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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

第21回渡航2012年9月21日(金)~26日(水)

第1日目

9時15分
竹芝桟橋着。

相変わらずの人ごみ….
この混雑はいつまで続くのか?


9時45分
乗船、と同時に会社から連絡。

着替えをし、同部屋4人が顔を合わせたところで外に出る。


10時5分
出航と同時に電話で仕事の話…まぁ仕方ない。
出航がちょっと遅れたようだ。

揺れないことを祈る。
父島写真21-01

父島写真21-02


10時30分
少し頭が痛い。
少し腰が痛い。
昨今の隣国との問題で、かなり気分が悪い。
パソコンの調子も悪い。

少し横になることとした。
その前に足の爪を切る。

…溜息ばかりだ。
父島でエネルギーをもらえる事と信じたい。

そういえば、父島で仕事をしようと思ったのも、こんな気分からだった。
不思議と父島はいつも私にエネルギーをくれる。

昨日、某雑誌編集長との話は楽しかった。
私の考案した「東北復興案」を楽しそうに聞いてくれたのと、日本復興計画を真剣なまなざしで理解しようとしてくれた。

もちろん、私が父島でやろうとしている事にも理解を示してくれている。


12時
少し寝てしまったようだ。
携帯をみて会社からの連絡がなかったことに安堵する。
こんな時間に寝るとは何年ぶりか…。


12時15分
電話が鳴り、宴に誘われ参戦…。

まったく揺れず、チビチビと酒を飲む。


16時
宴中。
まったく揺れない。

かなりラッキーだろう。


19時
宴中。

BSテレビでもいつもはもう観られなくなるのに、野球中継を鮮明に観られることに驚いた。

ダルビッシュが勝ったようだ。


21時
巨人が優勝したらしいが、まだ宴は続く。

今までの船の中では、途中で携帯がつながらなくなり、続いてテレビも観られなくなり、水平線以外見えなくなり、その多少の不安が島へ向かう欲望へとなったのだが、こうやってテレビが観られると、いつまでもつながっている感じがあり、実は楽しみも半減する。


23時
解散、就寝。


第2日目

7時
起床、
…というかベッドからは出ていない。

4人部屋は気を遣うから、他人が寝ていると思うとなかなか外に出られない。


8時
カップラーメンをススル。
ススルと同部屋の人々が起きてきた。
やっぱり悪かったなぁ…匂いも相当だったろう。

反省して甲板へ。


9時
身支度をして読書。


11時15分
外を見ると、父島がそこにあった。
父島写真21-03

父島写真21-04


11時30分
父島上陸。

仕事仲間と挨拶を交わし、何時もの宿へ。


11時45分
ガラガラと扉を開けると、満面の笑みのハンプティさん。
前回渡航の別れ際、「次回、私いないから」と言っていたくせに…。

聞いてみると、「台風で波が高いから渡航予定を延期して、田中さんと一緒の船に乗ることになった」という。

笑いながら、「何時もの部屋で何時もの食事時間」とだけ会話。


12時
会社に電話。


13時15分
もうこんな時間。
父島写真21-05

昼も食わずに山の上の現場へ。
父島写真21-06

ショートカットトンネルを選択する。
父島写真21-07

13時30分
汗だくで到着すると、その後ろから車の列。
皆涼しそうに車から降りる…、もう少しゆっくり来ればよかった。

15時
次の現場へ移動。
父島写真21-08

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父島写真21-10

父島写真21-11

父島写真21-12


16時
その次の現場へ移動。


17時
親分が宿まで送ってくれて内勤スタート。

あまりの蒸し暑さにシャワーを浴びる。


18時30分
親分から呼ばれる。

今日は個室が取れなかったということで、観光客と隣り合わせで酒を飲む。

途中、隣客に写真を撮ってあげるサービス。


20時
親分の親分が現れる。
91歳らしいが元気にはっきり物を言う。


21時30分
解散。
美味いつまみと共にアルコールを摂取させていただいた。


22時
海へ向かう。

浜では若い男女集団が夜遊びをしていた。
大学生なのだろう、自分にもこのような時期があったが、9月の後半だというのに夏休みなのか…?


22時10分
海から少し離れた芝生で横になる。

満天の星空を眺め、自分の不甲斐無い40年を振り返る。


23時
宿に戻るとハンプティさんが珍しくテレビを観ていた。

何か察せられたか…、鍵を閉め一言二言話をして階段を上る。


23時10分
会社からのメールを確認し就寝。


第3日目

7時
起床したのだが二度寝…。
今日は日曜日だった。


7時30分
そういえば、変な夢をみた。

何も悪い事をしていないのに、ガサ入れのように突然大きなオフィスに特殊部隊が入ってきて、100人以上の集団が捕まり、そのまま死刑確定に…。

死刑はその日に行われることとなり、集団ジェットコースターに乗る。

それが動き出すと前から順番に銃殺される。
「パーン、パーン」と順番に頭の力が抜けていくのを見る。

私の前の前の人が助かった、理由は銃を撃つ人間の怠慢。
それでジェットコースターが止まり、逃げることになる。

特殊部隊から追いかけられるのだが、私は展示場にあった試乗車「赤い跳ね馬」を運転し逃走。
試乗車のくせに、007のような小道具が付いていて必死に逃走。

やがて狭い路地に入り、八方塞がりとなり車を捨て墓地に逃げ込む。

墓地の中にある石碑の前で私は捕まるのだが、その石碑には「学びを怠るな」と彫られていた。


8時
こんな夢の復習をしていると朝食の時間となった。

階段を下りるとハンプティさんが朝食の準備をしていたのだが、シャワーを簡単に浴びさせて欲しいと言って浴室に駆け込む。


8時20分
朝食。

相変わらずの美味い朝食であったが魚が冷たくなっていた。
これは私のせいだろう。


9時
身支度を整え、内勤を始める。


9時30分
会社に電話。


10時
外出。
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新たな現場で調査。
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11時
車が止まり、「天気の良い日曜日に仕事をしている場合ではないだろう」と拉致されて浜へ。

浜では島の同年代親子など数名がバーベキューを始めようとしていた。
手ぶらで参加するのも申し訳ないので、ビールの差し入れ。
何を食べたか覚えてもいないが、とにかく楽しいひと時であった。

手足を大分サンゴに切られてしまったが、まぁしゃぁ~ない。
最初の頃に比べると、かなり島の人々の交流が増えた。
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16時
宿の近くで車を降りる。
また夜飲もうと…。

農協で土産の物色をしようとすると、店員から声をかけられる。
昔、カメ店長の店で働いていた子だ。
また島で生活をする事にしたらしい。


17時
知人の店に顔出すと、「まぁ、座れ」となって話しこむ。
店に来た客をほぼ無視して談笑する。
…いいのか、こんなんで。


17時30分
その店に知り合いがやってきて拉致される。
彼らの宿で話し合い、酒が出てきて…。


18時30分
宿に戻り、改めてサンゴにやられた傷を見る。
結構パックリやられてしまった。


19時
お迎え有り。
また大宴会となってしまった。


23時
楽しい宴は終了し、宿へ。

ハンプティさんが待っていてくれて、鍵を閉めて階段を上がる。


23時30分
会社からのメールに落胆するも、そのまま就寝。


第4日目

7時
起床。
いつもどおりの朝の流れ。


9時
外出。
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まずは支庁へ。
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総合庁舎へ。
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村役場へ。
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もう一度村役場へ。
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明日もう一度来いと…。
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10時30分
親分から電話。
ショートカットトンネルを利用し親分の事務所へ向かう。
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11時
親分の事務所から紹介された施主事務所へ移動。
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12時
「昼飯を食おう」と親分。


13時
再び親分の事務所で打ち合わせ。
もう一つ仕事を頼まれた。


13時30分
鳥たちを無視して支庁で打ち合わせ。
悪いことをしている気がする。


14時
また別の施主打ち合わせ。
現地を確認してからの打ち合わせ。

敷地を作ることから始まるので、だんだん形になってきて嬉しそうだ。
私も水平線の見える建築を創ることに喜びを感じる。


15時
喫茶店で打ち合わせ。


16時
現場確認。
島での仕事は設計監理だけではなく、施工管理も支えねばならない。


17時
親分と打ち合わせ。
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18時
浜で今日のまとめをする。
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18時30分
宿に戻る。
メールチェックと会社連絡。


19時
呼び出し。
私が知り合った島の知人が段々と結びついていく。
私も少しは島に溶け込んできたか…。


24時
ハシゴしたが、宴終了。


24時30分
宿に戻る。
「カギトデンキケスヨウニ」と…。


25時
就寝。


第5日目

7時
起床。
いつも通りに身支度を整え、荷物整理。


8時
朝食。
いつもの白米と味噌汁ではなく、パンと紅茶であった。

ハンプティさんもこの船に乗ると聞いていたので、簡略化した朝食なのだろう。
まぁ仕方ない。
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9時
お金を支払い、荷物を1階に移動。

ハンプティさんから土地の事で相談を受け、「また戻ってきます」と言い出かける。
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9時30分
工事会社事務所へ。
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9時40分
小笠原支庁へ。
そして、会社へ連絡。
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10時
工事会社事務所へ。


10時30分
村役場へ。
また、会社へ連絡。


11時
本渡航での業務が全て完了した。

浜で読書。
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11時30分
少し早いが昼食。
知り合いの店でパスタを食べる。

「ビールもお伴したい」というので注文。
「ワインもお伴したい」というので注文。
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12時30分
店長に別れを告げて、浜で読書。
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13時20分
宿に戻る。

ハンプティさんはソワソワしている。
少し痩せたようにもみえるが…。

ずっと波が高くて船に乗れなかったようなので、この船に乗るかも迷っているらしい。

ハンプティさんの妹さんが「庭でできたレモンを持っていきなさい」と…。
買っちゃったんだよなぁ~と内心思いながらも、ありがたくいただく。


13時30分
会社役員から連絡、台風なのに大丈夫かと心配され、「そんな気配まったくない」と返事。

「台風の目か?」との問いに、「そんなにでかい目はないだろう」と大笑い。


13時50分
待合所へ向かうと仕事の書類を渡された。
多くの方と挨拶を交わし、船に乗り込む。


14時
出航。

見送り船は2隻だけ。
この後台風が直撃するからそれに備えているのだろう。
今までになく、さみしい出航となる。


14時30分
宴に参加。


23時
宴終了。

部屋に戻ると暗闇だった。
静かに歯ブラシ等を取り出して洗面所へ向かう。


23時30分
就寝。


第6日目

3時頃
少し船が揺れだした。
八丈島あたりで5mの波になると聞いていたが、そろそろか…。


5時頃
結構な揺れとなる。
トイレに行くが、手すりなしでは歩けない。


7時
船内アナウンスで「危険のため朝食レストランは開かない」と…。
開いたところで、食べられる人はいないだろう。


7時30分
起床しトイレに行くと、担架で運ばれる人がいた。
全身見えていないが、ハンプティさんに似ていた気がして心配になる。

揺れに耐えながら腰も首も痛く、横になっているのがシンドイ。
相変わらず変な夢を見るもので、今度は荷物をすべて取られる夢だった。

最近あまり良い夢を見ない。


10時
まだ揺れは収まらない。


12時
もう我慢ならなく、起きてカップラーメンにお湯を注ぐ。
外を見ると房総半島が見えてきた。


13時
ようやく揺れが収まる。


13時30分
船内アナウンス「もう揺れないから安心してください」と…。

素人向けのアナウンスに噴き出してしまったが、初めて来た人は驚いたことだろう。
私の中ではそんなにひどい揺れには感じないが、慣れとは恐ろしい。


14時
船内で人の動きが多くなってきた。
また騒がしくなるのだろう。

出航してから24時間が経過した。


16時
何だか疲れてしまったらしい。
横になって過ごす。

到着は1時間30分遅れ。


17時
大分遅れて到着。
これだけ遅れるのは珍しいか…。

早く土産を渡そうと会社へ急ぐ。


次回の渡航は12月の予定。


バナースペース

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