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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

第15回渡航2011年3月14日(月)~18日(金)

第1日目

9時
竹芝桟橋着。

電車が遅延しないかと心配したが、予定通り到着した。
待合ロビーは閑散としている。

地震で連絡の取れない親戚の事が心配であるが、だからと言って何ができる訳でもなく、仕事をするしかないと今回の出張を決意した。


10時
出航。

今回は一人部屋。
同部屋だった方はキャンセルされたのだろう。
父島写真15-01

父島写真15-02


10時30分
仕事相手と少々打ち合わせをして、メールチェック。
海外の友人からも多数メールを頂戴した。

窓から見える東側の空に地震雲発見…何も起こらねば良いが。
携帯はつながらず、メール返信も中途半端。


11時
ようやく会社とつながった。
今のうちにと総メール。


12時
テレビを付けると、BSは観えるようだ。
もう十数回渡航しているが、こんな事に今頃気付いた。

被災地の速報に釘付けとなる。
東京電力の計画停電に、記者が噛みついている。
こんなに文句言うこともないだろうと同情する。
足の引っ張り合いは必要ない。
完璧な人間はいないし、与えられた条件下でどうやって力を合わせていくかが重要。

これは、父島で仕事をするようになって実感させられたことでもある。


13時
船は、あまり揺れないような気がする。
電話の調子が相変わらず悪く、イライラ。

思いきって仕事を諦め、読書をする。
本を読むも、連絡の取れない親戚が気になる。


20時
八丈島近郊を過ぎたのに、八丈島へ引き返すとアナウンス。
急病人がおり、海上保安庁のヘリによって搬送するという。
命に係る急病のようで、船内にドクターもいないようだ。
2時間分くらい戻る感じだ。

父島滞在時間がさらに短くなる模様。
それにしてもかなりトバシテいる、揺れを感じるようになった。


21時20分
急病の客つり上げ作業は22時とアナウンスだったが、羽田の救助隊からの指示で、23時30分まで待機せよと指示があったと。
おそらく父島着は5時間以上遅れる訳で、初日は仕事できないだろう。


22時10分
アナウンスとは異なり、八丈島から離れ東京の方へ向かっていく。
何だか連絡もなく、変な感じだ。
八丈島付近では電波圏内であったが、再び圏外に突入。

船内食糧難になることを考えねばならない。
被災地優先とかで海上保安庁に断られたか…。
父島写真15-03
船内にある渡航位置を示す画面


23時30分
まだ北上している。
三宅島と八丈島の中間辺り。


25時40分
三宅島近郊まで戻った。
ここで患者の引き渡しを行うようだ。

6時間くらいのロスか…。
波が高くない事が救い。
父島写真15-04
船内にある渡航位置を示す画面


26時
海上保安庁の船と合体。
ここで患者の引き渡しのよう。
なかなか二つの船の波長が合わない。
こんなんで引き渡せるのか。
父島写真15-05

父島写真15-06


26時5分
引き渡し完了と同時に船が離れる。
患者は年老いた方のようだが、大丈夫であったか。

船は停泊中、早く発進してもらいたい。


26時15分
どうやら発進したよう。
三宅島も早く復興して欲しいと夜景を眺める。
お手洗いへ行く途中、疲れ果てた女医かナースとすれ違う。
生死の間で働く人々には休みもない、私にはできない偉大な仕事だ。


27時30分
御蔵島付近。
電波圏内なので、ついで仕事をした後に就寝。


第2日目

7時
起床。

やっと昨日の20時あたりの場所を通過。
到着時刻は夜中になりそうだ。
どれくらい飛ばせるのか…。
父島写真15-07
船内にある渡航位置を示す画面


7時15分
落胆して外を眺めると、30mくらいの距離にクジラのブリーチング。
こんな間近で、しかもこの船からブリージングを見られるとはかなり幸運なはず。
当然写真には収められなかった。


7時20分
船内アナウンスにて、到着予定時刻が22時30分と聞く。

クジラのブリーチングが見られたので、許せてしまった。


12時
鳥島近郊。
普段であれば夜中に通過する中間点。

少し波が高くなってきている感あり。
今日は船中読書をして過ごす。


18時
無料でカレーかパスタを配給するとアナウンス。
動いていないから食欲もない。
食堂を覗いても、受給者は確認できなかった。


20時
相変わらずBSで被災地の映像。
心が痛む。

到着時刻の変更アナウンス、22時と少し早まった。
部屋に戻って一杯飲めるか微妙なところ。
こんな事態でまだ酒を飲もうと考えている。


20時30分
何はともあれ今回の渡航で一番ラッキーだったのは、一人部屋であったことだろう。
こんな長い時間、誰かに気を遣って相部屋はシンドイ。

そろそろ上陸準備をするかと酒を飲み干す(やはり一人で飲んでいました)。
こんな長旅は人生初のような気がする。
父島写真15-08
船内にある渡航位置を示す画面


21時
薄っすらと父島が見えてきた。
父島写真15-09

父島写真15-10


21時50分
二見港着。
父島上陸。

暗闇の中、迎えに来ている知人らと挨拶。
いつもの宿へ早歩きし、挨拶そこそこカメ店長の店へ。


22時10分
カメ店長に挨拶するも、本日は閉店という冷たい言葉。
ならば…と他の店へ。


22時20分
施主が働く店でアルコール摂取。
彼の実家は流されたと聞く。

店員も宮城の出身らしく、連絡の取れる友人に私の親戚を探してくれるように頼んでくれるという。
東京にいるよりも情報がある…なんて良い人たちだろう。


22時40分
カメ店長も合流。

静岡で震度6強の地震とテレビ。
いつもはテレビなど観ないのに、皆が釘付けになっている。


24時45分
泡盛をタラフク飲み、そろそろ帰るかと店を出る。
今日は明るい飲み会にはならなかったが、いつもは行かない店に人が集うのも不思議だった。


25時
就寝。


第3日目

7時
起床。
いつも通りに風呂に入り、身支度を整える。


8時
朝食、今回は女性3人に囲まれての朝食。
理由はテレビがあるから。


9時
書類整理、今日一日でほとんどすべての仕事を終えねばならない。
段取り良く…とは大阪で学んだこと。

父島での仕事は、これに助けられている。


9時30分
会社に電話。

続いて、安否を心配してくれていた奈良の白鹿さんに電話。


9時50分
打合せ場所へ向かう。

途中の寄り道中に、いつもの鳥が追いかけてくる。
道案内のように私の前で、美しいメロディを奏でる。
父島写真15-11

父島写真15-12


10時
打合せ


11時
次の打合せ


11時40分
天気も優れず、宿に戻る。
ハンプティさんとコーヒーを飲みながら話をする。
父島写真15-13

父島写真15-14


12時
昼飯は韓国料理屋。

後に記せれば記すが、かなりこの店について気になっている事がある。


12時30分
何も言えずに店を出る。

ただここの昼飯はかなり美味い。
街のはずれにあるのでほとんど人はいないが、私の中では隠れ家的名店である。

宿に戻り仕事を始める。
父島写真15-15


13時
会社からメール、今度は千葉で震度5弱と。
一体どうなっているのか。


15時
鳥たちに連れられて、打ち合わせ場所まで歩く。
歩く途中で、一台の車が止まり「今日の宴は?」と誘われる。
父島写真15-16

父島写真15-17


15時25分
風が強く、私を引率する鳥たちも大変そうだ。
父島写真15-18


15時30分
打合せ開始。
父島写真15-19


17時30分
打合せと資料の修正を終え、宿に向かう。


18時
会社から電話。
先程の打合せ相手が、連絡欲しいとのこと。
結局打合せ場所に戻り、資料の差し替え。


18時30分
被災地出身の方と宴を始める。


24時
3軒梯子し、宿に戻る。


第4日目

7時
起床。
いつも通りの朝支度。


9時
チェックアウト。
現場へ向かう。

寄り道しながらの道中、魚がまったくいない。
津波の影響なのか…。
鳥と猫は交互に現れ、相変わらずだ。
父島写真15-20

父島写真15-21


10時
気持ちを抑えて抑えて、お話をする。
何のためにここにいると思っているのか…。
父島写真15-22


12時
全ての仕事を終え昼食。

昨日と同じ店に伺うと、偉そうに話しかける長老。
さっさと食事をすまし、退席。
支払時に店の人から声かけられたが、長老がいるので簡単に挨拶。


13時
土産屋などを覗くも、物資不足の模様。
今回は何も買わずに帰るとするか…。
父島写真15-23

父島写真15-24

父島写真15-25


13時30分
ハンプティさんご親戚一同にあいさつし、二見港へ歩く。


14時
出航。

かなり波が高く、卒業生を送る子供たちの船もついてこられない。
父島写真15-26

父島写真15-27


15時
高波の影響で船が揺れ、起きていられなくなる。


24時
まだ起きられない。

夕飯は抜き。


第5日目

5時
まだ起きられない。

朝食も抜き。


10時
被災地の親戚と連絡が取れたと連絡あり。
良かった。

だがまだ連絡が取れない親戚もいる。


12時
まだ起きられない。
腰が限界に達している。

昨日の昼に、美味い飯を食べておいて良かった。
丸一日何も食べていない。


14時
少し波が静まってきた。

船が波に向かって進むような感じだったので、ピッチング(前後の揺れで先頭が上下して海面に叩きつけられる動き)はあったものの、横揺れはなく、起きてはいられなかったが、予想しやすい動きだったので楽といえば楽だった。

急いでカップラーメンをススル。
会社と連絡。


15時
富士山が奇麗に景色を作っている。

船内アナウンスにて18時着と30分短縮。
父島写真15-28

父島写真15-29


16時
身なりを整え、部屋に戻るとようやく同部屋の方が起きてきた。

「大変でしたね」なんて声をかけたら、すごく真面目なコメントを返されたので、「ご職業は?」と聞くと大学の教授のよう。

母島で研究をしていたらしく、津波避難も経験したと。
地震の話、原発の話も学者らしいコメント。
コーヒーまで入れてもらって、いろいろとご教授いただいた。
父島写真15-30


18時
竹芝桟橋到着。


今回の渡航は、地震の影響で出発が延期され、滞在日数が1日減った強行日程だったので、かなり疲労困憊してしまった。
津波の影響からか父島には魚はさっぱりいなかったが、鳥の奇妙さは相変わらずであった。

行きの船で急病となり、海上保安庁の船で運ばれた方は亡くなられたとのこと。
地震がなければ、ストレスもなく父島に戻ることができたかもしれない。
それを思うと、36時間の渡航となったが大した話ではない。


父島にも東北出身の仲間が結構おり、“嘆き悲しむ者”“自分が頑張らねばと一緒の船で帰る者”と様々であったが、我々若輩者は後者でなければならないと強く思う。
父島だけでなく、自分の故郷も何とかせねばならないと思いつつ、フラフラになりながら災害復興へのアイディアが頭をヨギル。

直帰しようと思ったが、自然と会社へ向かっていた。


バナースペース

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