本文へスキップ

株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

第9回渡航2010年5月11日(火)~16日(日)

第1日目

9時
竹芝桟橋着。

かなりの疲労感あり、横になりたいくらい。


9時30分
乗船。

ロビーに人が少なかったから一人部屋を期待した。
扉を開けるとニッコリ挨拶をされた。

旅慣れた様子を察知され、いろいろと話しかけられる。


10時
出航時間だが遅延とアナウンス。
また誰かが寝坊したのだろう、いい迷惑だ。

同部屋の男性がよくしゃべる…バイオの研究の話等を延々と。

パソコンに目をやる。
メールを開きたくなかったが、恐るおそる開くとやはり仕事のメールがタンマリ。


10時10分
出航。

「これも何かの縁」と嬉しそうに話す男性…。
一か月締切を延期してもらった原稿を書こうと思っているのに、まったく集中できない。


10時半
会社と電話とメールでやり取りするも、電波の調子が何故か悪く、あたふたする。


12時
午前中に何とかせねばならない仕事を終える。

私の安堵した表情を見て、一度黙った同部屋の男がしゃべりだす。
そして次々と展開していく。

日本人や秋田美人のルーツ、エンヤーコラヤーの語源、父島の大神神社や鹿島神宮の神様の話等々…。
きっと頭の良い方なのだろう。


14時
宴に誘われえているのを忘れていたわけではないが、仕事のバタバタと同部屋の方の話を理由に参加していなかった。


14時30分
宴に参加。


16時
揺れが少々ひどくなり、おそらく黒潮越えの為であろう。

周囲に人はいなくなり閑散としたサロンで杯を交わす。


18時
宴終了。

部屋に戻ると彼は船酔いをしていた。
直ぐに横になるよう勧め、自分も横になる。
これだけ何度も船に乗っていると、初心者とは酔い方がまったく異なる。
私には少し揺れてきただけにしか思えない。


21時
しばらく船は揺れたが、この頃にはまたほとんど揺れなくなっていた。

隣の男性はグロッキーのようだ。
今日はこのまま寝てしまおうと疲れた体を癒すことにする。


24時
突然のアナウンス。

急病人がでたらしく、医療従事者を求める。


25時
何故か不思議な感覚であった。

目を閉じていても瞼の外が明るく感じ、目を開けると当然真っ暗闇。

これを数分おきに数度繰り返し、目を閉じて頭の上まで明るく光が灯る。

いよいよお迎えがきたかと覚悟をするも、ここちよい感覚を与えてくれただけで、そのまま眠ることになる。


27時
疲れすぎなのかもしれない。

夢ではなかったとはっきり覚えているし、隣の男が神の使いではとアホな事を考える。


第2日目

5時
起床。

早く寝たから早く起きるのは当然で、腰ももう限界と訴える。

隣は寝ているので、さっさと仕事を始める。
こんな早朝から仕事をするのは久しぶりで、朝陽を感じながら気分がよい。


7時
彼が起きてきた。

シャワーを浴びてきたらしく、無料で入れることに喜んでいた。


7時30分
カップラーメンをススル私を見て、何も食べる気がしない…と。
野菜ジュースを2本買ってきて、1本私にくれるという。

何だか申し訳ないと思うが、2度断っても飲めというのでありがたく頂戴する。

それにしてもこの男性、風変わりといえばまさにそうで、帰りも私と同じ部屋になりたいと私の部屋番号を聞いてきた。


この人を見ていると仏のように感じる。
何か私に伝えたい事があるのか。


8時30分
久しぶりにカツオドリのお迎え。
気持も高揚し、嬉しくなった。
父島写真09-03

父島写真09-01

彼も食欲が湧いてきたらしく、レストランへ向かう。


9時
パソコンに向かいながら彼と話をする。

何故か私の話を聞く人で、勿論彼も素晴らしい考えの持ち主であることも理解できた。
この人と話をしているとやけに落ち着き嬉しくなってしまい、私の方も、ペラペラと頭の中を露呈してしまった。

私よりも一回り年齢が上であるようで、かなり頭の回転は早く、几帳面さもかなりのものである。

私の発言にも、親身に受け答えしてくれた。


10時
船がかなりペースダウンした。

出航が遅れた際に、到着時間は遅れないとアナウンスしたものだから、きっと頑張り過ぎたのであろう。

もう父島は目の前で、早く着いても誰も文句言わないのに…と。
父島写真09-02


11時
仕事で必要な写真を撮って、部屋に戻ると、彼から礼を言われたので「島は狭いから何処かで会いますよ」と伝えた。

名残惜しむ状況となり、名刺を渡してしまった。


11時30分
父島上陸。

宿の車が迎えに来てくれていた。

「歩いて行く」といったのだが、他の客はもう連れて行き、仕事関係の方と立ち話をしていた私一人を待っていたらしく残念がる表情…「では乗って行きます」と応えてしまった。

若い青年であるが、私に気遣い立派に話もできる。


11時50分
宿に到着。
今回はまたいつもと違う宿に泊まる。

宿の受付で「見たことある」とか「前も泊まったでしょ?」とか…。
見たことはあるだろうが、泊まったことはない。
そう言っているのに、じゃぁ誰だったんだろうと訳のわからん言い訳。

部屋まで案内してくれないから、迷いながら部屋へ到着し、メールを開いて会社に電話して、またしてもバタバタの始まり。


12時40分
仕事関係者と昼飯を食べる約束をしていたので、小走りで向うも当然遅刻。


13時30分
中華丼で腹を満たし、土産屋へ。
魚サン(ただのサンダル)と海パンを購入。
何故か深緑の魚サンと同色の海パン。

隙あらば泳ごうというイタズラな考え。


13時50分
宿に戻りメールのやり取りを終え、小走りで午後の仕事場へ向かう。


14時
現場着。


15時
検査終了。

いつものように今度建築予定の場所へ連れていかれる。
相談を受けるもここに建ててはならないのではと感じ、言葉を選びながら発言する。


16時
役所へ挨拶。

だいぶ田中の顔も浸透し、役所だというのに笑顔で挨拶。

相変わらず春日部市産の麦わら帽子は目立つらしい。


17時
本日の業務は終了し、船中でできなかった原稿を書く事とし宿に戻る。

宿に戻ると宿主がテレビを観ながら私に話しかける。
「風呂は用意できている」と。

せっかくだから一番風呂をもらおうと風呂へ。
風呂の場所を教えてもらっていなかったので、結局シャワーで済ます(後ほどその隣に風呂があったと確認)。


17時30分
仕事メールを確認し、返信。
そういえば遊びメールを最近していない。

原稿を書き始める。


20時
気付くとこんな時間。
肋骨が痛くて少し横になる。


20時30分
あの店へ。

島は閑散としているが、この店だけは流行っている。
何時ものように店員に挨拶しカウンターに座る。
大根サラダは大盛でこれだけで腹が満たされそうだ。

背中を向けて忙しくしているカメ店長は、きっとニヤリとしているのだろう。
とびうおのタタキを注文した。

そういえば、船中から見たカツオドリは上手にとびうおを獲ていた。
店員に運んでこられたとびうおは、タタキとあって原型を留めておらず、食してみるも白身魚の味で私にその差は分らなかった。


22時
酔っぱらいの常連オヤジが登場し、店員の表情が一転。

このオヤジ何かやらかしたんだろう。
皆から相手にされず、一杯飲んで席を立つ。

発する言葉もまさにスケベ親父そのもので、島でなければ頭ヒッパタイテやる。

そうそう、
このオヤジは約1年前私に「ウミガメはもう少し待て」と偉そうに言って、私がウミガメの産卵に最初から立ち会えなかったというイラツクヤツ。


24時
カメ店長と酒を飲み始めた。

携帯で撮ったスカイツリーの写真を見せてやるなど、カメ店長の故郷の変化を伝えた。


25時
宿へ戻る。

今日は肋骨が痛くてさえない一日だったか。


第3日目

7時
起床。

いつもの鳥に起こされる。
涼しげな朝だ。


7時半
中庭に設置されたプレファブで朝食。

昨日の青年が飯を準備しているようだ。
この青年、きっといい大人になるだろう。

こんな発言はオッサンのアカシ。


7時45分
メールチェック。
特になし。

この安堵感は問題だ。

鳥のさえずりに合わせてキーボードを叩く。


9時半
身支度を整え、出発準備完了。

今日は10時から住民説明会。
宿を出る。


10時
地獄の坂の上の現場に到着。


12時
無事終了。
うまく説明できたか…。

外へ出て、
気持ちよさげなエメラルドグリーンのトカゲと挨拶。


12時20分
午後の打ち合わせに備えて、昼食をとりながら打ち合わせ。

この時期鳥のさえずりはかなりのものだが、人間の声はほとんどしない。
かなり閑散として、昼飯をやっている店がほとんどない。

田中プライスではないズケ丼を食べるも後悔。
父島写真09-04

父島写真09-05

父島写真09-07


12時50分
会社へ連絡。
特になしというコメントに安堵してメールをチェック。

数件電話のやり取りはあったものの、特に大きな問題なく。


13時30分
午後の打ち合わせ場所へ向かう。
父島写真09-08


13時45分
いつものシロワニを探してフラフラしていると、
黒い大きなカタマリ発見。

近くに寄ると向こうもこちらに寄って来た。

デカイマンタであった。
父島写真09-09

写真を撮ろうとカメラを出しても逃げもせず、私の歩く速度に合わせて泳いでいる。
実に面白い、魚と喋れそうな錯覚。
父島写真09-10

前回のイルカやクジラといい、向こうが私の様子を伺っている。
私は彼らにどう観察されているのであろうか。

歓迎されていればよいが、その逆でない事を祈る。


13時55分
マンタと遊んでいたらこんな時間になった。
戦没者の鎮魂に一礼して、現場へ小走り。
父島写真09-11

父島写真09-12


14時
打ち合わせは数か所移動せねばならず、最初の場所から移動を繰り返し、その途中で一分ほど展望台で写真を撮り、プライベートビーチをうらやましく眺め、駆除されつつあるヤギをかわいそうにも感じ、手荷物に入れている水着やゴーグルを握りしめ、出したくても出せずに、隠れていなくなろうかと迷う不純な時を過ごす。
父島写真09-13

父島写真09-14

父島写真09-15

父島写真09-16

父島写真09-17

父島写真09-18


16時30分
境浦という砂浜に米国の魚雷にやられて座礁した船がある。
展望台には砲撃された後がまだ残っている。

これはこのまま保存すべきと思った。
日本は最初から負けと分かっていた戦争を行い、多くの犠牲者を出してしまった。

勿論、原爆を落とした米国も問題だが、この悲惨な現場を目の当たりにすると人間の愚かさを感じざるを得ない。

二度と繰り返してはならない歴史がここにはそのまま残されている。
父島写真09-19

父島写真09-20

父島写真09-21

父島写真09-22

父島写真09-23

父島写真09-06


17時
皆と別れ、公園を歩く。

前々回の渡航でフリスビーを上手にできない犬は相変わらずだった。
飼い主はどうして兄弟犬ができてこの犬はできないのかと嘆くが、「お前の方が賢いからだよな」とフリスビーを無視して私に一瞬近づいた時に声をかけた。


18時
会社に電話。

何事もないと言われ続け、やや心配になる。

肋骨は昨日よりも痛く、明日新しくできた病院にでも行こうかと…。


18時30分
メールのやり取りを終え、うるさいほどの小鳥の歌が夕暮れ時を伝えてくれた。

この宿は21時までに風呂に入らねばならず、急いで浴室へ向かう。
まったく、自分のペースで過ごしたいモノだ。


19時30分
外出。

カメ店長の店に行くと、すでに待ち人あり。
途中参戦し、飛ばして飲む。

5人での宴は一升瓶を次々に空にした。


22時
飲み足りないとメンバーの宿へ移動。
そこらの飲み屋よりも立派なアテに皆驚く。

この会を予期して準備していたかのよう…。


25時
宿に戻り、床に就く。


第4日目

7時
起床。

目覚まし時計は7時半だが、いつものように小鳥が起こしてくれた。


7時30分
朝食をとり、青年と少々言葉を交わす。


8時
メールチェック。

会社とのやり取りも含め、あっという間に昼になる。
………ということで午前中の打ち合わせをサボってしまった。


12時30分
昼飯時に合流する。
食べながら打ち合わせ。


13時30分
約1時間待たされて私の飯が登場。

日替わりランチと頼んだのだが、ご飯かパンかと聞かれ、ご飯と答えていた。

お盆の上に載っていた皿には、ご飯とパスタとコーンスープ。
スープは何が入っているのか分からず、パスタはクリームの味しかしない、ご飯は何をおかずとするのか分からない。

こんなにまずい飯は初めてだ。
女性店員の愛嬌だけでこの店は持っているのであろう。

………最悪だった。
会計は850円、トホホ。


14時
私だけ別行動で仕事再開。


14時30分
現場へ向かう。

いつもの道草付きで、雨が降っているが麦わら帽子が傘代わり。
なんて便利な帽子だ。

そういえばまた迷子猫の張り紙がまたあった。
もう少しうまく遊べよと独り言。
父島写真09-30

相変わらず鳥たちは人懐っこく、私の歩く方向を知っているのか、先回りしては歌を歌い、追い越すとまた先回りして歌を歌う。

本当に面白い鳥たちだ。


16時
現場での用事を済ませた帰り道。

猫を形どったアホな小屋を発見。
こういうモノは建ててはいけない。
設計した人間は責任感がなさすぎる。
父島写真09-24


16時5分
下校途中の女の子にすれ違い際に挨拶された。

私も挨拶を返すが、子供から先に挨拶されるとは、人間としての欠陥を痛感した。
父島写真09-25


16時10分
海洋センターへ道草。

何度か行ったことはあったが、今日のウミガメは愛想良かった。
父島写真09-26

父島写真09-27

一緒に水槽に入る魚たちも何度も水面から顔を出し、パクパクと話しかける。
「頼むから逃がしてくれ!」と言われているようだった。
父島写真09-28

父島写真09-29


普通に触っても逃げない魚とカメは自然界で生きられるのか。


16時30分
明日は忙しくなるかもしれないので、農協で土産を買い、宿にて事務仕事を始める。


19時30分
外出。

カメ店長の店は満席のように見えて、別の店へ。

数度来たことのある店。
この店の店長と店員にもすっかり覚えられ、「お帰りなさい!」と言われる。

カウンターに座ると、何も言わず私用の酒+あてが出てくる。
カメ店長の店とは違って一人用のサイズにしてくれる。


20時
呼び出す者あり。
30分で退席とは申し訳なかった。

2軒目は姉妹店。


22時
夢を語らい盛り上がったところで解散、カメ店長の店へ。

カメ店長と女性店員と杯を交わす。
水着まで用意して結局泳げなかったと笑われる。


24時
「また7月に来ます!」と伝え席を立つ。


24時10分
就寝。


第5日目

7時
起床。


7時15分
何時もより少し早く朝食をすませる。

何時ものリズムにしたかったので、あの青年にシャワーを浴びさせて欲しいと頼む。
青年が愛想のない宿主から許可を得てくれた。


7時50分
シャワーを浴びて身支度を整えていると、宿主が私に早く荷物をまとめてチェックアウトするよう促す。


9時
メールチェックの後、チェックアウト。

浜へ行く。
父島写真09-31

父島写真09-32


9時10分
何時もの浜へ行くと、釣りをしている者あり。

見ていると糸を垂らす時間はほとんどなく、いわゆる「入れ食い」である。

周囲に人が集まるようになり、聞くと寿司屋の亭主であると。

これが寿司ネタになるというのだから面白い。
いい商売である。


9時30分
島内視察の為、集合場所へ。

最初は墓地。
島の墓地は洋風和風が混在する。
なかなか見られない光景で、そこから望む風景はすがすがしさを覚える。
父島写真09-33

父島写真09-34

父島写真09-35


ただそこにも戦争の跡は残る。
朽ちた大砲もそのままである。
墓で眠るご先祖は仲良くしているのだろうかとトカゲに聞いてみる。
父島写真09-36


9時50分
ウェザーステーションの展望台。

ここからは薄らと母島が見える。
肉眼で見たのは初めてで、ここからクジラのダンスを見るのも良いかもしれない。
父島写真09-37

父島写真09-38

父島写真09-39

そこから歩ける遊歩道。
歩くこと20分、ここにも戦争で使われた洞窟。
父島写真09-40

上に登ると島全体を見渡せる展望台。
何時も立ち寄る大神山神社はかなり低い位置に見える。

珊瑚も奇麗に映し出され、エメラルドグリーン色を演出している港は海底に真っ白な砂があるからだと聞いた。
父島写真09-41

父島写真09-42


10時45分
来た道を戻り、再びウェザーステーションへ着。

そこにあった建物はおそらく戦争で使われて、現在は違った機能となっている小屋だが、私の提案している新たな建築をほぼ再現したものであった。

自然にこうなったのだろうが、見事であった。
これを人工的に表現しようというのが田中の案である。


10時55分
宮の浜へ移動。

犬が気持ちよさそうに泳いでいた。
この犬、実は私の好きなフリスビーできない犬である。
こっちに一度近づいてきてウィンクしたので確信した。
父島写真09-43

トラノオを拝借して会社に“マイナスイオン”のお土産。


11時10分
漁業協同組合(魚協)へ移動。

島で最も権力のあるエリアだ。
まずは網の自動洗い機を紹介されるが、私の目は着岸前に何時も目にする大きな岩。

この地層の隆起はどのデザイナーにも表現できない力強さと美しさだ。
父島写真09-44

父島写真09-45


11時20分
漁協内のカメを育てている施設へ。

ここで働く人々はボランティアらしく、それをアピールする張り紙がある。

小さなカメは可愛らしいもので、大きなカメはかなりの貫録である。
父島写真09-46

父島写真09-47


帰り際、あるカメが私をジッと見ていた。
そして腕をバタバタ水しぶきをあげ、逃亡を手伝うよう交渉してきた。
父島写真09-48

父島写真09-49

それは無理だろうと歩いて去ると、私が消えるまでバシャバシャと暴れていた。


11時50分
ハカラメを拝借し、こんなの有料で売るなよなぁ…と独り言。

誰にあげようか考えているうちに、何枚取ったか分からなくなる。


12時
ターミナルにてチケットと交換。

ネズミの死体を発見。
皆は気持ち悪いというが、私にはそうは思えないのは干支だからか…。
父島写真09-50


12時15分
昼飯はビジターセンターの隣のラーメン屋。

何を頼むか迷っているうちにとりあえずビールを注文。
何時もはビールを飲まないのに注文してしまった。

メニューを見ていると、店員が今なら餃子二皿ありますけど、と交渉。
間違えて作ったらしく余りモノである。
福があるかもしれないので、ありがたく頂戴した。

もう帰るだけだからと数杯飲んでしまった。


13時30分
気付くとこんな時間。
乗船開始時刻。

急いで会計し、宿に荷物を取りに行く。


13時35分
宿の青年が入口前で私を待つ。

「どこ行っていたんですか?」と苦笑いをされ、車に乗り港まで送ってくれた。

実は買うモノを忘れていたが、青年に悪いのでとりあえず、ターミナルで礼を言って別れた。


13時45分
小走りでスーパーへ行くところをカメ店長に見られた。
挨拶をするも時間がなく、走る足は止めなかった。

焼酎を一升購入し、船へ向かう。
息を切らして走っているとカメ店長の女性店員に笑われた。


13時55分
出航5分前に乗船。

まぁ、こんなのもありかと…。


14時
甲板に出るとカメ店長の女性店員が黄色い声で、「田中さん次来たら泳ごうねぇ~」と。

周囲から笑われるのは当然で、仕事相手の前で、恥をかく。

アイツラへの逆襲は7月まで考えておこう。


14時30分
いつものように見送り船。
父島写真09-51

電波圏外になる前にメールを受信だけしておく。


15時
宴のお誘い。

今回はオフシーズンなので島民が多く、大宴会に巻き込まれる。


24時
気付くと9時間も飲み続けた。

船にこんなにアルコールがあったのかと、空き缶、空きビン、空きパックの量に驚く。


24時30分
就寝。


第6日目

7時
起床。


7時30分
身支度を整え、朝食をとる。

いつもも通り、朝からカップラーメン。
健康的でないのは分るが、これくらいしか食べる気がしない。


8時
たまたま同部屋となった仕事相手と、談笑する。


9時
仕事を始める。

大量のメール返信。


11時
少し揺れてきたので横になる。
黒潮横断か…。


13時
揺れがなくなり、止まりそうな速度で船は進む。

今回は余裕の船旅であろう。


14時
電波圏内に気付いていたが気づかぬフリをしていた。

やはり電話は鳴るもので、仕事を始める。


15時30分
予定通り到着。


15時40分
会社に電話をすると、普通に仕事。

柱の陰からカメ店長の店員が出てきて挨拶。
日曜日だし一杯おごってやろうかと言いたいところであるが、うしろ髪をひかれ六本木へ向かう。


16時30分
会社へ到着すると、奇麗な花束や電報。
今日は会社設立記念日、7年も会社を経営できたらしい。

次回の渡航は7月。


バナースペース

株式会社田中俊行建築空間設計事務所

〒106-0047
東京都港区南麻布3-19-16

TEL 03-6438-9977
FAX 03-6438-9978
→アクセス