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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

第6回渡航2009年12月7日(月)~12日(土)

第1日目

9時
竹芝桟橋着。

人少なく、ガランとした印象。
今回の渡航は、腰痛を恐れ1等船室としたので楽しみである。
席取りやコンセントの確保は不要で、専用のデスクのある部屋である。
本も2冊用意し、船中を堪能しようと企んでいる。


9時半
売店で焼酎を1升購入し、事務所近くのドンキホーテで購入したツマミと共に、こんな完璧な渡航は今までなかったと少々嬉しくなる。

土日で打ち合わせができたので、スタッフへの心配もほとんどない。
これだけ何度も行っていれば当然の段取りである。

ロビーで“あの店”の店員らしき若い女性を見るも、確信を得られぬ為、声はかけないでいた。
その他、カウンターでの常連客らしき人もいたが、ここで声をかけると25時間アルコール摂取となるので、目を合わさぬよう注意を払う。


10時
出航。

部屋に入ると同部屋人が荷物を置いて外出中。
早速、専用のデスクにて、メールチェックと会社へ連絡。
朝一の仕事を終え、自分の時間を確保する。


12時
会社とのやり取りを終え、酒飲みグループからのお誘い。


16時
部屋に戻る。

1等のベッドの天井は高く、特2等では考えられないくらい、ベッド内での作業性が良い。
調子に乗ってデスクがあるのにベッドで読書をする。


17時
ちょっと揺れを感じて読書をやめる。

既に電波は圏外の表示である。
今日はのんびりとした船旅のよう。


20時
揺れはやまないが空腹となり、カップラーメンを食す。
この揺れで食べるには少々の勇気が必要。


22時
消灯のアナウンス。
1等には関係のないアナウンス。

歯磨きをして寝る事とする。
早く揺れが治まって欲しいものだ。


24時
揺れは相変わらずだが、寝ていることもできず読書をする。

知らぬ間に寝てしまったが、あまり宜しくない夢を見た。
夜中に何度も目覚め、夢であることで安堵した。


第2日目

6時30分
起床。

台風の時ほどではないが、この揺れには参った。
ベッドでストレッチ。
1等のベッドは広い。


7時
船内アナウンスにて「到着予定時刻が40分遅れ」と。

今回の渡航時間は26時間10分となるらしい。
この揺れでは仕方ない。


7時10分
顔を洗い、歯磨き。


7時30分
仕事開始。

スケッチを描くも揺れで線が曲がり、出来栄えの悪さにイラツク。


10時
気付くとこんな時間になってしまった。

まだ揺れはあるが、慣れたのか集中して仕事ができた。
ここで慣れてしまうと、船を降りてから脳ミソが揺れるのである。
父島写真06-01


11時30分
そろそろ島が見えているはずと思い、部屋の外をウロツク。

突然、若い女性から呼び止められる。
やはり竹芝で見たのは、“あの店”の店員であった。


12時
いつもどおりに父島タクシーのお出迎えと共に、二見港へ。
父島写真06-02

父島写真06-03


12時10分
上陸。

来るたびに、ここで挨拶される人数が増えていく。
しかし肝心な工事会社が来ていない。
今回の渡航で、かなり彼らのために重い荷物を持ってきたというのに…。

肩を落としながら宿「ガジュマル」へ。


12時20分
ガラガラと宿の戸を開けると、クリスマスイルミネーション。
“こりゃぁ、たまげた!”と思うが、宿のお母さんが出てこない。

何かあったかと建物の周囲を回ると、窓越しに目が合う。
何か考え事でもしていたのか…。

いつもの部屋を使うように言われ、いつものように朝食もお願いする。

今日は他に、東京都の職員も宿泊すると聞く。
「今宵は悪いことはできない。」と、鏡に映る自分と目が合い、「いつも悪いことはしていないだろう。」とニヤリ。


12時30分
メールをチェックすると山のように着信。
13時半までに返信を終え、14時までに現場へ向かわねばと焦る。


13時30分
ギリギリでメール返信をすませ、身支度を整える。

急いで階段を降りようとしたが、下で宿のお母さんの声。
そういえば、彼女のファンになってしまった弊社スタッフから土産を預かっていた。
出かけついでっぽくそれを渡すとヘタクソな日本語で、「また飾りが増えた!」と笑顔。

あまりここで会話をしたくなかったので、足早にお昼を買いにスーパーへ。
おにぎりを2つとお茶を購入して現場へ向かう。

「早足で歩きながら食べる私を皆笑っているだろう…。」と恥ずかしい気持も、毎回となれば慣れてしまう。


13時45分
途中、親分の会社に立ち寄る。

「ご無沙汰してます!」という挨拶と共に書類を渡し、かなりの早口で要件を伝え、その場を去る。

ここから現場までは獣道を歩くしかない。
昭和天皇の歩幅に合わせて作られたといわれる階段を上り、獣道を通じて現場へショートカット。
父島写真06-04

父島写真06-05


14時
現場着。

やはり島の人はノンビリだ。
私がこんなに時間を気にして歩いてきたのに、地面に座って待っている。
現場も思っていたモノの半分も終わっていない。

「何のためにきたのか分かっているのか!」と言いたいところだが、島の人相手には柔らかく伝えるしかない。
この対応を都会でやっていたら、私はストレスで参ってしまうだろう。

仕切り直しで夕方に打ち合わせをしようということになり、親分の会社へ戻る。


15時
会社に着くと親分は不在であった。
後ろから女性が出てきたが、その陰に見える男性が社長だという。

「まさか…」と思ったが、ここまで来る船の同部屋だった人だった。
特に会話を交わさなかったが、何か失礼がなかったか、巻き戻して乗船時から振り返る。


15時15分
逃げるように立ち去り、気を落ち着かせる為に大神山神社へ向かう。


15時30分
急な階段を上る手前、見たことのある女性と出くわす。
目をそらすか迷ったが、手を挙げてしまった。

“あの店”の新人店員。
元気そうでなによりでした。


15時45分
頂上まで一気に登ってしまった。
これで間違いなく明日は筋肉痛だ。

いつもと変わらぬ風景で、暑くもなく風も気持ち良く、ベンチに腰掛け、このまま眠ってしまいたくなる。


16時
30分後の打ち合わせを忘れたくなったが、とりあえず下山。


16時10分
浜辺にて読み残した本を開く。

波の音を聞きながら、心地よく理想的な読書タイムと思いきや、自衛隊のヘリがタッチアンドゴー。
石を投げてやろうかと思ったら、後ろで母親に抱かれた子供が泣きやまない。
泣きやまない理由は、母親のサングラスだろうと言ってやりたくなった。
父島写真06-06

「まぶしくもないのに顔の半分が隠れそうな黒メガネをして、幼子の気持ちが分らんか…もっと泣いてやれ!」と胸の内で応援。
私と目が合った幼子は、心が通じたのか更に大声で泣く(私の顔が怖くて泣いたのではない事を祈る)。

今日は、春に来た時だったか…カメを食べて以来の強気だ!!


16時30分
打ち合わせの為、相手方の会社へ。

都会ではあり得ないほどのボロボロのプレハブ事務所。
でもこんな建築が許される父島が嫌いではない。
通された応接スペースも飾らず、ひと昔前のスプリングをかなり感じる破れたソファ。

上階は彼らの寝床だと聞く。
昔は飯場があったが、人数が減ったので外食していると聞く。
“あの店”の話をしたが、あまり会話が弾まなかった。
その代わり、明日違う店で飲もうという事になった。

また島の掟の登場か…?


17時30分
打ち合わせが終了し、やっと落ち着いて会社に連絡。
まだ脳ミソが揺れている。

特に変わった事もなく…との報告に、安心して電話を切る。

宿の前の大きなガジュマルの樹に、クリスマスイルミネーション。
常夏の島には似合わぬ印象である。
今年から始めたと聞く、来年はないかなぁ…。
父島写真06-07


17時40分
宿に到着。

扉を開くと、何度も書いて申し訳ないが、ハンプティダンプティ風貌の宿のお母さんが待っていた。
クリスマスの飾り付けがまだ完璧ではなく、17日までには終えるよう計画しているという。
父島写真06-08

父島写真06-09

ほとんど手作りで、かなり工夫しているのを嬉しそうに教えてくれた。
笑顔で「今年はまた小さいのが増えちゃって~」と言いながら、私が渡した土産を飾ってくれていた。
父島写真06-10

あの手作りの飾りをみたら、弊社スタッフからの土産飾りはまずかったろう。
一番良い場所に置いてくれているが、少々恥ずかしい。


20時
議事録だの日報だのに加え、メールの山に返信していたらもう20時を過ぎていた。
今日父島に来ているのは、2人の女性店員にはバレテいるのだし…、
と自分の中で言い訳を成立させて腰を上げる。


20時10分
“あの店”にたどり着く。
今日は寄り道なし。

他の客がいるのに、私の名前が遠くからも聞こえる。
これはまずい。
カメ店長も早々に挨拶。
私をハカセと呼ぶ(ハカセタロウの髪型から)。


20時30分
カメ店長と米軍基地移転の話で盛り上がり、硫黄島に移転と言った議員に対して、ストレス発散のような悪口の連射。

「何でこんなに熱くなるの?」とカメ店長。
「そりゃぁ、村長にするための教育!」と田中。


実はそんな話とは別に、私が来る前に建設会社の人々が、「田中さんから厳しく指示されて…」と愚痴を言って帰ったらしい。
「まぁ、そういう発散できる場があっただけ宜しいのでは…」と軽く流す。


22時
気付くと、カウンターにカメ店長の友人3名と田中での盛り場となっていた。

この人たちは私のようなストレス社会に背を向けた人々。
笑いにもキレがある。

あと数ページで読み終わる本を持参して、カメ店長が忙しくしていたら本でも読んでいようと思っていたのに、今宵アクセル全開。
何でこの人たちと話をしていると、こんなに楽しいのかと思ってしまう。

私は毎日酒を飲んでいるのに、この快楽は得られていない。


24時
女性店員に会計を頼み、帰ろうとすると、それぞれのジョッキから私のジョッキに継ぎ足し帰そうとしない。
それを一気に飲むのも申し訳ないし、残して帰るのも失礼である。

数分後、いいタイミングで飲みほし、店を出る。
店からはハカセコール。

明日は約束があるので店には来られないが、それを伝えることはできなかった。


24時30分
星空を眺めながら宿へ向かう。

明るいうちから気になっているのだが、父島の猫共が、自分たちの姿を私にアピールしているように感じる。
何を意味しているかは不知であり、この渡航期間中に何かあるのか少々の不安有り。

何かあったのかと聞きたくなるが、暗い夜道、また明日と言って宿へ急ぐ。


それにしても今日もよく飲んだ。
カメ店長が仲間を呼んでくれているのか、自然と集まっているのかは不知。

不思議の国のアリスのような錯覚を覚える。
アルコールのせいであればよいが…。


第3日目

7時
起床。

実は夜中に寒くて目が覚めた。
窓は閉め切り、毛布をかけていたのにもかかわらず。
父島では初めての体験だった。


7時30分
今日もいい天気だ。

部屋で待機している理由は、他の客が食事をしているから。
東京都の職員と聞いているので、あまり顔を合わせない方が良いとにらんでいる。


7時50分
風呂に入り、8時半に朝食をお願いする。


8時30分
朝食はいつも通り美味い。


9時
昨日の打ち合わせ内容のチェックと、今日一日の仕事準備。


9時30分
宿を出る。

今日はかなり眩しい。
雲も逃げたくなるような日差しである。


9時40分
ショートカットトンネルの先に、猫が4匹待機していた。
近寄っても逃げないし、私から目を離さない。
父島写真06-11

父島写真06-12

なんだこいつらは…言いたいことがあるなら早く言え!
鳴きもせず背中を円め、ただジィ~ッと見ている。
父島写真06-13


10時
打ち合わせ現場到着。


11時
打ち合わせ終了。

思ったよりも早く終わったのは、こちらが求めているものがほとんど提出されなかったから。


11時10分
シロワニという名のサメが隠れる場所を見学。
ある人から「釣ってこい!」と言われているのに、数度通りかかったが姿さえ見えない。
父島写真06-14


11時20分
シロワニを待つと、クラゲが波に流されてこちらへ近寄る。
写真を撮ろうとカメラを向けると海に浮かぶリングを発見。

よく見ると緑色で、黒川先生が、共生新党のシンボルに使われたものと同じ形状であった。
父島写真06-15

当然取ってやろうと思って手を伸ばすと、足を滑らせて片足が水面下へ。
危なくサメの餌食になるところだった。

本当に冷や汗をかいたが、天国からの悪戯か…。
道端の雑草(?)を引っこ抜き手繰り寄せ、根っこにリングを引っ掛け、やっと手中に入れた。

少々腐食しているがまさにあのリングだろう。
不思議な事もあるものだと海岸沿いを歩く。


11時30分
骨董品のような足踏みミシンが捨てられようとしている。
これはもったいないと思うのだが、どうにもならず写真を一枚。
父島写真06-16


11時40分
裏道を歩くとニワトリに遭遇。
放し飼いとは驚いたが、ニワトリが追いかけてきて、話しかけようとする仕草にはもっと驚いた。
父島写真06-17

父島写真06-18

父島写真06-19

父島写真06-20


11時50分
スーパーでおにぎりとお茶を購入し、夏にウミガメを見た浜へ行く。

途中の芝生で、またもや“黒川リング”発見。
いったいどうしたものだろう。
とりあえず、写真だけは撮っておいた。
父島写真06-21

父島写真06-22

ベンチに腰掛け、読書をしながらおにぎりを頬張り、最終ページを二度読んでから、スケッチを描く事を決意する。
父島写真06-23


12時20分
波音とペンの摩擦音しか聞こえない中、集中して描いている。


突然、私の名を呼ぶ者あり。
飲み屋の女性店員。

「お前邪魔するなよ~」と目で訴えたが、新潟の実家から、雪だるまを持って来たのだという。
その撮影をするらしく、かなり興奮していた。

ここで「すごいじゃない!」と言えるようになったのは、父島のおかげか…。


13時30分
迷いなく集中して描けたスケッチは、たいてい自分では満足できる代物である。

何故か黒川先生の代表作への想いを描いていた。
14時からの打ち合わせに少々時間があるが、この絵を眺めていると蛇足になりそうなので散歩することにした。


いつも通る公園を歩いていると、一羽の鳥がこちらを見ている。
カメラを向けると小走りに逃げたので、「何もしないよ。」と独り言。
諦めて数歩歩くと、すぐ近くにその鳥がまたやってきてこちらをニラム。
「どうせカメラ向けたら逃げるでしょう。」と無視して歩き、振り向くと、またそこに硬直したその鳥。
父島写真06-24

まるで私とダルマサンガコロンダを楽しむかのよう。
数度くり返した後、再度振り向くとその姿はなかった。


今まで歩いた事のない道があって、そこを歩いてみた。
この島は都会と違い隣地境界塀がないので、歩いていて気持ちが良い。

小さい教会は、特にデザインされたものではないが落ち着いて見え、道路から丸見えとなるある民家は、巨大な庇となるような樹木が奇麗な花を咲かせていた。
父島写真06-25

父島写真06-26

父島写真06-27


13時50分
そろそろ打ち合わせ場所へ向かうかと早歩きを始めると、私を通り越して車が止まった。
親分であった。

仕事の話を少々したが、わざわざ車を止めるほどの話ではなかった。
黙って立っているので、「前回の渡航で見れなかった樹木、今回の渡航で見たいのですが…。」と発すると、「今からなら。」と返される。

もう一時間早く拾ってくれれば…と、スケッチを描いていた時間を悔やんだが、「まぁ、また近いうちに。」と言って別れた。


14時
この打ち合わせ、スッポカシタラまずいよなぁ…と頭の中はそのことばかり。
気付くと“黒川リング”が一つしかなくなっていた。

スケッチしたことを悔いて、罰が当たったか…。
写真を撮っておいて良かった。


15時30分
打ち合わせ終了、宿に戻り書類作成。


16時10分
次の打ち合わせは、17時から16時半に変更になったのを思い出した。
急いで支度して宿を出る。

歩きながら、ずっと“黒川リング”がどうしてなくなってしまったかを考えていた。


16時30分
打ち合わせ開始。


18時
打ち合わせ終了。

宿に向かいながら会社に連絡。
頭の中はなくなったリングのことばかり。
印鑑やUSBメモリーを入れるチャック付きの袋に入れて、全くその袋を開けもせず、確認しようとチャックを開けるとなくなっていた。
よく分らん…頭を抱える。

今日は現地の人と飲みに行く約束をしている。
カメ店長には申し訳ないが、行けない理由をわざわざ言いに行くのもおかしな話だ。


18時15分
着替えて宿を出る。


18時30分
待ち合わせ場所近辺をフラフラしていると、かなり多くの方々から挨拶された。
この時間にこの待ち合わせ場所は私には酷である。

それにしても約1年で知り合いが増えたものだ。
ダテにアルコールを飲んでいない証拠だ。


18時40分
店へ移動。

カメ店長に申し訳ないと思う気持ちばかりで、店に入っても笑顔で挨拶できなかった。

宴が始まると、客が知っている奴らばかりで、店中が見渡せる席に座った事もあり、ゆっくり飲んでいる暇もなく、名刺を頂戴したり一杯注がれたりという状況であった。

………というのは半分冗談で、かなりの量を飲んだ。
何本の焼酎ボトルを空けたか分からないほど。

最後は焼酎がなくなり、ウィスキーを2本飲んだ。


23時
同世代の飲み相手であった事もあり、「海賊」という飲み屋へハシゴ。

店は絨毯敷きで、ちゃぶ台のようなテーブルがポツポツあり、家で飲んでいる感覚という表現が最良かという雰囲気。

客が他にいなかったこともあり、1件目の店員を引き連れ、4人でかなり騒いで飲んでしまった。


26時
もう一軒行こうという事になり、騒ぎついでにバーへ。
わけのわからん強い酒をだされ、おそらくこのアルコール度数からいくと、テキーラクラスであろう。

私を酔わそうと思っているのか…。
裏から親分の親分が出てきて、挨拶して少々の会話をすると、周囲の私を見る目が変わっていた。

それを覆す騒ぎっぷりを見せ、皆を和ませ、これで帰っても大丈夫だろうと思ったのが27時30分。


28時
おそるおそる宿の扉を開ける。

やはりメモ有り。
10代の頃、夜遅くなって親に隠れて帰ってきた時の心境。


第4日目

7時
目覚ましを無視してしまったらしい。


8時30分
宿のお母さんに起こされる。
今日は9時から現地で打ち合わせ。
「しまった。」と思ったがどうにもならず、とりあえず朝食を食べて現地へ走る。


9時
現地着。
食べて直ぐに坂道を駆け上がったので、横っ腹が痛い。

昨晩飲んだ相手は遅刻してきた。
サングラスをかけているところをみると二日酔いだな。


10時30分
打ち合わせ終了と共に、宿へ急いで帰る。

「大丈夫だった?」なんてハンプティダンプティの風貌から言葉を発せられ、恥ずかしいったらありゃしない。

すぐに風呂に入り、パソコンとニラメッコ。
こういう時に限ってたくさんのメールを頂戴し、ありがたく思う。


12時30分
気付くとこんな時間で、次の打ち合わせは13時。

また走ってスーパーのおにぎりとお茶を購入し、レジで「毎度!」なんて言われても笑みを返すだけ。

歩きながらおにぎりのノリと格闘していると、サングラスをかけたハンプティダンプティが、「ゴミ預かりましょうか?」と笑顔。
ここで出くわしたくなかったが、しゃぁない。
笑顔で会釈だけしておにぎりを頬張る。

こんな醜態を毎日サラシテいたら、皆から変なあだ名を付けられそうだ。
昨晩の店長にまで遭遇し、笑われてしまった。


13時
坂の上の現場に着。

胃袋からおにぎりが出たいと食道を登ってきたが、滝のようにお茶を流し、何とかその戦いに勝利する。

内地で当たり前の事がここでは初めての事で、私が授業しながら皆がそれにならう。
大丈夫か、こんなんで…。
父島写真06-28


14時
隣の学校からの相談で現場視察。

学校からの景色はリゾートホテル級。
ただ校舎は結構痛んでおり、改修方法など意見交換。
「ありがとうございます。」なんて言われて自己満足。
父島写真06-29


15時
秋に工事を終えた現場へ。
来年の工事の確認等。


15時30分
学校の寮を視察。
母島から父島の高校へ通う生徒は、この寮を利用している。
父島写真06-30


16時
父島には、巨大な「油庫」というモノがあるが、第二次世界大戦時に極秘で作られたらしい。
目的は、日本から燃料がもらえなくなっても大丈夫なように…とのことらしいが、その上に高校が建っていて、世界遺産に登録される前に、この油庫をどうにかせねばという問題があるらしい。

その油庫を視察。
非常に感動的な空間であった。
イメージとしては、洞穴の中に3つの体育館サイズの空間があるという感じ。
勿論油が入っていたので人間用に作られた空間でない事は明白であるが、頭を下げてでなければ通れない通路を数十メートル進んだ先の大空間であり、胎内回帰願望を満足させる名建築と言いたいところだ。

図面は隠ぺいされたからか見つけられないらしい。
父島写真06-31


17時
坂の上の現場に戻る。
「まだ二日酔いだ。」といわれ、「迎え酒をすれば?」と笑顔でこたえる。


17時半
明日のスケジュールを聞いて、宿へ向かう。

途中、腰痛がひどく、ベンチに腰掛ける。
通る人にジロジロ見られ、仕方なく歩き出す。


18時
やっとの思いで宿に辿り着く。


18時30分
会社に連絡をし、メール返信まではいつものとおり。
約束の場所へ急ぐ。


18時45分
“あの店”に到着。

知人が奥の席で飲んでいたが、挨拶だけしてカウンターに座る。


22時
知人らから「宿で飲もう!」と連絡有。

勘定をするとカメ店長に「早いじゃない。」と怒られる。
「宴が終わったらまた来る。」と言ってしまった。


24時
宴終了。

“あの店”へ急ぐ。


24時10分
店の外は暗くなっていた。

「申し訳ないことした。」と思ったら人の声がした。
客はなく、店員と3人で待っていてくれた。


24時30分
カメ店長を次期村長にするという話は、やはり盛り上がり、アルコールのおかげでカメ店長も、「自分が村長になったら…勉強しないとなぁ~!」と言うようになった。


25時
宴終了。
「今度いつ来るのか?」と聞かれ、「来月」というと、安心したように帰らせてくれた。


25時15分
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、明日は船に乗らねばならない。

プラネタリウムのような星空が、「楽しくて良かったな…。」と言ってくれているようだ。

宿に着き、玄関のカギを締め電気を消して、ベッドに横になり、すぐに眠ってしまった。


第5日目

7時
起床。

最終日であるこの渡航期間中、傘が不要であったのは初めて。
毎日いい天気で感謝の気持ちと共に、気持ちよく起きられた。

何時も通りに風呂、朝食を終える。
ただ朝食は紅白の飾りの中で食べるので、食事に集中できなかった。


9時
いつものように礼を言い、荷物を預かってもらうお願いをして会計を済ませる。
宿を出て、最後の現場確認と思い坂道を上る。


9時30分
現場着。

私が言わなかったからか、ほとんど誰もいない状況。
こんなんで本当にいいのか。
怒る気にもならず親分のところへ行く。
父島写真06-32


10時
親分が偶然会社にいて、仕事の話をした。

私が来た本当の理由は、
前回雨で見られなかった樹木を見たいからだったのだが、どうやらバレテいたようで、私が「次回でもよいので、もしお時間あれば…。」と言ったらすぐに、「今行きましょう!」という話になり、車で案内してくれた。


10時30分
最初に行ったのは、前回歩道が川になってしまっていた場所。
30mくらい歩くともうそこには巨大なガジュマルがあった。

写真を撮ろうと構えるも、その写真に納まる大きさをはるかに超えていた。
私には数十本の樹木が束ねられたように見えたが、よく見るとこれは一本の樹木であった。

このガジュマルに感動していた私に、「こんなもんじゃない!」と親分。

次の場所へ車で移動。
父島写真06-33

父島写真06-34

父島写真06-35


10時50分
舗装された道路から突然、幅が1mくらいしかない道路へ車が突っ込む。
草木が道をふさいでおり、それを吹っ飛ばすかのような勇ましい走りであった。
父島写真06-36

「流石親分!」と言いたいところだが、親分の顔を見る余裕はない。
車のボディは草や小枝により傷付けられたろう。
タイヤは、ディズニーランドのアトラクション以上の予想もつかぬバウンド。
何度も車体の腹をこすられ、目の前にいきなり倒木が現れ、ギリギリくぐるも減速はしない。

私が見たいと言ったばかりに、申し訳ないと思う気持ちが大半を占める。
とにかく迫力のある運転だった。


11時
急に車を止めた。
この先でUターンができる場所があるか見てくるように言われ、先に降りる。

ちょっとした隙間しかなかったが、この細い道を、枝を折りながら走るのであれば大丈夫だろうと大きな○印を出す。


11時15分
父島写真06-37

車を降りて、その先の倒木らに“またぐ・くぐる・折る”を繰り返した。
下ばかり見ていたら、親分の進行方向と違う方に行っていたり、大変な急斜面が現れたり…。
そんなこんなで気付くと親分が足を止め、「これだ!」と指さしていた。

写真にすべてが納まる訳もなく、非常に巨大な巨大なガジュマルであった。
まるで壁のようで、これが建築構造体になったらものすごいだろうと一瞬で感じる。
この感動は文才があっても書き表せぬだろうと言い訳しながら、しばらくの間眺めていた。
父島写真06-39

父島写真06-38


11時30分
深々と頭を下げ、感謝の言葉を知っている限り使い果たし、車に乗るまでは、迷子になりそうになりながらの軌道修正を繰り返し、やっとの思いで車にたどり着く。

帰りの道のりは、行きよりもいささか安心感がある。
どこで腹をコスルか道幅の変化など行きの記憶が逆転して蘇る。


11時50分
忙しいのに宿の前まで送ってくれた。
先ほど同様、深く頭を下げて礼を言った。


12時
土産を買うのを忘れていて、閑散としたメインロードを歩く。
土産屋には私が狙っていた商品がなく、少々がっかりしたが、また来月来るからと立ち直る。
父島写真06-40

父島写真06-41

父島写真06-42


12時20分
“あの店”の店員から、昼来るように言われた店へ行く。
すると、私が“あの店”でよく盃を交わす男の店だった。
「なんだそういうこと?!」というと苦笑い。

ガラガラの店なのにカウンターに座るよう促され、座るとカレーを試食するように言われる。
「海老フライが食べたい。」と冗談をいうと、海老フライカレーにすると勝手に決められた。


12時30分
本当に海老フライカレーが出てきたのだが、今宵、“あの店”で料理対決らしい。
父島写真06-43

彼と自衛隊のマカナイ担当者のカレー対決で、カメ店長が審査委員長らしい。
かなりイカガワシイ対決だが、食べてみると食べたことのないまろやかなカレーであった。

流石にホメテオイタが、海老フライも奇麗にパリッとして、あの店で会う彼とはまったく違っていた。


13時
食べ終わる頃に、出し忘れていたとスープが登場。
やっぱり…なんていって笑ってしまった。

ついでにビールを注文すると、ちょっと見てもらいたいものがあると言い、図面やら見積書やらを出してきた。

つまり、私に自分の家を設計頼めないかという相談であった。
「次回の渡航までで良ければ…。」と快諾した。


13時30分
盛り上がって話していると、店の時計が13時30分。
「もう行かねば…。」と言ったら、この時計は進んでいるとのこと。
もうしばらくして携帯の時計を見ると、まったく遅れていなかった。

「この冗談はイエローカードだろう。」と会計を頼む。
「ビールの代金は抜くように。」と彼が女性店員に告げる。
「払うから。」というも、「絵を描いてもらうから。」という。

私はビール一杯でやらされるのかと苦笑い。


13時45分
宿へ戻ると、ハンプティダンプティが心配そうに声をかける。
でも、その宿にはサンタの衣装が飾られており、観光客を楽しませていた。
父島写真06-44

父島写真06-45

「また来ます。」と言って、港へ急ぐ。


13時50分
乗船は開始されており、何時もと違い飛び乗った感じだ。


14時
出航。

子供たちが横断幕を持ち、手を振る。
遠くから私の名前を呼ぶ女性の声。
“あの店”の店員。
恥ずかしといったらありゃしない。
父島写真06-46

父島写真06-47

今日は自衛隊の方々も大胆に見送り。
いつもの太鼓はいつもどおりで。
船は港を離れていく。
父島写真06-48

いつものようにクルーザーらが並走し、いつものようにダイビング。
父島写真06-49

父島写真06-50

しかし、ここから今までにない辛い船旅となる。


14時30分
部屋に戻ろうとすると、親分の親分に話しかけられ、普通の人が入れない特別室にいるから来るようにと。


15時
おそるおそる戸を開けると、宴は始まっていた。
参加者は島の権力者ばかりで、ここに記すことはできない。
その宴は、「誘ってくれてありがたい。」と思った以上の事を記すことはできない。
私の熱い建築論も聞いてくれた。

これがどう展開するかは未定である。


20時
宴が終了した理由は、親分の親分がレストランで蕎麦が食べたいと言ったから。

私は誘われたが断り、自室へ急ぐ。
この時間になると手摺につかまらねば歩けないほどの揺れだった。


20時30分
もう寝ていることしかできない揺れになる。
あんなに晴れていたのに…と。

ここからはもう時間は分からない。
単にベッドに横になるしかできなかった。
横になっても本を読むことすらできず、ベッドの床部分と壁部分の直角部分に体を押し込む形で、己の体を固定した。

最初は、エンジンが爆発したのかと思った。
そのうちミサイル攻撃を受けたかと思うようになった。
「ドーン!!!」という衝撃の後、震度5くらいの地震が5秒くらい続く。

それが10秒経たずに繰り返され、脳ミソがおかしくなりそうだった。
台風の時に帰ったときよりも、桁違いの揺れである。


第6日目

8時
“起床”…というか携帯を見られるようになったのが、この時間。

外が明るくなったのは知っていたし、どれくらい寝られたのかも分からない。
夢と現実が交差し、船が沈没して海へ逃げる夢も見た。
逃げる際、先日描いたスケッチとカメラだけ手にして逃げた。
おそらく夢でなくても、それを選択していただろう。


10時
あの“ミサイル攻撃”はなくなったが、大波は続く。
この波くらいなら、台風の時と変わらぬレベルだ。

顔を洗い、つかまりながら歯磨き。
到着が1時間遅れるとアナウンス。
やはりまだ無理があったようで、自室に戻ると横になる。


12時30分
ようやく大島近郊か。
揺れは治まってきた。


13時
波が静まってきたら、早速お誘いが…。
皆ストレス発散という感じで飲み始めた。

旅の最後にやっと会話ができるようになり、いつもは誰かがしゃべれば他は聞くのだが、その遠慮はこの宴ではなかった。


15時30分
到着1時間前でも宴は続く。
通常では到着している時間だ。


16時
艦内に「蛍の光」が流れ、居酒屋の閉店風景と似ていた。

急いで身支度を整える。


16時30分
竹芝桟橋着。

無事と言えるのかよく分らないが、頭が痛い。
脳ミソは揺れたまま。

会社に電話すると「待ってました。」と言わんばかりの1コール出。
肩を落とし、会社へ向かう。


バナースペース

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