤリとしてしまう自分を今は許せる。


14時
揺れがかなりヒドイ。
横になることとする。


16時
だんだん揺れ幅が増してくる。
気象庁が発表した天気予想図が張り出される。
7日の15時に再接近の模様。

7日の10時からプレゼンをするのに大丈夫か…。
父島写真04-01


18時
これから更に揺れが酷くなるとアナウンス。
船内で騒ぐ者はいない、エンジン音と揺れきしむ音の合唱。


20時
いい加減、寝すぎで腰が痛い。

船内をフラツクも真っ直ぐに歩ける状況ではない。
一周だけしてまた横になる。

そういえば先日、他の船で行方不明者が出たと聞いた。
夜一人で甲板を歩き誤って落ちても、誰にも気付かれない状況はこの船も一緒。

今夜は天候も悪く、危険を感じ外には出ないようにする。


23時
消灯のアナウンス。


24時
寝ていても力が入る為か肩が痛い。


26時
動けない苦痛から寝ることもできず、ちょっと今回の渡航はシンドイ。


第2日目

4時半
起床というかもう限界を感じ、廊下へ出る。
手摺につかまり柔軟体操。
周囲の目を気にする余裕はない。


5時
相変わらずの揺れ。
便所へ行くと聞きたくない音がブースから…気持ち悪くなるよなぁ、これでは。


7時
到着時刻が50分遅れとアナウンス。


8時
自動販売機でお茶を購入。

その帰りに甲板から外の写真を撮るが、水しぶきで撮影失敗。
父島写真04-02


8時半
具合が悪い人のご主人が相談に行っていたらしく、その人を呼び出すアナウンス。
まるでサバイバルゲーム。

今回観光で乗船している者はちょっと失敗だ。
初めてこの船に乗った者は二度と来るかと思うだろう。


9時
“空腹感”と“食事をした後に気持ち悪くなったらどうしよう…”という不安感との葛藤。

結局空腹感が勝り、具合が悪くなっても3時間半の我慢と言い聞かせる。
カップラーメンを食す。


9時15分
身支度を整える。

鏡を前に相変わらずのボサボサ頭だ。
「髪を切る暇と金がない」という言い訳は何時まで通用するか。


10時
船内を散策する。

………とはいえ、以前と何も変わらない。
唯一変わっているのが、台風情報の掲示板。
台風の目をニラムが、ニラミカエサレタ気がする。
父島写真04-03


11時
前回の渡航で現れたコワモテの方と何度もすれ違う。
向こうも意識しているなぁ…完全に。
何時か話す時が来るぞ、これは。


12時
もう着いたも同然…何時もの父島。
ただ分厚い雲に覆われている。

何時ものように父島タクシーがお出迎え。
父島写真04-04


12時20分
通常より50分遅れの上陸。
かなりシンドカッタ。


12時30分
宿のガジュマルに到着。

前回と同じトゥインの部屋にしてくれていた。

感謝。


12時40分
早速メールチェックと会社から図面がメールされ、チェックバック。


14時15分
現場へ向かおうとすると、玄関で見たことある顔。
設備工事会社の役員もここに泊まる事になったと聞く。

「なんだよぉ~」と少々がっかりした顔を見せてしまったが、宿のお母さんに傘を差し出され、「いってらっしゃい」と背中をたたかれ外出。
もう向こうも私を息子のように扱い始めた。

「注意せねば…」と独り言を発し、ドシャブリの中“ショートカットトンネル”を歩む。


14時半
現場着。

島の工事会社は、少々穏やかな気質をもつ。
「だめじゃないか!」なんていっても、「分かりました。」の後には笑いがある。
「本当に分かってんのか?」と言いたくなるが、こちらも大人でそこは様子見。

今日も精度の良い図面とオホメノ言葉を頂戴する。


17時
現場打合せ終了。

ドシャブリの雨の中、平気で帰ろうとする私を皆が止め、車で送るから少々待つようにいわれる。


17時10分
車に乗り、恐縮していると、自分のやっている他の現場を見てくれと言われる。
「そういうことね…」とつぶやく。


17時半
ガジュマル(宿)に到着。

車から降り際に、カメ店長の店を知っているかと問うと、今2号店を建てていると聞く。
ならば今晩一緒に飲むかという話になり、19時に店で待ち合わせとなる。


18時
会社へ図面のチェックバックメールをしていると、下からお母さんの声。

戸を開けると島内放送で、船は明日の17時に発つという。
台風の影響は分かるが、何故明日なのか。
今日、ヘトヘトでこれから一杯飲んで景気をつけ、明日から頑張ろうと思っているのに…明日からまたあの辛い船。
しかも帰りの方が揺れると聞く。


月曜日の会議はどうなるのか?!
私以外でプレゼンはできないだろうし、どうしたらよいのか!!


しかし島民は諦めが早い。
自然の猛威にはかなわないし、それを避けた生活をするという概念が行き届いている。


18時半
「しゃぁない…」と思い、ベッドに横たわる。


18時35分
「そうもいってられない!」と飛び起きる。

明日帰るのであれば、やれるだけのことはやって帰らねばならぬ。
明日の朝、10時から打合せだが、幸いにもこれから一杯飲む話をしたから、飲む前に少々打ち合わせができる。


19時
準備に時間がかかり、完全に遅刻だが、店へ向かう。


19時10分
店へ到着。
カメ店長が休みであった。
女性店員は覚えていてくれたようで、異常な歓迎ブリ。

明日帰ると告げると残念がる素振りは、店からの教育が行き届いているだけで、だまされてはいけない。


20時
少々仕事の打合せをした後、島の掟やルールの勉強会となる。
戦争を知る方も隣に座り、日米会議となる。


22時
いろいろと聞かされたが、堅い話は抜きにしてということで店を出る。


22時10分
2軒目の店へ。

1軒目もそうであったが、店には彼の部下や知人が大勢おり、聞くと部下の奥さんがお店をやっているという。
BARであったにも関わらず、何時もどおりの飲み方をしてしまった。

おそらくこれで私の事が島内に知れ渡ってしまっただろう。


「島の掟その1」
仕事での立場は仕事の時のみ。
仕事が終われば、皆上下関係のない友人である。

人口2千人程度であれば、この掟がなければ都会よりもストレス社会になってしまう。


24時
宿に戻る。
置手紙あり。
鍵は閉めろと英語で。


24時半
就寝。

明日本当に帰らねばならないのか…。


第3日目

7時半
起床。
何時も通りに風呂に入り、朝食を待つ。

外は暴風雨。
この天気でこれから打合せに向かわねばならないとは…。
内地ならば交通麻痺で休みとなるだろう。


8時
朝食をとる。

雷の音がこだまする。
地鳴りのようで迫力あり。

外は壊れた傘にしがみつく観光客。
父島写真04-05


9時
身支度を整える。
今日は、10時から山の中腹で打合せ。

暴風雨の中、歩く気がしない。
父島写真04-06


9時半
今日帰るのであればチェックアウトせねばならいと気付く。
急いで下に降り話をすると笑われる。


9時40分
荷物を預かってもらい、チェックアウト。
傘と図面を入れるビニル袋を拝借した。

ショートカットトンネルを歩こうとしたが気が進まず、暴風雨の中ではあったが遠回りをする。


9時45分
やはりトンネルを通るべきだったかと後悔していると、前から車がきてUターンして止まる。
迎えにきてくれた…トンネルを通らなくて良かった。


9時50分
会議室に到着。
事前に本日の打合せ内容と仕上げサンプルの確認。


10時
打合せ開始。


11時15分
打合せ無事終了。
書類のチェックを終え、相談があると言われた別現場へ。


12時
会議への欠席を詫びる文章を作成する事となり、私の昼飯は省略される。


13時
打合せ場所へ。

代役を素人にお願いしたが、質疑応答はできないでしょうという事になり、昼食抜きで書いた文面とニラミアウ。


13時40分
ならば支庁へ出向こうという事になる。
日曜日の午後という内地ではあり得ない日時。


14時
支庁の裏口のドアノブを回すと、鍵がかかっていなかった。
第一関門突破!

ガラス越しに照明が付いている事を確認。
カウンターでそこにいた方を呼び、突然アポなしで訪ねた理由を伝える。
会議の内容を説明し、工事内容も含め説明し、本当は○○さんにお会いできれば良かったのですが…と伝えると「いますよ」と返事。

聞こえていたはずなのに、本棚の後ろに隠れていた。
嫌そうな顔をして担当者登場。
第二関門突破!

同様の説明を始めるも面倒臭そうな対応で、「うーん」と数十回繰り返し、我々の沈黙との戦い。


14時半
やっと電話を手にし、委員の一人に電話。
おそらく電話の向こうでは、その担当が内容を聞き、明日代わりにプレゼンするように言われている模様である。

彼は「自分がたまたまここにいただけだ」を繰り返す。
終盤は「明日は休みをもらっている」と白状した。
たま~にしかない会議に休みを取る担当者とは如何なものか…。


14時50分
次の電話をかけ始める。
委員長に電話。

今日はセンゴク先生が内地から来て講演をしているらしく、委員長はそれを家族で見ているらしい。
電話はつながらず、担当から「こうやって皆に迷惑をかけている」というコメントに、隣から「そんな言い方ないだろう!」と怒鳴り声。

「帰りたくて帰る訳ではない!」という言葉に対し、「だったら船に乗らないのが常識だろう」と担当者。
「日曜日に働かされて」とまで言い出したので、「我々も帰らねばならなくなったから、こうして日曜日であるにも関わらずここにいる」と応戦。

私の携帯番号を渡し、どうするのか電話をするよう伝えその場を去る。
どうもこの部署とは相性が悪いようだ。


15時20分
ガッカリしながら、とりあえず時間もないので乗船手続きを先にすることにした。


15時半
その列に並んでいると携帯が鳴る。
「今から来て欲しい」と。
「並んでいるから直ぐには無理だ」と伝えると、「終わり次第来てください」と。


15時50分
支庁へ。
委員長と打合せが始まった。
明日欠席せねばならぬことを詫びると、「せっかく来たのに大変ですね」と。
これが普通の対応だろうと担当に目をやるもその姿はなかった。

一通り説明し、明日は素人が立会うが10月にまた来るので…と話す。


16時10分
打合せ終了。

ヘトヘトになりながら、宿に向かう。
ギリギリの打合せ。
そういえばここに来ると何時も何かが起きる。
時間はないが少し頭を冷やす必要があると、こじゃれたカフェでビールを一杯。


16時20分
あと10分で乗船開始となる。

ガジュマルに荷物を取りにいき、次回渡航予定と宿の予約をした。


16時40分
既にチケットは入手しているので急ぐ必要もないが、相変わらず見送る人はいないので颯爽と乗り込む。

………といいながら作業着を着た建設業者が見送りに来ているが涙が出るわけでもない、1ヶ月の別れを派手に演じる気もしない…隠れながらの乗船であった。


その長蛇の列で、私の前に並ぶ人が、リュックサックに長い傘を差しており、キョロキョロする度に私の麦わら帽子のツバに傘が当たっていた。


16時50分
乗船時にチケットを切られるが、その場で傘が船の扉枠に引っかかり、リュックサックから抜けてぶら下がった。

彼は気付かず、そのまま進むが、一つ笑わせてやろうという性格の悪さから、「お~い、傘があんたとは乗りたくないってよ」と。

周囲は大爆笑であった。
彼も直ぐに気付き、「漫画みたいですね」と苦笑い。
彼が笑いをもらって喜んでいるのを横目に、さっさと自分の席へ消える。


17時
出航。

今回は甲板に出るのは止めた。
太鼓の音も、皆が手を振る姿も、クルーザーで追いかけダイブする姿も、全て窓の中からだった。
実は乗船前に買い込んだ大量の酒を飲み始めていた。

今日は日曜日。
乗船前のビールに続き、この揺れに負けぬよう、アルコールを補充する。


22時
消灯のアナウンス。

気付くと5時間も酒を飲んでいた。
何リットル飲んだか数えていない。
飲まれる酒らも波に揺られ、テーブルから落ちそうに踊っていた。

今回の船中はかなり静かだ、皆が警戒しているのであろう。


22時半
2回目の渡航で鯨と出会い、3回目の渡航でカメと出会った。
今回の渡航は台風と遭遇。
次回は台風以外でお願いしたいものだ。

部屋に戻ると真っ暗だった。
部屋の電気は消灯後もONだろうと独り言。
スイッチをONするとカーテンを開けてニラム奴あり。
カーテン閉めてんだからいいだろうという目でにらみ返すと同時にスイッチOFF。

初めて登る2段ベッドのハシゴは暗闇の中。


23時
肩も痛いし腰も痛いが、アルコールが少々平衡感覚を麻痺させてくれたようで、眠れそうな気がしてきた。


第4日目

7時半
起床。
はっきりは覚えていないが、変な夢をみた。

私が寝ていると
カーテンの隙間から誰かがずっと覗いていて、何やら笑われながらそのブザマな姿をサラス夢だった。

夢であると信じたい。


8時
顔を洗い、ソファを確保。
カップラーメンを食す。


8時30分
当然電波圏外であるが、監理書類作成の為、仕事を開始する。


12時
18時30分に到着予定だが、桟橋が混んでいて着岸できないという。
そんな理由から19時20分の到着に変更という。


14時
休憩。

実は行きの船よりも揺れていないだろう。
それだけ慣れてしまったか、仕事に集中していたのか、アルコールが残っているのかは不知。

台風が避けてくれたのか…。
父島写真04-07

父島写真04-08


16時
仕事は終了し、残りわずかであるが酒を飲み始める。
ここまで来ると船は殆ど揺れない。
快適な宴となる。

土産に買った「島ラー油」をツマミに開封してしまった。
赤いオクラは初めて食べた。


19時20分
桟橋到着。
こんなに疲れる旅は初めてだ。
次回の渡航は来月中旬。
台風だけは勘弁願いたい。


※今回の出張日記はつまらんモノで、  掲載しなくても良いかと考えたが掲載する事にした。
台風を避けるなら帰りの船を予定より1日伸ばせば良いと思うが、船の日程が遅れると島民の食料等を断つ事になるので、それならば早まる方を選択するようである。

人間よりも荷物の運搬が優先された結果が、今回の短縮された渡航となった。
モノがあふれている都会の生活とは異なる社会を感じたが、もう少し自立した島にしたいものだ。その為に、私の渡航は昼も夜も充実させねばならないと感じる。



バナースペース

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