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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

第13回渡航2010年12月3日(金)~8日(水)

第1日目

9時
竹芝桟橋着。
ドシャブリの雨だったり、太陽が顔を出したりと変な天気。
こんな時期だというのに人が多いように感じる。

相変わらずの腰痛に首痛が加わり、立っているのもやっと。
早く乗り込みたいと思っていたら、見たことのある顔がずらり。


9時40分
乗船。

今回の同部屋の方はもうウィスキーを飲んでいる。
ガタイの良いオッサンである。


10時
出航が遅れている。
外は降ったりやんだり、相変わらず太陽は出たり隠れたり。


10時15分
遅刻の二人が乗り込み、いよいよ出航。
それにしても東京湾内がこんなに波立つのは初めて。


10時25分
船内アナウンス、発達中の低気圧のおかげで大幅に遅れる可能性があると…。
かなり揺れるのであろうと思われる。


10時30分
同部屋の方は陸上自衛隊の関係者と聞く。
最初はお互いに探り合いの話しばかりしていた。
私の読んでいる本、手荷物のクリスマスプレゼント、パソコンで何している、出張か、手当は出るのか…。

ここで会社の経営者とバレてしまい、取り調べを受けていて尻尾をツカマレタ感あり。

………ならばということで、自衛隊の父島へ行く目的は何か、普段は何をしているか、昨今の政治家をどう思うのか、他国との関係に関しては、クーデターでも起こりそうなのか、等々と聞くと、「北朝鮮を米国らが攻めない理由をどう思うか?」と聞かれる。
話は弾み、防衛大学では若くても数十人を従える幹部になるという話から、自分が約20年前に合格した頃を打ち明ける。

一瞬驚かれたが、それで行かなかった理由を聞かれ、20年前の恥ずかしい事柄を思い出す。
私と同年代が、どのようなポジションで仕事をしているのかを教えられた。


11時
東京湾内の波は見た事もないくらい高いが、湾内のこの波は船に影響がない。

彼は「全然揺れないなぁ…」と嬉しそうで、一杯飲まないかと誘われる。

自動販売機でジュースのような酒を購入し、形式上、宴を始める。
自衛隊の仕事を聞くのは初めてで、かなり興味を持って聞いていたのが嬉しかったのか、多くの話を聞いた。

硫黄島の話もできた。
今回母島へ渡るので、少し硫黄島に近づく嬉しさを感じる。


12時
「昼飯を食べてくる」という。

「おススメは?」と聞かれたが、「何もない」と応えると、彼は急いで部屋を出た。

私が「波が高い」としきりに口にしていたが、彼は私の言葉を聞き流していた。


12時30分
彼が部屋に戻る。

入ると、直ぐに横になる。
おそらく調子悪くなってきたのだろうと推測。


13時
まだ湾内であるが動揺に注意とアナウンス。
子供のひとり歩きも禁止だと…。


13時30分
読書をするのも辛くなり、横になる。
これは厳しい事になるぞと落胆。

船は激しく揺れ、便所に行こうと部屋を出るのだが、手摺のアリガタミを感じる。
途絶えた手摺の2m先にある次の手摺に行くまでに、タイミングを見計らい、もし衝撃で転んだらどうするかまで想定し、意を決してダイビングする感じ。


15時
これだけ寝ていると当然、私は腰痛との戦いでもある。
本を読んで気をまぎらわすこともできず、10秒毎に寝返りを繰り返す。

なんてザマだ。


15時30分
彼が起きてきて、ソワソワ。

どうしたものかと起き上がると、船酔いをして吐いてしまったと…。
「だから言ったじゃない」とは喉元まで。
「大丈夫ですか?」と言葉だけで、そんなもの見せられて、私まで気分が悪くなりそうだ。

とりあえず売店に酔い止め薬を購入しに行くも、閉まっていた。
先ほど便所に行ったよりもさらにサバイバル状態。


17時
売店が開くアナウンスで、彼も必死に薬を求めて部屋を出る。

この魚雷をくらっているような揺れは、何時まで続くのだろうか。


20時
食堂がラストオーダーとアナウンス。

誰も行っていないだろう。


22時
消灯のアナウンス。

誰も聞いていないだろう。


24時
相変わらず波は元気だ。


26時
まだ揺れは激しい。

腰も限界に達し、船酔いしても仕方ないと起き上がり、窓の外の暗闇をニラム。


27時
ようやく激しい揺れが収まった模様。
単発でドーンと衝撃があるが、あとは大きなゆりかごのよう。

読書を始めるも知らぬ間に寝てしまった。


第2日目

5時
起床。
横にはなっていても深い眠りには辿り着けず、朝陽に導かれ布団から出る。


8時
自衛隊の彼も起きてきた。
昨日の失態を後悔していた。


9時
カップラーメンを食した後、身支度を整える。
部屋に戻り読書。
今回本を3冊持参したのだが、まだ一冊しか読み終えていない。


10時
窓の外は海と空。
聟島列島が見えないのを不安に思う。
カツオドリが現れたので安心する。


10時30分
船内アナウンスで、聟島列島が薄っすら見えると。
よく目を凝らすと確かに見えていた。
聟島列島がこんなに薄っすらとしか見えないのは初めてだ。

13時10分にははじま丸が出航すると聞く。
何故か、この船の二見港到着時刻をアナウンスしない。


12時40分
父島着。
大変疲れたといいたいところだが、これから船を乗り継ぎ、2時間かけて母島へ行く。


12時50分
親分が迎えに来てくれており、手土産を渡す。

実はこの渡航までに、いろいろと協力してもらってしまっていた。
多少の仕事の話をして、ははじま丸へ乗り込む。

おばさまの集団が騒いでいて、かなりうるさい。
こういう歳の取り方はしたくないと思う。


13時20分
少々遅れて出航。

父島の最南端にはハート型の岩があると聞いていた。
それを見てみたくて、外で揺られながら待つ。


13時40分
グレーの岩の中に、赤土が固まったであろう岩が大きく見える。
確かにハート型であり、母島へのラブコールと言われている。
まぁ多少のロマンスは許してやろう。

それにしてもははじま丸は小さいだけあって揺れる。
船首が5mくらい上下に揺れる。
こんな中、読書をできる自分を喜んでいいのやら…。
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父島写真13-02


14時20分
父島と母島はそんなに離れていないので、中間にいると両方の島が見える。


15時30分
母島初上陸。

仕事相手と少しの打ち合わせ。
宿主が迎えにきてくれていると聞いたがおらず、地図をみながら、一人歩いて探す。

母島は父島に比べかなり小さな街の印象。
アスファルトがない。


16時
道を間違えながらグルッと回って宿に到着。
すると道路に座っていた女性から「ひょっとして田中さん?」と聞かれる。

お互い港で会えなかった事を謝りながら、部屋の位置などを聞く。
夕飯は18時からと言われたが、打ち合わせがあるから無理だと告げると、「じゃぁ何処かで食べてきて」とのこと。
朝飯は6時半と言われたが、早すぎるのでキャンセルに…。

もう母島で仕事しないぞ…と言ってやりたかった。


16時30分
部屋で仕事の支度をし、外出。


16時40分
船の待合所に寄り道し、夕飯の食べられる場所をチェックすると2軒しかない。
「困ったものだ…」とそこにいた人に尋ねるも、やはり2軒しかないらしい。

1軒は寿司屋、もう1軒は私には似合わぬ店。


17時
打ち合わせ場所へ行くと、「明日にしてくれ」と言われた。
確かにこんな暗くて現地調査は無理だと思うのだが…。
寄り道をして帰るにも小さな街なので、歩いていればヨソモノと直ぐにわかり、道行く小学生も私に挨拶する。


17時30分
会社に連絡。
少々愚痴ってしまい、電話を切った後に後悔。

とにかく明日の朝、11時までの勝負で仕事を終えねばならない。
2物件の現地調査であり、万全とは言えぬ資料たちをニラミ、かといっていまからではどうにもならぬとこの資料たちの活躍を祈る。


18時
外出。

2軒しかない店を選ばねばならない。
どう考えても、若い女性が好きそうな店へは行けないという事で、寿司屋の暖簾をくぐる。


19時
2軒しかなければ、当然1/2の確率で知人が入ってくる。
これは困ったと思う気持ちとは裏腹に、刺身の盛り合わせは一人では不可能な量であって、めざしもそれなりで、焼酎を10杯くらい飲む言い訳になった。


22時
店を出る。

小さい街だから噂は広がる。
よって悪口は慎まねばならない。
ストレス発散とはいかぬ酒の席であった。


22時20分
宿へ到着。
何時もとは違うリズムではあるが、即座に風呂に入り、読書を楽しむ。

明日は寝坊できない勝負の一日である。


24時
ウトウトしながら眠りに就く。


第3日目

5時
起床。

実はあまり眠れなかった。
前日ほとんど横になっていたせいで、腰が痛く、頭は眠いのに体が拒否しているような感覚であった。
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7時30分
身支度を整え外出。
朝飯は8時にスーパーが開くと聞いたので、その時を待つ。

先に、本日の現場下見を行う。
ものすごい坂を登り、現地の一歩手前で施錠されておりガッカリ。
そのままスーパーへ向かい、買い物をする。

コーヒーとパンとヨーグルト。
波音を聞きながら朝食を楽しむ。
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8時
約束の時間に合わせて、待ち合わせ場所へ。


8時10分
打ち合わせ相手が現れるも、直ぐに終了。

いったい私は何しに母島へ来たのか…。
現地は確認させてもらえなかった。


8時30分
荷物をまとめてチェックアウト。
私は宿主に頭を下げ謝りながら、逆の事を考えていた。


9時
もう待合所にいた。
これから2時間どうしようかと思ったが、読書でもしようとそこに居座った。
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11時30分
ははじま丸出航。
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まだ波は高く、かなり上下に揺れたが、もう慣れたものだ。
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12時30分
この頃から例の“ハートロック”が見えてくる。
実に不思議な光景だ。
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実は出航して直ぐにカツオドリが船の上を飛んでいて、船に驚いて飛び出してくるトビウオを獲物に狩りを楽しんでいた。
空中から急降下し、私が見ているだけでも5匹捕まえていた。
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13時30分
二見港着。
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下船すると直ぐに住宅の施主に見つかり、野球をしようと言われる。
渋々了解するも、この腰痛を危険に感じていた。


13時40分
ガジュマル着。

宿主であるお母さんの妹がお出迎え。
お母さんは体調が悪くて寝ているという。
何時もの部屋で良いと言われ、何時もの場所に荷物を置き、何時ものように“設計事務所”と化す。

おそらくこの光景をご存知だから、何時もこの部屋なのだろう。
出かける際に、パジャマ姿のハンプティ(宿主)さんにお土産を渡す。
「クラクラするのよ…」と頭を抑えるが、喜んで受け取ってくれた。


14時
迎えに来ると言われていたが、空腹であったので、スーパーへ。
おにぎりが2個しか残っておらず、それとお茶を購入して急いで宿に戻る。

帰り道、迎えに来る彼の奥さんと子供に声をかけられ、これから野球に行くのかと笑顔で会話。
子供は対戦相手のピッチャーの球が速いと自慢げ。
自分の野球チームのコーチらしい。

手を振って別れると、向こうから父親が現れる。
即座に車で拉致され、ニギリメシを頬張る。


14時20分
私以外にも拉致された者がおり、ひとり一人を迎えにいって、高校のグランドに到着。
約20年ぶりにグローブをはめた。

アキレス腱がかなり気になる。
それよりもボールが見えるか…。

数度ボールを投げ合うとやはり体は覚えているもので、使い慣れないグローブも私の体の一部になりつつあった。

ただ動体視力はかなり衰え、空振りは2回連続。
少し体を動かしただけで、首が痛くなった。

だいたい、軟式野球は小学校の低学年以来だ。
テキトウにポンポンバウンドし、グローブの中でも暴れ厄介だ。


15時30分
6番セカンドで出場するも、技術と体力の低下にイライラ。
オマケに大敗を喫してしまった。

これだけの大敗は私の記憶にない。
草野球でも負ければ悔しい。

実は打った瞬間に右太ももに激痛が走った。
おそらく肉が離れた。
恥ずかしいったらありゃぁしないが、それを隠して守るところが昭和の野球少年である。

明日の仕事での山登りをまったく考えていない。
おそらく明日はキツイ一日となるだろう。


17時30分
試合終了の後、グランド整備を行った。

これも懐かしく、トンボのかけ方は忘れていなかった。


18時
宿まで送ってもらい、今夜飲もうと別れる。

遊んでしまった分、宿に戻り仕事をする。
ハンプティさん(宿主)の声が響き渡る。
「なんだ~元気になって良かった」と思って1階へ降りるとパジャマ姿。

「もしかして仮病?」と喉元まで…。
シャワーを浴びて良いか、一応確認。

シャワーから出ると、ハンプティさんはテレビを観ていた。


18時30分
下からハンプティさんの咳。

目の前の鏡に映る自分の顔はニヤついていた。
ニヤ付いた顔を見たら罰が当たったか首に激痛が走り、ベッドで横になる。

この痛みから解放されて、昔のように野球ができたら…というのは叶わぬ夢だろう。


19時
いつもの店へ向かうも貸切りらしく、子供連れの約50人が騒いでいる。

住宅の施主が店長を勤める店へ。
夜来るのは初めてで、ワインと共に静かに時を過ごす。
私にはイマイチ合わない雰囲気である(笑)。


23時
閉店と共に、反省会会場へと向かう。

カメ店長も含めた数名の宴になっており、酔っぱらいのストレス発散で、殴り合い寸前。
直ぐに仲直りするのが、彼らの良いところで、店の主も泣きそうになり喧嘩を止めた。

それから笑いの絶えない宴に代わり、気付くと午前様。


27時
店を出て、宿に戻る。

明日は忙しい一日だというのに、寝坊せぬようにと祈る。


第4日目

7時
起床。

即座に身支度を整え、仕事の準備。
昨晩の深酒を少々後悔するも、気分は上々。
ただし、身体は悲鳴をあげていた。


8時
朝食。

ハンプティさんの具合が悪いからか、何時もと味が違う。


8時30分
外出、早歩きで待ち合わせ場所へ。
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9時
車で移動。
今日は山登り。
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11時
山登り終了。
筋肉痛に拍車をかける。
下り坂では膝が笑っていた。
こんな山頂のような現場は往復だけでかなりシンドクなるだろう。
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村役場前の“鯉のぼり”ならぬ“鯨のぼり”


11時30分
小笠原支庁へ。

環境配慮についての打ち合わせ。
世界遺産になったらもっと厳しくなるだろう。
小笠原支庁へ行くと、いろいろな方から声がかかる。
約2年でここまでなるのは私の特技なのかもしれない。


12時
打ち合わせは延長し、他の方から13時30分に来てよと頼まれる。


12時30分
打ち合わせ終了。

急いで宿に向かい、その途中でおにぎりを購入。
宿にてメールチェックしながら午後の打ち合わせに備える。
おにぎりは何味だったか覚えていない。


13時15分
少し早いが午後の打ち合わせ場所へ到着。
書類をチェックし、現場を確認。
これを直したいと新たな相談を受け、またまた仕事が増えてしまった。


14時
次の打ち合わせに向かう。
携帯で今向かっているというと、迎えにくるという。
かなりタイトなスケジュール。

施工会社へ到着して、書類等チェック。
のんびりしているから、どうもキレの悪い打ち合わせとなる。
何を言いたいのか、何が本音か分らない。

会社に連絡して書類をファックスしてもらい、こちらから指示して書類を整える。
捺印後、現場へ向かう。


15時
現場前で休憩する作業員の方々に挨拶をして、建物内部へ。


15時50分
現場のチェックを終えて外に出ると、まだ作業員の方々は休憩中。
これがこの島の良さでもあり、その逆でもある。


16時
親分の会社へ送ってもらう。

渡航前に相談に乗ってもらった事を確認する為の打ち合わせ。
この打ち合わせが今回の渡航で最も重要である。
親分の親分までも参加していただき、心温まるご助言をいただいた。

雑談として、私の提案した「ニューツリーハウスをどうすんの?」といわれ、「この辺の空き地に建てさせてくれないか」と談笑。


18時30分
疲れ果てた帰り道、会社に連絡して、多少のやり取り。
いつもは通らないショートカットトンネルをクグリ、宿の前に立つ。
今日はかなり疲れた。
腰も首も足も肩も全身が悲鳴をあげている。
宿の階段を登るのがキツイと初めて感じた。

部屋で残務を行い、約束していた知人からの連絡を待つ。
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二見港にあるガジュマルのクリスマスイルミネーション


19時30分
外出。
数度一緒に飲んでいる知人、というよりは既に友人のようなものだ。
彼と話が合ったのは、おそらく私のオジサンの家の近所に彼の実家があるから…。

かなり忙しく働いているようで、疲労からか楽しい宴はショートカットする。
………といっても3時間は飲んだ。


22時30分
彼と別れてカメ店長の店へ。
カウンターへ座ると、昨晩の主人公が子供のような女性を連れて座っていた。

鼻の下を伸ばし、オヤジ丸出し。
でもこのオヤジっぷりが、皆を楽しませていた。

カウンターの向こうのカメ店長が、わざと二人をイジル。
その挑発を互いに利用して、その場を楽しんでいた。
時には私も巻き込まれた。

本日、奥さんの誕生日パーティがあると言っていた住宅の施主も呼び出され、これまた宴は最高潮。

小娘は、23時には帰船した。
明日は船上で働かねばならない。


25時
カメ店長に気を遣ったオヤジは、店を移そうと先に席を立つ。

我々は行かないと笑顔。
携帯が鳴るも出ずメールも無視し、若者はオヤジをカラカッタ。


25時30分
店を出て、彼が待つ店へと向かうが彼はおらず、もう船に戻ったと聞く。
船乗りのオヤジにはプライドがあるらしく、一度船に戻ると降りてこないらしい。

冗談を詫びて「降りてきて」と伝えるも、それは叶わなかった。

まぁいいか…ということで、3人で飲み続け、店主も参加して更に飲み続けた。


28時
「そろそろ帰らないとまずいだろう…」と田中が言いだし、「そりゃそうだ」と言って席を立つ。
会計は2,000円、それ以上は受け取らず、

タダ酒を飲ませてもらったようなものだ。
何リットル飲んだことか…。


28時10分
静かに扉を開けて、鍵を閉め、電気を消して階段を上り、部屋の扉を静かに開閉して床に就く。


第5日目

7時30分
起床。
意外と寝坊はしなかった。


8時
身支度を整え朝食。
今日の朝飯は美味かった。
もう体調は良くなっただろう。


8時30分
二度寝してしまった。


9時30分
再起床。
チェックアウト10時を焦る。


10時
チェックアウト。
宿代を払い、世間話を少々…。
戦艦大和のプロデューサーが二見港で亡くなった話や、ハロウィンパーティーの話など…。

荷物を預かってもらい、外出。
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10時30分
村役場へ。

いろいろと交渉ごとの末、こちらにとっても良い話となりそうだ。
たまには経営者のような会話もするのだが、この役場の方々は野球で対戦した方々。

杯は交わしていないが、一度野球をやれば話合いも滑らか…。


11時
新たに頼まれた現場へ。

写真を撮りながら、改修方法を悩ましげに考えていた。
ウロチョロしていると、不思議な鳥の集団に遭遇。
皆で同じタイミングで同じ方向に進み、同じタイミングで止まる。

一度止まるとダルマサンガコロンダのように動かない。
数度お会いしている鳥であるが、こんなに群れているのを間近で見るのは初めて。

そういえば今回は忙しすぎて、脇目も振らず、寄り道もせずにいたので、この出張日記も面白さにかけるであろう。
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11時30分
しばし浜辺に座り、ボーッとしていると挨拶される。
これまた知人であったが、昼休みに毎日泳いでいると聞いていた人。

奇麗なフォームで遠くの沖まで泳いでいき、その姿を羨んだ。
私は身体が悲鳴をあげている。


12時
昨日ほぼ無料で飲ませてくれた店へ。
客は誰もおらず、貸切状態。
昨晩の礼を言い、ランチで一番高価なモノを注文。

15年前にこの島へ来る前は、新宿で幾つかの店を経営していたらしい。

この地に来た理由は聞かなかったが、もしかしたら顔の見たことない知人かもしれないと感じた。
顔には出さず、もちろん言葉にもしなかった。


13時
かなり美味しいご馳走をいただき、感謝しながら代金を支払った。


13時10分
宿に帰ると、パンプティさんがクリスマスの飾り付けを楽しんでいた。

弊社からのプレゼントも飾られており、あまりにも楽しそうに飾り付けをしているので、「具合は良くなったのですか?」と尋ねると、突然オデコに手をやり、「まだちょっとね~」とヘタクソな日本語。
苦笑いしながら気遣う言葉を発し、しばし談笑。
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13時30分
別れを告げ、次回は1月か2月に来るというと、
「Merry Christmas and Happy New Year! !」と返され、笑顔で別れる。


13時40分
乗船前で、多くの方から「来てたの!」と声をかけられる。
こちらに来て多くの方と会った気がしたが、まだ会っていない人がこんなにいたかと驚いた。
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14時
出航。

同部屋の方は行きの船の方だった。
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14時30分
見送り船はシーズンオフのため手抜き。
その中で、親分の親分が作業着で乗り込んでいた。

どことなく慣れない様子で皆が手を振る中、手摺につかまり、たまに手を振ってくれた。
恒例のダイビング時には、お尻をこちらに向け、飛びこむ仕草だけ。

こんな面白いことする人初めてだ。
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17時
読書をしていたら少し揺れ出した。


18時
起きていられなくなり横になる。
そのまま揺れはひどくなり腰痛、首痛との戦いとなる。


第6日目

5時
行きほどではないが揺れは激しく、首と腰が痛くて起きても、それは長く続かない。


11時30分
ようやく少し揺れが落ち着いた。
空腹を満たす為にカップラーメンを食す。


12時
同部屋の方も起きてこられたので少々話をすると、島で会った老夫婦も行きの船で大変だったと話されていたらしい。

薬も飲まず船酔いをしないようになれたのは、やはり慣れなのか…。


12時30分
房総半島が見えてきた。
これで波は穏やかになり、読書を楽しめるようになる。


14時
かなりの減速。
遅れるというアナウンスがあったのは、動揺していた頃。
意外と余裕が出てきたか…。


15時
情けない事に海の色が変化する。
父島の海は透明で、船が出ると濃紺になる。
しばらくはほとんど変わらぬ色なのに、東京湾内に入ると茶色が混ざり始め、竹芝桟橋に着く頃には、異臭のしそうな茶色となる。

空も同様。
澄みきった青い空から視界の悪いグレーの空に変わる。
そろそろ頭痛が始まるだろう。

今回の出張を振り返って、私はまだ母島を好きになっていない。
宿主と上手くやれなかったという安易な理由ではなく、“あの島には何かが足りない”とは偉そうに言いすぎだが…。

母島からも受け入れられていないだろうと感じた。

次回の渡航は2月の予定。


バナースペース

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